リチャード・クレイダーマン「渚のアデリーヌ」、フロイド・クレーマー「ペーパーマッシュ」、バッハ夫婦のラヴァーズ・コンチェルト、チャック・マンジョーネ、ディオンヌ・ワーウィック、ドティ・ウエスト、ブレッド、サラ・ヴォーン、薬師丸ひろ子、クレイダーマン色の名曲たち、つくられたピアニスト、ピアノ教室、NHK長野放送局「6時のジョッキー」、音速の貴公子アイルトン・セナ、長野県、テネシーワルツ、カントリー、ナッシュビル・サウンド、洋楽。
 
 

昭和の香り【6】

あなたは何色ピアニスト? ~ 音即のピアノの貴公子



◇ローカル色のラジオ番組

前回コラム「音路(61)昭和の香り【5】イージーラジオ深夜便~本当に相思相愛?」の中では、FM放送やAM放送の深夜の黄金番組をいくつかご紹介しました。
その中ではとりあげませんでしたが、今回のコラムは、まず、昭和時代のNHKのひとつのローカルFMラジオ番組のことを書きます。

* * *

70年代から80年代の一時期に、私は長野県長野市に暮らしていたのですが、その頃によく耳にした長野県ローカルのNHK-FMラジオ番組に「6時のジョッキー」という番組がありました。

今もそうですが、NHKテレビ放送の午後6時台というのは、各県のローカル放送の時間帯です。
ニュースや地元の話題などを取り上げる番組が放送されます。
各県の民間放送でも、そうしたことが多いと思います。
午後7時になると、全国放送の番組に切り替わりますね。

実は、戦後の昭和時代の特に80年代頃までは、NHKのFMラジオ放送も、それと似たようなことが行なわれていました。
午後6時台に、各地元に特化した音楽番組や娯楽情報番組が、各地元のNHK-FM放送でよく放送されていました。
土曜日の昼過ぎの午後も、そうした地元局制作のNHK-FMラジオ番組がつくられていました。

長野県であれば、特に中学生や高校生、若い世代に向けた、音楽トーク番組が午後6時からの50分間の番組「6時のジョッキー」でした。
その番組では、進行役である「DJ(ディージェイ:ディスク・ジョッキーの略)」を、たいてい20歳台くらいの若い女性が行なっていました。

そして、そのDJたちは、アナウンサーでもタレントでもない、おしゃべりの仕事をしたことのない、地元の一般市民の中から選ばれていました。
特に訓練された話術ではありませんが、地元の一般市民としての私見や、飾り気のないトークは、後輩である年齢の中高生の人気となり、その当時ですので、葉書や手紙で、彼らの悩みや思いが番組に寄せられ、その番組の中で多く語られていました。
トークに未熟さはあっても、それに応じた楽曲を流し、後輩の彼らからしたら、少しだけお姉さんの年齢のDJたちから、心の込もった多くの励ましをもらっていたのです。

全国放送の番組では、なかなかこうした現象は起きにくいものですが、ラジオの向こうの語り手が、同じ県のすぐ近くの街でしゃべっているという、この親近感は、まさに地元番組の魅力であり、最大の強みです。
地元にしか生まれてこない、ラジオ放送の色ですね。

ラジオの最大の魅力は、聞く人の近くにしゃべり手がいるということですね。
テレビ番組では感じることはありませんが、何かラジオは、聞き手がラジオのしゃべり手と、向かい合って座って話しをしている感覚にもなりますね。

実は、このラジオ番組「6時のジョッキー」の女性DJの中のおひとりが、私の近所に住んでおられたので、その方の放送回はよく耳にしたのです。
そうでなくとも、身近に感じるラジオ番組なのに、さらにDJが近所に暮らしておられるとなれば、応援するしかありません。
時代が変わっても、世の中の人の人情や心理とは、そんなものですよね。
甲子園野球大会に出場する地元県の高校や、地元県出身のオリンピック選手を、急に思入れたっぷりに応援したりする感覚にも似ていますね。


