最近、大学の教員になった弟と授業について話をしていて、よく思う事に、授業スタイルを変えていく必要性を感じています。
これまでの「発問→挙手→指名→発表→板書」という流れの授業は授業の課題提示ぐらいまでで、後はペアやグループで学習していく形がいいのでは?
という思いです。
勤務している地区の教育事務所が「1人1人の学びを見ることを大事にします。」と掲げたことがあり、その際に、授業スタイルが大きく変化する事を期待したのですが、授業の基本的な流れについては以前のものを踏襲したため、何も変化しないまま数年が過ぎています。
1人1人の学びを追いかけていくと、学力上位の子や、下位の子は、教師の発問に対して、学べていない事がよく分かります。
30人が均質な高等学校ならとにかく、義務教育段階では、上位から下位までさまざまな子がいる中で、全員に通用する発問というものはほとんど作れないのではないでしょうか?
これからの時代を生きていく子ども達に必要なのは、「教えられて分かる力」ではなく、「自ら学びとる力」であると考えます。
教師の発問や教材研究によって、分かりやすく料理された教材なら学べるけど、教科書の原文からは学べないというのは、これからの時代を生きる子供たちとしては厳しいものがあると思います。
国語の教科書を子ども達に読ませて、感想について話し合わせていると、けっこう、指導書にあるような発問を子ども達自身で考えだします。
例えば、「ごんぎつね」で、「最後のけむりが青いのがおかしいと思った。煙は白い。」とか、
「鶴の恩返し」で「おつう。おつう。おつう。」と3回繰り返しているから、何か強い思いがあるんだよ。」とか、
この子ども達の素朴な疑問や気付きを、全体に返さなくても、グループの子ども達で共有して、なぜ、けむりが青いのか?、繰り返しに込められた思いはどんなものか?などのテーマで学んでいく事で、子供達なりの深い学びに入って行く事ができます。
学力下位の子も、上位の子も一緒に学べる授業とは、全員が同じ事を同時に学ぶ授業ではなく、それぞれが自分なりの課題を見つけて、分からない事は近くの友達を頼りながら進めていく、そんな授業ではないか?と思います。
特に、育てたい資質や能力が、「自立した学習者」や「メタ認知能力」、「自ら学び取っていく力」であるなら、教師が与えるのではなく、子ども達自身が課題を見つけること、そして、教師に教えられて理解するのではなく、自分でテキストを読んで理解していくなどの学びが必要になって来ると考えます。
「自ら学び取っていく力」を鍛える為に、あえて指導しない授業スタイルが求められているのだと思います。
具体的には、「音読→個別課題設定→ペアorグループ学習→個別まとめ」という流れでいいかと思います。
近年、学びから逃走する子ども達の話題をよく聞きます。授業中に廊下に出て走り回る子ども達や、教室の後ろでタブレット端末を使ったゲームに勤しむ子ども達は、教師主導の発問から、こぼれているのでは無いか?という疑念を少しでも持っていただければ、各学校、学級における学びが劇的に改善するのでは無いかと思ってあります。