EVER GIVENの座礁事故により一時はヒヤリとさせられた海運業界でしたが、無事に離礁に成功し、混雑の解消には数日かかるものの徐々にスエズ運河の交通は平常に戻りつつあります。
(2021年3月31日時点)


さて、スエズ運河、パナマ運河と並び世界3大運河のひとつとして数えられる運河に、キール運河があります。

ドイツ北部、ユトランド半島の根元を横切り、北海とバルト海を結ぶこのキール運河の歴史は古く、その起源は18世紀末にさかのぼります。


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12世紀ごろからおもにハンザの商人たちによって開拓された北海・バルト海沿岸の交易路において、冬季に荒れ狂うユトランド半島の迂回ルートは航行のおおきな難所でした。

大航海時代を迎え、ハンザ商人の隆盛も落日を迎え、ヨーロッパの通商が太平洋・大西洋に向けて大きく舵切ったとは言え、北海とバルト海を安全に行き来することは航行する商船の悲願でもありました。

そして18世紀の終わり、1784年に、当時半島南部を統治していたデンマーク王クリスチャン7世の命によって運河が建設されました。

これがキール運河の全身ともいえるアイダー運河です。


アイダー運河はその後約100年にわたって北海・バルト海沿岸の通商の要衝としての役割を果たしましたが、いかんせん幅31m、深さ3.5mの小さな運河は船型の大型化と交通量の増加に対応することができず、すでに運河を支配下におさめていたドイツは運河の拡張建設に乗り出し、1895年、現在の運河の元となるキール運河が完成しました。


一時はナチス政権下でドイツの専有的な運用がなされていましたが、現在では国際運河として世界中のどの国の船舶でも自由に航行することができています。

今回、スエズ運河の事故により海運上のチョークポイントとしての運河が大きな話題となりましたが、このキール運河もヨーロッパの人たちにとっては生命線ともいえる要衝であることは間違いありません。