◇古き良き「カントリー色」

さて、この番組のテーマ曲が、フロイド・クレーマーさんの楽曲「ペーパーマッシュ」でした。
ある時期からは、チャック・マンジョーネさんの楽曲「フィール・ソー・グッド」に替わります。

フロイド・クレーマーさんは、60~70年代のイージーリスニング系音楽のピアニストとして有名だった人物ですが、実は、米国テネシー州出身のカントリー音楽畑のミュージシャンで、ロックポップス分野でも人気だった方です。

* * *

米国には、1950年代後半から60年代にかけて人気となった、カントリー音楽をベースにした「ナッシュビル・サウンド」という音楽ジャンルがありました。
その中心地が、テネシー州のナッシュビルという街です。

私は、音楽を、勢力争いのように細かにジャンル分けをするのが好きではありませんが、一応「ナッシュビル・サウンド」は、後に、もう少し洗練されたポップス色を加えた「カントリーポリタン」や「カントリーポップ」へと進化していきます。
「ナッシュビル・サウンド」は、昔ながらのカントリーの匂いのする、古き良きカントリー色がたくさん詰まっている気がしますね。
他のいろいろな音楽分野の影響を受けながら、ちょっとカッコいいポップス音楽へと進化していく流れが、この時代だったかと思います。
後のグレン・キャンベルさんや、ケニー・ロジャースさんも、この流れの延長上にあるのだろうと感じます。

今でも、米国のメジャーリーグの野球の試合を見ていますと、アメリカ南部の野球場での試合の際に、アメリカ国家を「ナッシュビル・サウンド」風に斉唱されることがあります。
やはり、米国人の心のふるさとの音楽なのでしょうね。

フロイド・クレーマーさんは、「ナッシュビル・サウンド」の代表的なミュージシャンといっていいと思います。

前述のラジオ番組「6時のジョッキー」のテーマ曲です。
「ペーパーマッシュ」とは、紙でつくった張り子のお人形のことです。

♪ペーパーマッシュ

 

* * *

実は楽曲「ペーパーマッシュ」は、あのポップスの名曲をたくさん残したバート・バカラックさんが作曲した作品です。
「張り子」じゃなくて、まさに本物!
この楽曲は、カントリー曲ではありませんね。
この楽曲は、ディオンヌ・ワーウィックさんも歌詞をつけて歌っていました。

♪ペーパーマッシュ

 

* * *

フロイド・クレーマーさんが演奏したこの楽曲には、「ナッシュビル・サウンド」のカントリーフレーバーの軽快な味わいが加わり、新たな魅力がつくられましたね。

下記映像には、サックス、ピアノ、マンドリン、トランペット、ギター、のソロの順番で、ナッシュビル・サウンド演奏が登場します。
チャット・アトキンスさん(ギター)とフロイド・クレーマーさん(ピアノ)の共演…、米国のカントリー音楽番組です。


♪ナッシュビル・サウンド映像

 

下記映像は、カントリー音楽畑出身で、まさに米国ポップスの大御所ジョニー・キャッシュさんが、彼を紹介する映像です。
こんな貴重な映像が残っていたとは…。


♪ラスト・デート

 

下記は、テネシー州出身の歌手ドティ・ウエストさんが、若い頃のナッシュビル・サウンドのヒット曲を、ずっと後の1979年に歌った映像です。
カーボーイハットをかぶったお客さんが、たくさんいますね。
日本でいえば、昔の昭和の大物演歌歌手を、ずっと忘れずに、大勢が応援し続けているようなことに似ているのかもしれませんね。


♪ヒア・カムズ・マイ・ベイビー

 


◇フィール・ソー・グッド

NHKの、いち地方ロ―カル番組のテーマ曲としての選曲「ペーパーマッシュ」でしたが、この曲といい、これに続くテーマ曲であったチャック・マンジョーネさんの楽曲「フィール・ソー・グッド(Feels so good)」といい、午後6時からの放送時間帯にあわせた、長野県の山なみの夕焼けによく似合う、「フィール・ソー・グッド」な素晴らしい選曲センスだと、当時、強く感じたものです。

