中高年の日常 「老い」と「平穏」の繰り返し

 平凡な毎日の中でも

両親との同居中だが、改めて「両親も老けた」と感じる。

思えば、こみち自身が中高年で、親にとっては子どもでも、世間的には「おじさん」「おじいさん」の領域になっているのだから当たり前だ。

「絵」を描くことを意欲的に開始して、モチーフを探していろんなモノに意識を向けている。

昔は、人物、風景、静物など、「そこに存在している」ということを描いて来たけれど、今はYouTube でネタを探すことも多い。

芸能人はもちろん、一般の方も含めて、いろいろな想いを動画にできるから、普段では見ることができなかった「日常」が見えてくるのが面白い。

一回での収録というコンセプトで始まった「ファーストテイク」というYouTube チャンネルがある。

アーティストの皆さんが、殺風景なセットの中に立っているマイクに向かって、それこそ「歌声」だけの世界観で魅了させる内容だ。

歌い出す前の少し緊張した表情や仕草と、歌い始めてからの晴れやかな表情へと変化するのも興味深いが、「創造」の面白さを改めて教えてくれる。

こみち自身は、彼らも含めて人物の「表情」を特に描いてみたいと感じる。

一方で、未来ある「これから生きる若い人」を羨ましくも思う。

もしもこみちが20代に戻ることができたら、今とは異なる人生を選択していたはずだ。

現代社会の中で波風立てずに生きる平穏な生き方なら、大きな失敗もそうそう巡り会わない。

でも、中高年になった今、それでも平穏ばかりではなかった人生を選択してよかったとも思う。

昭和の頃なら多くの人が終身雇用を選び、初めて選んだ会社で40年くらい勤めて、定年を迎えて人生の余生をのんびり過ごす。

当時はどれくらいの期間が残されていただろうか。

それでも健康的に暮らせる10年くらいを、趣味や家族との時間に使っただろう。

近年では、60代はまだまだ若いし、70代でも健康的な生活を送っている人も多い。

80代を超えて90代になって、手紙を書きや新聞を読む人もいる。

辞書を開いて、大きな虫眼鏡で小さな文字を読むことを喜びと感じられるのだから、その年代に合った「幸せ」はまだまだ見つかるはずだ。

ただいきなり始められるのではなく、それこそ中高年、もっと言えば20代や30代の時から探し始めてもいいだろう。