一歩進んで二歩下がる!?

 人生は上手く行かない!

プラス、マイナスすると、少しマイナス。

こみちの人生って、いつもそんな感じ。

少し運気が上がったと感じたら、どこかでガツンと、しかも極端なほどに下がっている。

だからトータルすると、下がったまま。

父親のこと

同居する定年退職した父親は、「もう働きたくない」と口にする。

現役時代に頑張っていたから、それはそれでいいと思う。

でも、気になるのは母親への言動。

立場が変わり、お互いがイーブンになっても「お茶」「飯!」と顎で使う。

こみち世代にすると「ありがとう」とせめて感謝を伝えないことにヤキモキしてしまう。

年々、身体は老朽化していて、動かなくなってお腹が目立つようになった。

こみちは介護士で、施設で頑張る利用者たちと向き合うから、余計に父親が恵まれた状況で暮らせていることに気づいて欲しいと思ってしまう。

何も苦労して欲しいと思っている訳ではない。

自分に残された時間を大切に使って欲しいのだ。

母親のこと

最近、特に老けたと感じる。

年も年だからと思う反面、今までの暮らしを一向に変えようとしてくれない。

同居して、荷物が増えて、整理されないいろんなものがリビングに目立つようになった。

「少しは整理したら?」

言い出せない嫁に代わって言ってみるが、「今、使うところ」と返事する。

昔からこみち同様に「天然」と言われた母親だが、特に最近の会話は噛み合わない。

「違うよ。片付けしないのって聞いたんだ」

もう一度、そう聞き直しても、「使うんだって」と少し怒り気味に答える。

それで大体、こちらが諦めてしまう。

介護士の仕事

こみちにとって、介護士の仕事は好きじゃない。

でも利用者からは歓迎されていると思う。

特にそう感じる訳ではないけれど、他のスタッフから聞くと利用者の表情に違いがあるらしい。

でも、感情にとてもムラがあって、家に帰り一人になると外には出たくないし、人にも会いたくない。

介護士の仕事がある日は、その前日からとても気分が落ち込む。

でも実際に職場に行けば、利用者に助けられてどうにか務めを終えられる。

それでも、周りのスタッフが動いてくれないことや、事あるごとにこみちが前に出て頑張るしかない構図は、不満がないとも言えない。

一時間の休憩も30分から40分で切り上げ、仕事をしなければいけない働き方に、面白味とかやりがいは感じられない。

新しいiPad が買えないこと

本当に欲しいのかと言われたら、今使っているモノでもいいと答えてしまう。

YouTube を観ていると、人気YouTuber の方々がこぞって「新しいiPad 」を手に入れている。

でもこみちには買うことができない。

一体、そこにどんな差があるのだろう。

意外と、人生はプラスマイナス「0」だから、彼ら幸せそうに見えるのは「プラス」の部分を見ているからで、もしも「マイナス」に気づいたならきっとプラマイ「0」なんだと改めて思うはずだ。

そうな風に考えると、こみちが介護士として利用者から受け入れてもらえる状況は、「プラス」なのだと思える。

もしかすると、利用者とこみちの様子を見て、「あんな風になりたい」と思う人がいるのかもしれない。

こみちにすれば「当たり前」だし、そこにそんな価値があるとは思えないし、誰かが羨ましく感じるとも思えない。

でも、そうでも思わないと、「プラス」に感じるようなことが見当たらない。

中高年こみちの就活など

勤務している介護施設で、退職者が増えている。

あまり派閥とか、噂話に顔を突っ込まないから本当のところは知らないけれど、配属されたエリアのスタッフからも、「月末で辞めるんだ」と聞かされて驚いた。

みんな大人だから、不満を口にはしないで、「親の介護」とか「配偶者の体調不良」を理由にするけど、本当のところはよく分からない。

言えるのは、そうやっていろんなことを我慢して、周囲にすればいきなりに思える残念な結果を迎えていること。

父親や母親に接した自分に対しても思うけれど、施設長や上役の方々が意識を変えることがないのだから、有望なスタッフが抜けてしまうことも止められそうにない。

ある意味「黙認」状態なのだから、状況が悪化してしまうのはやむを得ない。

こみち自身、生涯働ける仕事を見つけたと思い、いろんなことを考えてみるけれど、上手く進んでいると感じることがある一方で、大半の部分は上手くいってくれない。

もしも介護士を辞めたら、こみちの人生は今以上に悪化するのだろうか。

そんなことを考えると、あれだけ辞めたいと思っている「介護士」を簡単に手放せない気持ちになる。

沼にはまったように悲しくなり、孤独感や不安感でとても落ち込み、でも妻や両親のことを思うと、落ち込んだ顔を見せられない。

夫婦二人で暮らしていた頃は、それこそ二人が休みの日は朝もゆっくりと起きたりできた。

でも両親の朝はいつも今頃の午前5時には始まり、そのうちに「朝ごはん」と言い出す。

いつの間にかこみちが朝食を作ることになり、仕事でいない時以外は休みでも早く起きてキッチンに立つ。

一方で、両親が他界した後は、また夫婦だけの暮らしに戻るだろうから、続けられる仕事も確立させたい。

大儲けしたいとは思っていなくて、暮らしていけるくらいでいい。

でも、それさえも中々苦労しないと手が届かない。

仕事がある日は辛い。

でも、新たに仕事が見つかるのかと考えたら、それもまた「不安」だったりする。

1日の中でも、この朝方は感情的にも落ち込んでしまう。