今回は、アルバムバージョンのほうで…
♪フィール・ソー・グッド

 

チャック・マンジョーネさんのお話しは、この連載「昭和の香り」の最後にも…。


◇ラヴァーズ・コンチェルト

もう少しだけ、フロイド・クレーマーさんの軽快なアメリカン・ピアノ演奏を…。

ラジオ深夜放送「オールナイトニッポン」でも流されていた…
♪メイク・イット・ウィズ・ユー

 

上記の曲の原曲は、ブレッドが1970年にヒットさせた楽曲「二人の架け橋」です。
♪二人の架け橋(メイク・イット・ウィズ・ユー)


* * *

 

フロイド・クレーマーさんの、カントリーのような、ポップスのような、クラシック音楽のような…ピアノ演奏。
♪ラヴァーズ・コンチェルト

 

一応、この曲のオリジナルは、1965年に米国のグループ「ザ・トーイズ」が歌った同名曲です。
トーイズの…
♪ラヴァーズ・コンチェルト

 

この曲は、昭和の時代に、日本の尾崎紀世彦さんや奥村チヨさんなどの、歌唱力のある歌手たちが、こぞって歌っていましたね。
近年では、薬師丸ひろ子さんの歌唱が、とても素敵です。
彼女の声質にピッタリだと感じます。

薬師丸ひろ子さんの日本語歌詞で…
♪ラヴァーズ・コンチェルト

 

とはいえ、この曲の歌唱で、まず最初に思い出すのは、やはり、サラ・ヴォーンさんですね。
彼女には、ちょっと かないません…。
昭和世代には、昭和を思い出し、泣きそうになる歌唱です。
当時、クラシック音楽ファンも、相当に はまった楽曲でしたね。

サラ・ヴォーンさんの…
♪ラヴァーズ・コンチェルト

 

* * *

先ほど、この楽曲「ラヴァーズ・コンチェルト」のオリジナルがトーイズだと書きましたが、クラシック音楽ファンは、きっと激怒したはず…。
どこまでをオリジナルとするかは、当事者たちの考えひとつ…。

ただ、この曲の主要メロディの本当の原曲は、この曲です。
あえて、ピアノ演奏で…

♪メヌエット・ト長調 BWV Anh. 114

 

この曲は、長い間、J.S バッハの作曲だと思われていましたが、近年の研究の結果、クリスティアン・ペツォールトの作曲だということに変更されました。
このメヌエット曲には、実は、よく似た、姉妹の妹のような、夫婦の旦那さんのような、落ち着いた雰囲気のもうひとつの楽曲があります。

♪メヌエット・ト短調 BWV Anh. 115

 

この両曲は、作曲家バッハの奥様の所有物「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」の中におさめられていた曲で、作曲者名が書かれていなかったことから、長く J.S.バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の作曲だと思われていました。
本当は、クリスティアン・ペツォールトという、現代ではあまり知られていない作曲家の作品のようです。

ただ、前述の「ト長調」と「ト短調」の両方ともが、クリスティアン・ペツォールトの作曲なのかは、よくわかりません。
ひょっとしたら、どちらかは、バッハの作曲かもしれませんね。

* * *

「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」は、バッハの奥様アンナのチェンバロ練習のために、多くのタイプの曲を かき集めたような楽譜集です。
アンナの好みの曲が集められているようにも感じます。

ただ、この楽譜集を、アンナが自発的にひとりで編纂できたとは考えにくく、旦那様のバッハの意見が相当に反映されているだろうと思います。
ひょっとしたら、アンナの習熟度や練習の方向性を考えて、ほぼバッハがすべて選曲し、楽譜にしたようにも感じます。
ただ、アンナの好きな曲、弾きたい曲も考慮したようにも感じます。

