くらし手帖

甲状腺腫瘍摘出手術、子宮摘出手術をうけました。その備忘録と、その後の生活を綴ります。

再入院①

発熱から緊急入院

私が自宅に戻った4月上旬から1か月間。

ゲムシタビンを3週続けて打ち、1週休んだのが4月18日の週。

その間、畑を母と2人でやったり、 一度は外食をしたようでした。

ただ4月14日の3週目の抗がん剤治療の前、

採血で白血球が下がりギリギリのラインだったようです。

しかし父は腹水が溜まるのが嫌なのか、 治療を受けると言って受けたようでした。

休薬期間中に体調も戻るかと思いきや、

しんどいと言って寝ている日が2日ほどあったようです。

それでも、 4月28日の次クールの1回目の抗がん剤治療前の採血で、

白血球の数値も戻っていたので、 普通に抗がん剤治療を受けて帰りました。

抗がん剤治療に通うには、 40分ほど運転して行かなくてはいけません。 田舎の実家近くには、がん基点病院がないのです。

初めは父が自分で運転して行き、 帰りは母が運転して帰っていましたが、

この頃には運転もしんどくなり、 母に任せていました。

29日発熱、30日入院

29日夕方、私は電話して父と話しましたが、まあ少しだるいかな と言っていました。

その1時間後に母が狼狽えた様子で、 38℃熱が出てる、どうしよう と電話が来ました。

本人は 寝てみて明日の朝熱があれば、 かかりつけ医に行って解熱剤もらうわ、 と言ったらしいです。

かかりつけ医への紹介状も書くから、 と言って1ヶ月も出してくれなかった調子の良すぎる主治医に怒りを覚えながら、

今行っても、コロナを疑われるし紹介状もないから、

いつもの病院に電話した方がいい、と言って電話を切りました。

そして次の日の朝、熱は一旦下がったものの、 また38℃を超えました。

土曜日でしたが、いつもの病院に母は電話をして連れて行った所、

PCR検査は陰性で、 検査の結果、胆管の詰まりが確認されたので、

急遽ステントを撤去する手術になり、再入院になりました。

今回の件でも、

遠く離れたわたしに、 全て委ねる母に苛立ちと重い責任を感じながら…

私は父のために頑張るのだと言い聞かせました。

つづく

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