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熊本から気ままに山と自転車のブログ

清田家住宅・七所宮の石造宝塔

清田家住宅・七所宮の石造宝塔
2022/8/15(月) 晴/曇/にわか雨

今日の最高気温予報は33°降水確率40%と厳重警戒ではあるが、雨雲レーダー予想と1時間予報を見ると、午前中3~4時間は何とかなりそうなので午前9時前からポタリングに出る。
目的地は、先日と同じ片道20km圏内の熊本市南区市指定文化財「清田家住宅」「七所宮の石造宝塔」探訪のリベンジとする。
ルートは、「くまもと自転車紀行」の「のぶ」さんがよく利用するらしい新幹線側道を南下し、川尻から緑川を渡り堤防道路を左折する。

緑川堤防左岸側の熊本市南区富合町釈迦堂の堤防下に、漆喰壁・長屋門の立派な住宅が見える。熊本市指定有形文化財の清田家住宅(写真1・2参照)である。
熊本市ホームページには、「清田家の先祖は、豊後国主大友氏の支族であったが、細川氏豊前国統治時代、初代五郎太夫は忠興の家臣となり、弟寿閑の娘・吉は立孝(宇土支藩祖)、興孝(刑部家祖)を生んだ。近世後期に本家を嗣いだ栄太は、明治維新後城下を離れ、縁故のあったこの地で地主業に転じた。
清田家の敷地内には、主屋を中心に長屋門、米蔵、外塀、内塀が残されている。建築年代は米蔵が明治6年(1873)、主屋が明治9年(1876)である。主屋の内部は、東側に家族の生活の場である茶の間、土間、西側に接客のための玄関、座敷が続く。
この形式は、江戸時代末期の庄屋造りを踏襲するものの、屋根は入母屋、瓦葺きである。また内部の柱・梁・桁などの部材は太く、このため力強い生活空間を形成している。」とある。
駐車場に在る建屋には、大友氏と同じ家紋が付いていた。


清田家を後にして、先日に続き城南町宮地の「七所宮」(写真3参照)に参拝する。
今日は終戦記念日だからか、毎日の事か参拝している人を見かけた。


楼門を潜って右側に神輿保管庫(写真4参照)が新しく建っている。


目的の熊本市指定文化財の石造宝塔(写真5参照)は、この建屋中の右側に移設してあった。
熊本市ホームページには、「本宝塔の素材は、阿蘇熔結凝灰岩。宮地神社(通称、七所宮)に所在。・・・塔身に鎌倉時代の紀年銘が刻まれる。・・・各部の高さは基礎石台座19cm、塔身45cm・・・塔身は、四方に仏龕が刻まれ、それぞれに金剛界四仏の阿シュク 如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来と思われる座像が蓮華座上に半陽刻される。表面がかなり風化しているが、四仏の像容は鎌倉前期の面影を留めている。現在地で南面する仏龕の右側に「天福二年(1233)十一月 日」、左側に「大勧進僧□秀」と陰刻される。本塔を紀年銘作例として基準作とすると、共通点の多い城南町高の石造宝塔を、本塔とあまり年代の変わらない作と比定する根拠となっている。また、この種の宝塔では、野田大慈寺の県指定重要文化財宝塔塔身に刻まれた元仁元年(1224)銘に次ぐもので、貴重な作である。・・・」とある。


帰路の途中、後30分という所で雨になった。にわか雨と思い30分程雨宿りをして13時帰宅するも、帰宅後また雨になった。
また々々幸運に恵まれた。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→清田家24km →熊本(自宅)
所要時間4時間(実3時間) 総計42km 走行累計50,227km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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