* * *

この楽曲「メヌエット」は、今でも時折、バッハの作曲と記載されていることがあります。
バッハのすべての楽曲には、後世に付けられた「BWV(ベー・ヴェー・ファウ)」の後に数字が書かれた、楽曲の目録番号・識別番号があるのですが、今は「BWV Anh(ベー・ヴェー・ファウ・アンハング))」というかたちで「Anh」が追加される場合があります。
これは、バッハ自身の作曲かどうかが判明していない、疑わしい可能性がある楽曲の場合に付けられています。
「Anh」が付いていたら、バッハの作曲ではないかも…。

ともあれ、皆さまは、どうして、このよく似た「長調(メジャー)」と「短調(マイナー)」の二曲が、仲良く並んで存在していると思われますか?


◇バッハ夫婦の、愛のコンチェルト!

前述の女性「アンナ・マグダレーナ・バッハ」とは、J.S.バッハが、死んだ妻の後に「後妻」として迎えた女性で、年齢が16歳も離れた若い有名女性人気歌手でした。
バッハ36歳、アンナ20歳の結婚です。
1700年代のお話しですから、今の時代の「歳の差婚」の感覚とは比べものにならないかもしれません。
でも当時においても、有名人なら、めずらしいことでもなかったですね。
今でいえば、ベテランの人気作曲家が、16歳離れた、超人気アイドル女性歌手と結婚したというようなことを想像します。

* * *

バッハには、死別した先妻マリアとの間に7人、アンナとの間に13人の子供ができました。
アンナと結婚した時は、3人が亡くなり、4人の子持ちの父親でした。
バッハは、夫婦の相性が相当によく、仲が良かったのかもしれません。
相当な子だくさん夫婦です。

実は、バッハ自身は9歳の時に母親と死別し、その翌年には父親とも死別します。
バッハは22歳の時に、まさに同じ境遇の孤独な女性マリア・バルバラと最初の結婚をします。
この時の記念の曲が「小フーガ(リトル・フーガ) ト短調(BWV578)」といわれています。
結婚の祝いというよりも、二人それぞれの、さみしい境遇をなぐさめ合うようにも聴こえてくる曲ですね。

♪小フーガ ト短調

 

* * *

先妻マリアとの間に生まれた7人の子供のうち、3人は早世します。
旅先でマリアの急病死を知り、自宅に戻り、バッハは4人の子供をかかえた独身の父親となります。

そして、16歳年下の人気女性歌手のアンナ・マグダレーナと結婚し、13人の子供をもうけます。
ただ、そのうち成人できたのは6人です。
三百年前ですので、医療レベルは、現在とは比べものになりませんね。

バッハは、さみしい生い立ちや、多くの子供たちとの別れを経験することで、人に対する深い愛情と優しさを持っていたようにも感じます。
バッハの作る音楽は、バッハ家族の心の拠り所だったでしょう。

* * *

さて、バッハは、若い愛妻アンナのチェンバロの練習のために、彼女の習熟度にあわせて、数々の練習曲を作曲し、練習用楽譜集「音楽帳」を用意しました。
彼は、16歳も年下の若い奥さんに、それはそれは 熱を上げていたのかもしれませんね。
当時はまだ、ピアノは誕生しておらず、チェンバロやオルガンなどのクラヴィ―ア鍵盤楽器の練習です。

この両メヌエットは、歌手である彼女の楽器練習帳の中にあった小さな楽曲で、実はそれぞれの楽曲には、作曲者名が書かれていませんでした。
あくまで、彼女の練習用として、楽曲名や識別記号程度しか書かなかったのかもしれません。

後世の人間が、すべての曲が、バッハの作曲だと思ってしまっても仕方ありませんね。
当時の他人が作曲した人気曲も、彼女が楽しく練習できるようにと書き込んだのかもしれません。
若い人気歌手の彼女ですから、当時の人気曲のメロディを口ずさまないはずはありませんね。

「私、この曲で練習したいの…」
「お~、わかった、わかった…かわいい奥様!お姫様!」

この「メヌエット」は、彼女の大のお気に入り曲だったのかもしれませんね。
実は、今でも、「メヌエット」から生まれたポップス曲「ラヴァーズ・コンチェルト」から、バッハを好きになる方が少なくありませんね。


