某所でたむろっていた中学生くらいの子たちが言ってた。
「クラスに障害者が来るようになってさー」
「マジ気持ち悪い、なんなんあいつら」
「ほんとう、もう学校行きたくねぇ」
「つーか、向こうが来ないでほしい」
その後、別の子が合流して誰かの家に遊びに行く話に変わった。
岸田総理の秘書みたいな事言ってんなと思いながら聞いてた。
少なくとも知ることで
こうしたネガティブを持つ子もいるだろう。
まぁ、多少なりともネガティブを持つのは仕方ない。
なんでもかんでも肯定できるのなら配慮なんていらないわけだし。
配慮って言いながら一方的に我慢させているだけなんじゃないかと思うことがよくある。
「私は発達障害なんです」って言うことで、
おい、お前わかってんだろうな?って感じさせているんじゃないかとか。
もちろんそういう意味合いで言葉を選択しているわけではないけども。
少なからずこういう風に感じる子たちもいるわけだ。
だけど、口に出したり攻撃に転換してしまうような事が起こらなければいいのだろうか?
表面上だけの仲良しこよしでいいのだろうか?
一緒にいることで強くなるものもある。
愛や絆だけではない。
怒りや憎しみだってそうだ。
一緒にいることも大切だけど
一緒にいたいと思えることのが大切だと思っている。
よく比較で海外の話とかも聞くけど、
住んだことがないから実際のところはわからないけど、
海外の記事とか見る限りたいして変わらないんじゃないかと感じることも多い。
その理由の一旦として
海外では最近障害者のことをchallengedって言ったりするらしい。
揚げ足取りじゃないけど、臨んで障害を持って生まれたわけじゃないし、
望んで障害を持ったわけじゃないからchallenged(挑戦する者)とか言われてもなんかねって私は思う。
あなたじゃあ、挑戦したいんですか?って考えた人達に訊いてみたい。
文句ばっかじゃないですかってなってしまいそうなので、
一応は考えたんですよ、なんだったら良いかなって。
私的には障害とは発達障害に限らずだけど
人間が人間である事を考える機会だと思っているので
got a chance 考える機会を与えた
give a chance 考える機会を与える
考え方、感じ方を切り替える的な感じのがいいと思う。
gear changer(ぎあちぇんじゃー みたいな?)
日本語なら勘案者とか良いと思う。
勘案とはあれこれ考えを合わせることって言うような意味。
かと言って、言葉や表記を変えたところで治らないじゃないですか。
変える前の言葉が悪い言葉となって結局差別用語として残るし。
変えなければならないのは言葉じゃなくて今を生きる志じゃあないのかなと常々思っているのですが。
そういって早々変えられるものじゃないから大変なのよね。
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