あとコップ半分のジュース
ペットボトルに残されたジュースは、もう一週間前からコップ半分ほどのままです。
父親が母親に「ジュースの予備ってあるの?」と訊ねて、こみちが次に見た時は冷蔵庫に新しいペットボトルが冷やされていました。
そして、今朝になって朝食を作るので冷蔵庫を開けてみると古いペットボトルはそのままで、新しいペットボトルが半分くらい飲まれています。
最近、こみち自身の性格も含めて、「大人の発達障害」について個人的にネットなどで調べていますが、大まかな括りとして「対人関係など距離感」が苦手だと分かりました。
母親は、「大人の発達障害」の特徴の一つ、落ち着きがないタイプで、あれこれと興味が変わってしまいます。
化粧の途中で、掃除をしたり、父親と雑談したり…。
その様子を見て、洗面台に行くと、化粧品が出しっぱなしのままということも珍しくありません。
やっと出掛けたと思ったら、まだ玄関前で何かしていたり、本当に出掛けてもすぐに戻って忘れ物を取りに戻ったりと、ことがなかなか進みません。
一方で、父親は自分視点で考えることはできます。
「やりたいことをどうすればできるのか?」を考えるのは得意なのです。
なので「ジュース、まだあるかなぁ?」と母親に言えば、母親が冷蔵庫の古いペットボトルを確認して「先にこれを飲んだらね!」と言わないことも知っています。
つまり、「あるかなぁ」で古いペットボトルとは違う新しいペットボトルを手に入れられることを経験として理解しているのです。
じゃあ、古いペットボトルはどうなるのでしょうか。
母親は興味が移りやすい性格なので、「処分しなくては」と思えたら何か行動するかもしれません。
しかし、「まだいいか?」と思ってしまうと、あと一週間、一ヶ月はそのままの可能性があります。
以前、母親がご飯を作っていた頃、冷蔵庫の約半分は使われていない食材がずっと入っていました。
数年前のもう食べるにも食べたくないだろうという食材が棚の上や奥に残されていて、「片付けてね!」と言ったりしましたが、結局はこみちが断りもなく捨てました。
「確認してね!」などと言えば、また一週間以上が必要なので、選択肢を与えても活かしてくれません。
ジュースのペットボトルは、1.5リットルのサイズです。
それが新旧で2本。さらにお茶のペットボトル。ヨーグルトが10個以上。梅干しのパックが5つ入っています。
これらだけでも、冷蔵庫の3割から4割を占めていて、加えて出来合いの惣菜パックがいくつも置いてあったりもします。
「どうして片付けをしないのだろう?」
母親に対してそんな疑問を持っていましたが、移り気で状況を認識することが苦手な性格が「大人の発達障害」の特徴と重ねてみると、ある意味でできないのも仕方ないことなのでしょう。
これまで、父親は残り少ない時は、自分で処分したくなくて「我慢する」ことを選んでいました。
しかし、今回の件をキッカケに、新しいものを使って行くことにならなければいいのですが。
例えば、こみちが咳き込み、どう見ても体調を崩してキッチンで料理していても、母親は「自分もして来た」と考え、父親はそもそも相手の様子を把握しません。
以前、父親に「少しはできることはして!」と怒った時も、「じゃあ、好きにすればいいだろう!」と言い残し自分の部屋にこもってしまいました。
状況が悪くなると自室に篭る。
その内に状況は改善されると理解しています。
ですが、段々とこみちも両親に気を回してあげられません。
ここまででも十分だろう。と思うポイントが早くなりました。
夕飯は食材の買い物も料理もこみちが担当する。
朝食の食材は母親にお任せで、作るのはこみち。
でも、母親は、イチゴなど父親と食べているのに、ウインナーもベーコンも買って来ません。
これで、夕飯の食材を使ってしまうと母親は「買わなくても大丈夫だ!」と理解してしまいます。
両親との同居で一番苦労するのは、散らかした状況になっても二人ともそれを片せないタイプだということ。
そして、古いジュースのペットボトルをこみちが片付けても「ありがとう」とは言わず、当たり前のように何もないからこみちがストレスで病んでしまうのです。
加えて、加齢によりさらに判断力が鈍くなっていて、安易な結論を選んでしまいます。
そこに置いてそれを誰が片付けるのかということが、毎日何度もあって、すればするだけ自分たちはそのままでもいいと都合よく理解してしまいます。
突き放してもそのままで、抱え込んでも依存度をさらに増してしまう。
あまりにもタイプが真逆過ぎて、こみちには両親との同居が苦痛なのです。