◇音楽という「愛の贈りもの」

私の想像ですが、似た「メヌエット」の二曲が、この練習帳にあるのには意味があるのではないかと思います。
一曲がアンナ、一曲がバッハで、夫婦をあらわしているのではないか…?
ひょっとしたら、「BWV Anh 114」がバッハの作曲で、「BWV Anh 115」がクリスティアン・ペツォールトの作曲ではないのか…?
もともと楽器の練習帳に載せたものですので、何かの音楽理論の教育のために、バッハが似た二曲を並べたのかもしれません。

今現代のピアノ教室の先生のように、バッハも、アンナに、「長調」と「短調」の違い、バッハ音楽の「調」の醍醐味などを、この二曲で説明し演奏して聴かせたのではないかとも想像します。

この「メヌエット」は、今、ピアノ教室の先生が10人いたら、10通りの教え方がきっとあると思います。
バッハなら、どう教えたでしょうね?

世の中には、華やかな長調の「BWV Anh 114」よりも、愁いのある短調の「BWV Anh 115」のほうを好む方も少なくありませんね。

ともかく、夫婦のような、この二曲が、同じ音楽練習帳の中で、仲良く並んでいます。
実は、バッハの死去後、遺されたアンナは、遺産を継いだ先妻の子供たちとうまくいかず、悲しい生涯となってしまいます。
どんな気持ちで、この二曲の「メヌエット」を演奏したでしょうね。

* * *

バッハには、奥さんが二人いましたが、どちらの女性にも、相当に愛情を注いでいたことがわかります。
先妻のマリアの死を悼んでつくられた楽曲が「シャコンヌ」といわれています。
バッハは、先妻マリアの最期の顔を見ることも叶いませんでした。

先妻マリアの亡くなった1720年につくられた「無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番」より第5楽章「シャコンヌ」。
♪シャコンヌ

 

「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」は、おそらくアンナのお気に入りの曲や、バッハがアンナのために作曲した楽曲が多数集められたものだろうと思います。
その中から、アンナに贈られたであろう、この曲を…
♪ゴールドベルク変奏曲から「アリア」

 

この二曲の雰囲気の違いは、先妻のマリア・バルバラと、後妻のアンナ・マグダレーナのそれぞれの魅力を、しっかり表現しているのかもしれませんね。
それにしても、まったく異なるタイプの、美しすぎる楽曲です。

* * *

今現代の音楽家の中にも、奥さんや子供の楽器練習のために、習熟度にあわせて、自ら何曲も作曲し、その時代の他者の人気曲なども盛り込み、楽しみながら練習できる練習用教則本をわざわざ作るという方が、どれほど おられるでしょうか?
バッハの面倒見の良さには脱帽です。

いずれにしても、三百年ほど後の時代に、歌詞がついて、若干 手を加えられ、これだけ世界で愛される曲になるのですから、音楽の生命力とは すごいものです。
ぜひ、アンナの当時の歌声で「メヌエット(ラヴアーズ・コンチェルト)」を聴いてみたいものですが、さすがに300歳ほどの歳の差は埋められませんね。


◇愛されるメヌエット

今現在でも「バッハのメヌエット」と記載されることが少なくありませんが、作曲者が誰であろうと、下記の歌唱映像の中で 指揮する先生が怒りだそうと、「そこに この楽曲が存在してくれているだけで、私たちは 心が踊り出すのよ!」…そんな下記の映像です。

「メヌエット」の本来の意味は、「心が小躍りするような、小さなステップ」!
バッハも、若い奥様に、毎日が小躍り?
♪メヌエット

 

ギター演奏でも…
♪メヌエット ト長調・ト短調



◇ピアノの貴公子、リチャード・クレイダーマン
 

ここまで、アメリカのピアノの貴公子であるフロイド・クレーマーさんを中心に書いてきましたが、次はフランスのピアノの貴公子です。

フランス出身のピアニスト、リチャード・クレイダーマンさんです。
リチャード・クレイダーマンとは英語読みで、フランス語圏では、リシャール・クレイデルマンさんです。
日本では英語読み。

