コモディティ化が進むと

 コモディティ化とは

少し昔なら、軽自動車と普通車には明確な違いがあった。

もっと言えば、スポーツカーに乗ると胸がすくようなトキメキを感じられた。

しかし、車の性能が全体的に底上げされ、しかもかつてはマニュアル車が主力だった時代から自動変速機が高性能化されて、プロのような領域でない限り、もう機械任せで十分にさえ感じる。

では、「車の性能とは何か?」と考えた時に、操れるドライバーの力量よりも、車を開発する時に設定が選択基準になってくる。

しかも一般のドライバーであれば、どんな車種を選んだとしてもそれほど大きな不満はない。

もはや、車のデザインや燃費、価格といった項目が優先され、駆動方式やエンジン形式、出力などで決めることが減ってしまった。

そうなった状況では、これから新商品を開発する時にも、「高出力のエンジンを開発しよう」とはならない。

これは簡単な流れの話ではあるが、異業種でも似たようなことを起こり、ある意味で「どれを選んでもそんなに不満は無い」という状況が続く。

そして、その流れは更なるコストダウンを市場は求め、新たな開発にコストを掛けられない流れを招く。

それはつまり、100円と500円、1000円、さらに10000円の持つ価値観が数値以上に見出せないことを教えてくれる。

シンプルな機能で良ければ100円でも良いし、標準的な機能なら500円で十分。

その一方で10000円の商品には、どこにどんな価値を見出せば良いのかで迷走してしまう。

とは言え、各業界のトップブランドが、最上級の商品開発を諦めて、汎用性の高い商品にシフトしてくると、短期的には収益が見込めても、新たに開発の必要性を感じた時にはシフトしづらい状況に陥ってしまう。

今、求められる「仕事ができる人」とは?

コモディティ化が進む社会では、命令されたことを忠実に繰り返すスタイルの働き方は求められない。

もちろん、ルーティンワークは大切だけれど、給料をアップさせるために流れに逆光している。

軒並みの値上げが発表される中、我々労働者は改めて今求められている「仕事」とは何かを考えるべきだろう。

その意味では、すでに問題視された課題を熟すことではなく、まだ見出せていない課題を見つけ出す取り組みがとても大切で、その為の取り組みに力を注ぐべきだ。

優れた経営者でも、既存の方法に固執した経営から抜け出せない人は多い。

でもそのままでは、コモディティ化が進み、市場での価値が低下すれば、企業としての力も衰退するだろう。

そうならない為には、「課題」をどれだけ把握できているのかがポイントになりそうだ。

思うままでは、何も変われない。

課題すら意識できていないと、それこそコモディティ化の波に飲み込まれてしまう。