東京組は米原で降りて、我々はそのまま在来線で京都に向かった。
私は京都で開催中のポンペイ展に寄るため京都駅で弟と別れた。
弟は先日すでに鑑賞していた。
この旅行中にいとこのMちゃんに、「元気があったら、帰りに京都でやっているポンペイ展をのぞこうと思っている」と話したら、「俺は現地で女房と見たよ」とさりげなく言った。
大企業を勤めあげた男の言葉だった。
開催中の京セラ美術館は地下鉄の駅から20分くらい歩くと弟に聞いたので、京都駅からは市内バスに乗った。
京都の街はコロナの感染が減少傾向に入って、Go Toの県民割、府民割が復活してきたからだろうか、大変な人出でにぎわっていた。
老いも若きも一斉に街に出ようという勢いがあった。
京都国立近代美術館前で下車、ぐるっと見渡すと道路を隔てた向かいに京都市京セラ美術館があった。
もう午後4時、急いで信号を渡って美術館に向かった。
荷物をロッカーに預ける。入場料は大人2000円。
平日の夕方ということでか、意外に入場者は少なかった。
子供の頃、東京でツタンカーメン展を見た。
夏休みに上京し、東京で働いていた姉に連れて行ってもらったが、長い、長い行列、ツタ王の黄金のマスクを鑑賞するのは押されながら、ベルトコンベヤーで流されていくようなものだった。
それに比べると今日は落ち着いて鑑賞できた。
それでもわが家の母の教えは
「美術館や博物館に行って、長い間、見ている人がいるけれど、そんなに見ても何にも残りやぁしないわよ。疲れるだけ。気に入ったのを二つか三つ、しっかりと見て帰ればいいのよ」だった。
私はほとんどこの言葉を実践している。
ポンペイは、約2000年前にイタリア、ナポリ近郊のヴェスヴィオス山の噴火で火山灰に飲み込まれたローマ帝国の都市。
埋没したポンペイの発掘は18世紀から始まり現在まで続いているという。
今回は発掘された遺物の名品の中から120点が展示されて「ポンペイ展の決定版」とあった。
ポンペイ展で私が気にいったひとつは首輪をつけた犬の絵だ。
舌を出して四肢を突っ張っているように見える。
耳も尻尾も立っていて、何かに向かって抵抗しているようで、実に写実的で、2000年前の生活はほとんど変わりなく現代に続いていると思った。
確かに機械文明は飛躍的に進化したけれど、生身の人間の実態は不変のようにも思えた。
特に塑像に見られる顔つきは、探せば現代社会にどこにでもいそうな顔つきである。
冒頭に写真をあげた「葉網と悲劇の仮面」という題名の、モザイクの仮面の男の何かを訴える表情にも現代に通じる迫力・主張を感じた。
また、展示物を鑑賞していたら多くの皆さんが展示物をスマホで撮っていた。
たくさんの場内スタッフがいたが、注意する様子はないし、もちろん撮影禁止の表示もないので、私も撮影させていただいた。
こんな特別展は初めての体験だった。
流石はイタリアンだと思った。
作品の一つ一つの価値の評価もさることながら、2000年前の生活実態を身近に見ながら、人間の本質はほとんど変わっていないのだろうなあと、プーチンのウクライナ侵攻と比べながら思った。
帰りのバスは満員。京都駅まで立ちっぱなしだった。
午後8時過ぎ帰宅した。
カミさんは岡山県で最上級の千屋牛ロースの焼きしゃぶを用意して待ってくれていた。今夜もワインで乾杯。
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