彼は、昭和時代のイージーリスニング系のピアニストの、まさに王様かもしれませんね。
1970年代以降、どの分野の音楽ファンでも、彼の顔とその楽曲を知らない人はいないでしょう。
昭和時代の喫茶店の店内で、いつも流れていた、まさにカフェのBGM音楽の王様でしたね。

1976年(昭和51)、彼はこの曲で颯爽(さっそう)と登場してきました…
日本のレコード発売は1978年(昭和53)。
下記の映像は、デビューから37年後の2013年の姿…
♪渚のアデリーヌ

 

非業の死をとげたダイアナ妃ですが、結婚時に捧げられたといわれる曲…
♪レディ・ダイ

 

♪午後の旅立ち

 

♪愛のクリスティーヌ

 

♪秋のささやき

 

♪星のセレナーデ

 

♪愛のコンチェルト

 

いろいろな意味で問題曲…
♪恋はピンポン

 


◇どんな曲でも、クレイダーマン・ワールドに…

名ピアニストは、その楽曲のチカラに引き込まれるのではなく、まさに自身の演奏のチカラで、自分の音楽に変えてしまいますね。
瞬間で、クレイダーマンの音楽世界にしてしまうあたりは、すごい彼のチカラです。

スティービー・ワンダーさんの名曲が…
♪心の愛

 

美空ひばりさんの名曲が…、これはパリのセーヌ川?
♪川の流れのように

 

あの映画の名曲が…。
後半、クレイダーマン節でそこまで駆け上がらなくても… でもこれが「伝家の宝刀」クレイダーマン節!
♪ある愛の詩

 


◇つくられた「ピアニスト色」

このリチャード・クレイダーマンさんというピアニストは、実は、レコード会社等の音楽ビジネス業界が、つくり上げたピアニストです。

この「クレイダーマン」というお名前は芸名です。
名前は「リチャード・クレイダーマン」、デビュー曲は「渚のアデリーヌ」、演奏スタイルと音楽性もあらかじめ決めてあったものでした。
ミュージシャンとしての外見のイメージも決めてあったものです。
白色のグランドピアノと白い衣装が似合う、若い金髪のイケメン…。
ピアノ演奏法の「クレイダーマン節」もつくられていました。

ですから、優れた才能を持ったピアニストの原石を探し出し、その個性や作品の成長を支えていくというかたちではありません。
つくられた特定の音楽世界に当てはまる人物を探したのです。

70年代頃は、ロックバンドでさえ、レコード会社の意向で、演奏技量を考慮することなく、イメージに当てはまらないメンバーを、デビュー前にバンドやグループから除外したケースもたくさんありましたね。
今は、よく知りません。

彼の多くの楽曲は、一般の方々でも、すぐに自宅でピアノを弾きやすい編曲内容で、わかりやすいメロディアスなものが多くあります。
一般の方でもカッコよく見える、派手な聴かせどころが、たくさん入っていますね。
子供たちでも、「クレイダーマン節」さえできれば、クレイダーマンになった気分になれそうです。
ピアノや楽譜が、爆発的に売れそうな予感もしてきます。

レコード会社は、前述の「クレイダーマン戦略」にあったピアニストを、多くの応募者の中から厳選したのです。
まさに、ぴったりの外見のイメージ、ピアノの技量、音楽性、考え方を持った人物が選ばれたということです。
日本の今のアイドル集団の戦略にも似た部分がありますね。

ですから、彼はデビュー後も、そのイメージが崩れることなく、さらに進化成長していき、今現在でも、その「クレイダーマンの音楽世界」は維持されています。
もちろん、彼の本来の個性も反映はしているはずですが、もはや「一心同体(いっしんどうたい)」「一蓮托生(いちれんたくしょう)」といったところかもしれません。

