さあ この門を通りますか?
時はいくつもの門にも似て
後戻りはけしてできないのです
通り抜けたあとのあなた
それはもう昨日のあなたではない
(画像と本文は直接の関係はありません)
年が明けて早々に連れ合いの癌の手術があった。半年にわたる抗がん剤治療の効果で、腫瘍は極小にまで小さくなり、入院も数日ですんだのだが、むしろこれからが正念場になるかもしれない。現在のところ転移の疑いのあった個所も抗がん剤で潰したらしく、あくまでも現在のところ転移個所は見当たらないようだが、原発部位の切除組織の検査結果次第では放射線治療も視野に入れなければならないらしい。癌もいろいろあるが、面倒くさいタイプの癌のようだ。
ただ、手術前ひと月は抗がん剤治療を中断するので、年末年始、連れ合いの体調は比較的良く、手術前は無理のない範囲で、あちこちに出かけた。
元旦、排気量110ccの小型自動二輪、スーパーカブ110プロの初走りは霞ヶ浦の妙岐の鼻(みょうぎのはな)湿原に。霞ヶ浦南部の新利根川河口域に広がる広大な湿原で野鳥の楽園。家族で行く下見を兼ねて行ってみた。
かなり広い湿原。冬枯れにもかかわらず、ここまで広いと爽快なものだ。元旦にも関わらず、(この写真には写していないが)カメラを構えた野鳥愛好家の列が。ただ、湿原の中を歩き回れるわけではなく、おまけに漠として広いので、素人というより、あくまでもマニア向けの場所に想える。それにしてもこの爽快な広さが好きだ。
霞ヶ浦が見えるところまで堤防の上を歩いて行った。このあたりは霞ヶ浦の南端の狭くなったところで、湖の幅もかなり狭くなっている。萌黄色の季節はとても良いだろうが、冬に家族で出かけるところではないと思い、近くの大杉神社周辺も参拝客の車で大渋滞だったので、大杉神社&妙岐の鼻プランは却下。
翌2日は筑波山麓の月水石(がっすいせき)神社に家族で初詣。旧門前町の駐車場に車を停めて、筑波山から続く山並みを眺めながらそぞろ歩き。筑波山神社周辺は大変な混雑だろうが、このあたりは静寂そのもの。あいにくの曇り空が残念だが、雨は降らなかった。
「月水石神社」と書かれた道標から参道ぽくなり、石の橋がかかっていた。
小さな石の橋からは小さな渓流が見える。澄んだ水の穏やかな流れだ。
月石水神社は本当に小さな神社だ。それでも筑波山周辺の神社は、小さくともそれぞれが独特の由緒を持っている。この神社の祭神はイワナガヒメ。ニニギノミコトの后のコノハナサクヤヒメの姉にあたり、本当は姉妹ともどもニニギノミコトの后となるはずだったが、ニニギノミコトはイワナガヒメを受け入れなかった。そのため、イワナガヒメの属性である「不死」はニニギノミコトの子孫、つまり「人」には受け継がれず、以来、人は死すべき定めとなった。もっとも、ニニギノミコトがイワナガヒメを后にしていたら、この世は不死の人、ある意味で神様だらけになってしまうのだが。
月石水神社を後にして、まだ時間があったので、もしも混んでいないのなら、土浦市の山あいの小町の里の日枝神社にも詣でてみることにした。春に流鏑馬の神事が行われるので、参拝客で混んでいるのではと思ったが、意外と空いていて、静かに参拝できた。写真に連れ合いと息子と娘が小さく写っている。朝日峠展望公園から飛び立つパラグライダーの着陸地が神社の近くにあるせいか、神社の駐車場でパラグライダーをたたんで車に積み込んでいる人たちがいた。今年の初飛びだろうか。
家路につく途中、トイレ休憩で寄ったコンビニから写した小町山周辺の山並み。ちょうど夕陽を浴びて山が燃え立つように赤々としていた。冬の枯れ山がモミジに覆われたようだ。
新年早々、国内外は天災、事故、戦争その他諸々の厄災の絶えることがなく、さながら末法の世は終わることなしの様相だが、それでも人は、そして僕たちは日々今日という日を生きて行くのだろう。
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