ダビデは非常に名君であったと言われますが、実は素性は素朴です。
しろあです。
あまり聖書やキリスト教について分からない方のためにざっくり知識を伝えますと、
神が人として地上に降りて来たのがイエス・キリスト。
つまり、
イエス = 神 という図式が成り立ちます。
そのためイエスは世界の王、この世のすべてを統べる者として認識されることもあり、
その力は神であるため絶大であると表現されることもあるのですが。
その実、聖書に描かれるイエスは決して万能ではないし、圧倒的な力で人をねじ伏せるようなこともありません。
むしろ弱い。スタートからして悲惨。
クリスマスの日に馬小屋で生まれるという、素朴な生まれ方だし、親の地位も大工の息子ということで、
貴族階級ではなく、労働者階級、
つまりプロレタリアート! なのです。
だからこそ庶民の共感も得るし、すべてのひとに受け入れられるのかもしれませんね。
本題に戻るよ。ダビデの話。
ダビデも王になる人物ですが、彼もスタートは意外にも羊番でした。(サムエル記Ⅰ 16章11節)
(前略)「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。
「人をやって、その子を連れてきなさい。その子がここに来るまで。私たちは座につかないから」。
そして13節で驚くことが起こります!
サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。
主の霊がその日以来。ダビデの上に激しく下った。(後略)
すげー! 神に選ばれるべき人間は他にもいろいろいたわけですね。
それだけど、羊の番をしていた末っ子のダビデが選ばれた。
主の霊がダビデの上に激しく下った、というのはダビデに神が下りたと解釈するか、
ダビデには神の加護がその後ついたと考えられそうです。
これはそのままダビデが王に選ばれたのと同義。
しかしだからと言ってイスラエルの人々はダビデをすぐに王として認めるわけがありません。
果たしてどのように認められていくのか?!
ここからがまた面白いんですよ。つづくっ!