* * *

彼は、世界各国の有名楽曲をピアノで演奏しますが、各楽曲の個性を尊重し、最初のほうで、そのメロディをしっかり表現します。
ですが、その演奏の後半は、たいてい「クレイダーマン色」に演奏を変えていくのです。

これは、クラシック音楽の演奏でも同じだと感じます。
ベートーヴェンやモーツァルトの音楽世界を表現するのではなく、あくまでクレイダーマンの音楽世界を表現するのです。

ここからは、クレイダーマン色に染まった名曲たちを…


◇クレイダーマン色の名曲たち

ドイツの作曲家のベートーヴェンの楽曲までが、クレイダーマン色に染まる…。
ベートーヴェンが聴いたら、何と言うでしょうね…
「このピアニストはフランス人かい? ちょっと軟派だな…」。

♪ピアノソナタ第14番「月光」より

 

♪ピアノソナタ第8番「悲愴」より

 

* * *

オーストリアの作曲家のモーツァルトは、何と言うでしょうね…
「自由に、優雅に、弾いちゃって…。この曲はピアニストが素敵に見えるはず…」。

この曲は、モーツァルト自身が、コンサートステージでピアノ演奏することを前提に本人が作った楽曲ですので、自身のピアノ演奏が美しくカッコよく見えてくることを念頭につくられた気もしますね。

 

この第二楽章は、「エルヴィラ・マディガン」という愛称で呼ばれる場合もあります。

これは、スウェーデンで実際にあった事柄を描いた1968年の映画「みじかくも美しく燃え(エルヴィラ・マディガン)」で使用されたためです。

この「エルヴィラ」とは女性の名前です。

高貴で裕福な男性と、サーカス芸人の女性によるカップルの、切ない不倫悲恋物語ですが、モーツァルトが生きていたら、自身の楽曲使用に喜んだかもしれませんね。


♪ピアノ協奏曲第21番より第二楽章

 

* * *

イタリアの作曲家のヴィヴァルディは、何と言うでしょうね…
「陽気に、いっしょに乾杯しようよ…」。
♪四季メドレー

 

* * *

ハンガリーの作曲家リストは、何と言うでしょうね…
「あれ、音符を少し減らしたな…」。
♪愛の夢

 

* * *

ロシアの作曲家のチャイコフスキーは、何と言うでしょうね…
「フランスとは、同じ国歌だったこともあったけど、この曲はフランスには渡さない!」。
♪ピアノ協奏曲 第1番より

 

* * *

イギリスのビートルズは、何と言うでしょうね…
「オール・ユー・ニード・イズ・ビートルズ!」。
♪ビートルズ・メドレー

 

* * *


パティ・ペイジさんや江利チエミさんは、何と言うでしょうね…
「広大な平原のカントリーじゃなくて、ベルサイユの森…」。

♪テネシー・ワルツ

 

* * *


日本の作曲家の山田耕筰さんは、何と言うでしょうね…
「ハイカラだね…、これは日本の道じゃないね…」。
この道 ~ ペチカ ~ 赤とんぼ ~ 中国地方の子守唄
♪日本の歌曲集

 

* * *

坂本九さんは、何と言うでしょうね…
「サンキュー…」。
♪上を向いて歩こう

 

* * *

もうすぐ、この季節…
あの方は、何と言うでしょうね…
「この音楽なら、トナカイたちのソリで、優雅に空を舞う…」。
♪ホワイト・クリスマス

 

とにかく、どんな曲でも、「クレイダーマン色」に染めてしまう彼のピアノ演奏ですね。


◇音即のピアノの貴公子

どの分野の習い事や教室でもそうですが、その指導者の考え方や技量が、生徒たちに、そのまま絶対的な影響を与えますね。
音楽分野の教室も千差万別…、もちろん指導に正解はありませんから、いろいろな指導タイプの音楽教室が存在します。

