<可能性=確率(+選択肢)>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。
社会情勢を踏まえ、2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第53回開催になります。
前回の第52回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は6名。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)
今回は、いつも進行役をやっていただいているひじき氏がお休みでしたので私が進行役を務めさせていただきました。
この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた
「可能性」
です。
自分の可能性を信じて追いかけるってどういうこと?「可能性がある」って何%?リスクと可能性の違いは?
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆「可能性」はポジティブに使われるのか
まずは、「可能性」について、上記のような問いが上がりました。
可能性が低いからと言ってチャレンジをやめてしまう。チャレンジしないのがもったいない、という意見でした。
ここでいう可能性とは何でしょうか。「成功する確率」と言い換えることができるでしょうか。
では「成功」とは?
何か自分のなりたい姿、自分の未来のある地点において目指している目標のようなものであると考えます。
であれば、ポジティブなのは、「成功」が持っていて、その「可能性(確率)」というものにはポジティブかどうかは、わからないということもいえそうです。
可能性とは、未来のある地点において、何かが起こるか、否かの確率を指す、ということは言えそうです。
◆「可能性」は無限大
前半戦中盤あたりで、言葉そのものについて探っていきます。
可能性は可能+性であるから、「可能でありそうなこと」。
①「成功する可能性」
②「生きている可能性」
③「可能性は無限大」
というような使われ方をします。
①と②は「確率」と言い換えても大丈夫なようですが、③は「確率」とはどうも違うようです。
③「可能性は無限大」という言葉は子どもに対してよく使うイメージがあります。
子どもが多く持っていて大人があまり持っていないこの「可能性」とはどういうことでしょうか。
仕事で考えると、子どもの時はプロ野球選手にでも、宇宙飛行士にでもなれる可能性がありますが、40歳を過ぎて、運動不足で専門的な学習もしてこなかった只のサラリーマンが、プロ野球選手や宇宙飛行士になれる可能性はほぼゼロに近い。
ここまではわかります。でも0~100%までの「確率」が「無限大」になるとはどういうことか。という答えはよくわかりません。
「詩的な表現」という意見もありましたが、「無限大」はたしかに大げさではあります。
「『選択肢』と言い換えてみたらどうでしょう」という意見があって、あぁなるほどと思いました。
「選択肢は無限大」と言い換えると、違和感がありません。無限大が詩的であることは変わりませんが。
子どもたちは、将来何になるかについての選択肢があって、高齢者にとってはその選択肢が限定的になります。
高校生までは、ある程度どんな正体が待っているかは未知数ですが、大学に入ると自分が学ぶ分野を選択し、就職で仕事していく職種を選択し、年齢が上がっていくほど、できる職種は限定的になっていきます。
もちろん、その壁を破って異なるジャンルの仕事にチャレンジすることができますが、それには大きなコストや労力がかかります。
◆可能性と期待値
「可能性は期待値と言い換えるとどうだろうか。」
という意見がありました。
ちょっと数学的なアプローチでしたが、これがまた面白い方向に進んでいきました。
長くなってきましたので、後半戦は日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!