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本「失われた時を求めて 7」プルースト

失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)

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5~7巻の「ゲルマントのほう」最終巻です。

前巻の終わりから数ヶ月が経ち、「私」は母の説得もありゲルマント公爵夫人のストーカーを辞め、恋心も冷めています。

そこに以前見かけた女性への恋心が生まれ、友人の仲立ちもあって3日後にその女性と会う約束を取り付けて盛り上がる想像に浮かれまくります。

「これはヤれる」とムラムラ悶々と過ごす描写が続き、挙げ句に当日キャンセルされて大ショックを受けてしまうという内容なのにプルーストの筆力にかかればっ立派な文学になるのがすごいですな。

この時、以前「私」が恋心を抱き本当に抱きつこうとしたら酷く拒否されたアルベルチーヌが訪ねてきます。もはや憧れの対象ではないアルベルチーヌとはたやすく良い仲になり、そこには大きく興奮もしません。「私」は人の名や土地の名などからイメージを膨らませての想像に興奮し、現実に手が届くと興味がなくなるということを繰り返します。

ゲルマント公爵夫人への興味も薄れたところに、その一流と言われるサロンへのお誘いが来ます。そのサロンでの様子がこの7巻の中心ですね。

社交界のスター、ゲルマント公爵夫人の知性、存在感とはどんなものかを中心にしてフランス上流社会の人間性を描きます。

「私」は「ゲルマント」という名にも過剰なイメージをもっていましたが実際に見知ったゲルマントの人々は「私」の考えた特別な人々ではないわけです。

しかしプルーストは上流階級の人々を特別にくだらない人たちとしているわけでは無いんですね。人間はどんな人も裏も表も良いところもひどいところもあるし、環境や年齢によっても人は変わっていくということをたくさんの登場人物で描いています。

前作の後半で「私」の祖母の死があったように、この巻の後半でも「死」の話があります。ゲルマント公爵がその日のお出かけを楽しみにしているところに従兄弟が危篤の報を受けて、なんとか生きていることを確認しお出かけが中止にならないように画策します。そこに久々にスワンが現れ、公爵のお出かけ寸前に自分が病気でもう長くないことを話します。そんなスワンの前で公爵は「私は死ぬほど腹が減っている」「あなたはピンピンしてるんだから大丈夫!」とデリカシーの欠片もないことを言ってお出かけに行くのでした。

これは公爵の軽薄さを書いているというよりは「死」というものが自分の立ち位置によってどれほど見え方が違うのかを書いているのかと思いますが、なんにしても面白いです。

次は新しい章「ソドムとゴモラ」になります。なんか同性愛の話が中心らしいですね。