ピアノ教室にわが子を通わせている家庭でも、その目的や目標が大きく異なりますよね。
わが子に、ベートーヴェンやモーツァルトのような音楽家になってほしい…、しっかりとしたクラシックピアニストになってほしい…、クレイダーマンのような音楽の成功者になってほしい…、音楽を生涯の友としてほしい…、演奏技量よりも しつけ等の人間教育…など、さまざまにありますね。

クレイダーマンさん誕生の目的が、最初はビジネス優先であったとしても、彼の音楽が世界にもたらしたものは、絶大で、たいへん有意義なものだったと思います。
多くの人たちに、音楽の持つ夢や希望、幸せのチカラを感じさせてくれましたね。

* * *

昭和の名「F1ドライバー」に、アイルトン・セナ選手がいましたね。
彼は、レース中に事故死した伝説のカーレーサーですが、彼は「音速の貴公子(きこうし)」という呼称で呼ばれていました。
まさに「音速」のスピードで、サーキットを、人生を駆け抜けた人物でした。
いろいろな言葉で、人間の心理と自身の生き方を追求した人でもありましたね。
繊細な心と、真っすぐな性格をあわせ持った、孤高の「貴公子」のイメージです。
この「貴公子」像は、誰かによってつくられた人物像ではなく、彼の個性と技量そのものが生み出したものでしたね。

「ピアノの貴公子」のリチャード・クレイダーマンさんも、そのデビューの発端は違いますが、分野は違えど、孤高の「貴公子」のイメージは重なります。

同じ「おんそく」でも、クレイダーマンのほうは、「音速」ではなく「音即」…。
「そのピアノの音と演奏は、すなわち、そうクレイダーマン」といったところでしょうか…。

「その音楽はすなわち…」と呼ばれるような、個性あふれる音楽家やピアニストが、これからの日本の音楽教室などから次々に生まれてくることを願っています。

* * *

音楽分野に限らず、もし目の前で、生徒の子供たちが楽しそうに取りくんでいない…、心理的に努力を続けていくことができない…という状況に見えたら、それは先生や家族のほうが楽しそうにしていない…、意欲を失いかけている…、物事に挑戦する姿を見せていない…という場合も少なくありませんね。

昭和のベテラン世代の指導者には、子供たちと面と向かっての、熱血指導、愛情指導、ほめちぎり指導、無言指導などは、おそらく お手のもの…。
でも、なかなか難しいのは、振り返って自身の「後ろ姿」を見せること…。
時に苦痛を感じても、楽しそうに、意欲的に、困難や目標に向かい合う大人たちの「後ろ姿」を、子供たちには見せていきたいものです。
子供たちは、引っ張る大人たちの後ろ姿を、真っ白な気持ちで、しっかり見ています…、感じています。
自然と追いかけていくのかどうかは、その「後ろ姿」次第…。


◇白色からはじまる… / あなたは何色ピアニスト?

最後は、連載「昭和の香り」シリーズらしく、昭和オヤジの「昭和ダジャレ小話」を…。

今は、かわいい張り子の「ペーパーマッシュ」の子供たちを見守る、ちょっとクレイ・クレイ(cray cray:半端ねえ!)な、クレイドール(claydoll:粘土人形)の大人たち…。
クレオパトラも、美容や治療に、フランスの白いクレイ(clay:医療美容用粘土)をご愛用…?
わが子をピアノ教室に通わせている親御さん方は、わが子の「クレイ(clay:天性、資質)」を疑わない…。
多くの「クレイだ~!マン」たち… がんばって clay!

私にとって、フロイド・クレーマーさんは、カントリー系の木彫の茶色のピアニストで、リチャード・クレーダーマンさんは真っ白なフランスのピアノの貴公子のイメージです。
今の私は、白髪交じりの「gray(灰色)」の、 グレイだ~マン!

さてさて、ピアノを弾かれている今のあなたは、何色ピアニスト…?

* * *

もう一度、あの曲で…。
白い衣装、白いピアノで、まさに、音符や音色までが白い…。

わが子も、いつかは白い衣装で…、そして自分の色に…。

♪渚のアデリーヌ

 

2021.12.4 天乃みそ汁
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