中高年の軌跡 「生命力」って何だ?

 人生を楽しく生きられるために

中高年と呼ばれる年代になって、「楽しみ」は意外とさまざまだ。

「テレビを観る」「酒を飲む」

他にも「楽しみ」は思いつくが、それでも「楽しいことは?」と問いかけられて答えることができない時がある。

例えば、こみち自身、思えば一年前は本当に精神的に低空飛行状態で、笑うこともできなかった。

しかも「笑っていないなぁ」と自分で感じることもできなくて、周囲から「少し休んだら?」と肩を叩かれて初めて自分の現状を知った。

「オレはウツっぽい」と思える内は対処もできる。

しかし段階的に下降していくと、どこで落ちたのかにも気づけないことがある。

つまり、「楽しい」と思える自分を維持することって、簡単ではなく、でも人生を歩んで行く時に大切なポイントだと思う。

「生命力」って何だろう?

ここで言う「生命力」とは、医学的な意味では無い。

むしろ精神的な面での話だ。

「生命力」をこみちになりに分析すると、「適応力」ではないかと思う。

介護の仕事を辞めて、副業を本業に格上げし、その分家事をするようになった。

朝は5時前に起きて、家族の朝食作りから始まる。

6時から7時頃になって、それぞれのスケジュールに合わせて家族が顔を出し、仕事に行く人は出かけて行く。

8時には父がリビングを陣取り、テレビを見始める。

一方、こみちが洗濯物や掃除、家事を始めるのもこの頃で、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら予定を片付けて行く。

まぁ、介護福祉士になるくらいだから、家事自体は苦ではない。

ただ心の中で、「主夫」で満足できるとは感じていない。

だから、仕事を全て辞めてしまいたくはない。

と言うのも社会との繋がり、仕事をさせてもらえることがどれだけありがたい事なのか分かっているからだ。

最近、今まで以上に「絵を描く」ことが楽しい。

同じ趣味を持つ人なら分かると思うけれど、「何でも描ける」まではかなりの画力を必要とする。

本当の初心者向けなら「花」や「りんご」などがいいし、もう少しステップアップしたら、ガラス素材のように「光」を描くテーマがいい。

その中で「石膏像」というと「美術」っぽいテーマで、自身の画力が計れるだろう。

ポイントは、「形の正確さ」さらに「陰影の自然さ」、最後が「存在感」の表現になる。

美大などでも「デッサン力」を試す試験として「石膏像」を描かされる。

一年くらい真剣に描き続ければ、誰だってある程度のクオリティーで描けるはずだ。

言い換えれば、「この一年」をどれだけ真剣に向き合えたかがポイントで、しかもこみちのような中高年ではなく、まだ未来がある10代でそれを成し遂げることに大きな意味がある。

参考に載せた石膏像のイラストは、こみちが昨日描いたもので、ここまで描くのに5時間くらい使っている。

気になる部分をさらに修正するなら、さらに数時間を注げば格段にクオリティーが向上できる。

しかし、10代の頃なら納得できるまで描けた絵も、今では「この辺でいいだろう」と根気が続かない。

それだけ何かに向き合う覚悟を持っても、昔のようには情熱を注げない。

言い換えれば、それだけ個性的な生き方ではなく、世間一般の生き方を望み、そこに憧れて行く。

つまり、若い頃は好きな方法でいいのだが、それこそ中高年になる頃には「常識」とか「キャリア」のような社会的な尺度を重んじるようになる。

一方で、改めて思うのは、こみち自身、10代の頃からずっと描いて来て、それを今でも続けて来られたことに感謝しているし、今後も描くことで人生を楽しみたいと思う。

きっとそんな「軸」となるものが、「生命力」の正体だろう。