呪いの祈り

ようそろ~お越しくださいました。

10月16日は416名の方々が黒野のブログを過疎らないように巡回してくださいました。

ありがとーありがとです。

人間の住んでる地域で、人を呪いたいという願いが出てくるのはあると思います。沖縄県が第2次世界大戦中に敵国調伏なんてしてないと思います。先祖崇拝の方々が敵国調伏をしないのは当たり前だと思います。

人間が哺乳類の中で文明を気付きあげた存在になっていますが、たぶん古代や青銅器時代、呪い殺すという観念はないんじゃないか?と思います。昔新聞で読みました。京都で木で作られた人型が発掘され、それが呪いをしていたのではないか?という記事でした。

呪の祈りは欧州とアメリカ一部の州そしてメキシコ等に存在しそれは少なくとも文明が発展し、人が誰かを妬むとか、嫌がらせを発展させたかのいずれかだと思います。そして近年の呪いは恨みetcのネガティブな感情から成り立っていると思います。それだけ人間関係は複雑化したのだろうと思います。そしてこの複雑化が文明として成り立っているんだろうと思います。

じゃあ呪いの祈りとはあるのか?ですがあると思います。ただこれは創意工夫が必要で少なくとも祈りで呪い殺す方は黒野のブログなんか読まずに独自に行っていると思います。

皆さんが興味を持つだろう呪いの祈りは次回の著作のどこかに書こうと思います。

シマギイー ユミフィーサマイ スディガフー!!