人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

平和ボケ

このところブログに書く気が起きなくて、やや放置気味。

 

男達とはそれぞれ順調にデートしていて、特に大きなトラブルも喧嘩も無く、呆れるようなことも、こうして欲しいと願うこともない。先生とも二度目のお泊りデートをしたし、私と先生を引き合わせてくれたカップルと4人で行く予定の旅行も色々あって二人で行き、三泊四日一緒に過ごした。

 

どの男とも、それなりに穏やかに暫くは続いていくのだろうとボンヤリ思う。そして時が来たら彼等とも別れる。もう永遠の愛など存在しないことを知ってるし、男に対して期待も執着も無い。ただ会ってるその瞬間だけを大事に、次に会える望みだけを心に宿して、だからってもしも永遠に会えなくても仕方ないと既に決着はついていて、驚くほどアッサリと客観視している。

淋しいと思うことも殆どない。人恋しいなぁって瞬間はある。それは単に誰かと話したいとか、たまには肌を寄せ合いたいと思うだけで、孤独な淋しさとは違う。なにか満たされなくて、心を埋めたくて、誰かに抱えて欲しいと思ってた若い頃の猛烈な飢餓感みたいな淋しさは今の私には無い。

 

それで思う、平和だなぁって。

そして平和って、心が暇なんだね。そこに思考が辿り着くまで、実はずっとメチャクチャずっと考えてて、デートもキャンセルして一人引きこもって考えてた。まぁ考えた末が『心が暇』って結論なので、暇だから思考を張り巡らして脳内疲労させるほどになるんだけど。

世間は様々な事件が起きて、とても平和とは言えないのかもしれない。でもそれも私にとっては蚊帳の外で自分とは無関係な世界。それより宮迫クンが落ち込んでたり、M男が忙しすぎて落ち着かなかったり、寿クンが異動から3か月経っても要領を得ないことのほうがずっと気になる。そうゆう切り分け方というか、ミクロとマクロの問題の視点というか、ある意味、技術的部分で私は図太くなってるのかもしれない。

 

そんな自分を、改めて認識するアレコレがあった。

今月、一人で行った大阪で‘‘ミナミの父‘‘と名乗る変な占い師に捉まった。去年もそうだけど、どうも私は大阪で道を歩いてると占い師にキャッチされるみたい。目が合って話しかけられて、まず人相を見られて、そこから料金をディスカウントするから占ってって話になって。結局今年も、その自称‘‘ミナミの父‘‘に占ってもらったんだけど。

 

去年も言われたけど、私は100までは生きるそうだ。生命線が短いのと、実母が短命だったので寿命は常に気にして生きてたけど、こう何人もの占い師に長寿と言われてるんだから、きっと私は長く生きるんだろう。そうして私は宿命の中に『殺』を持っているらしい。そうゆう人は『生き後家』と言われるんだそう。殺って意味が良く分からなくて二度聞き直したんだけど、やっぱりよくわからない。まぁ数秘はゾロ目だし六星占術は霊合星だから、数奇な運命ってことだろうとは思う。

亡くなった母に守られていると言われたけど、あまり信じられない。母とはあまり相性が良くなかったので。ただ夫とは同じ魂で双子みたいって言われたのは腑に落ちた。

 

夫と出会った時、私は勿論彼氏がいて、他にも男が何人かいた。恐らく夫も同じような感じ。結婚にしていて彼女もいて、他に遊ぶ女もいたのだと思う。ただ私達は、どうしようもなく惹かれ合って、何度決意しても別れられなくて、夫は当時の家庭を捨てて私と再婚した。苦労して長い時間をかけて一緒になって、それからもずっと私達は夫婦を続けてる。もうお互いに恋とは言えず、愛と呼ぶにはこそばゆく、仲の良いきょうだいのような距離感で暮してる。実際は夫も私も、実のきょうだいとはそれほど仲良くないから、その例えもどうかとは思うんだけど…友達よりも強い絆で性を越えて繋がる感覚を、他に上手く表現できない。

ただ私は、この同じ魂の夫が傍にいるから、心はいつも平和なのかもしれない。そして夫以上に誰かを愛すると言う体験を、もう二度と経験できないのかもしれない。

どの男とも楽しい時間は過ごせる。でも自分の片割れみたいな気分になったことはないしそうは思えない。恋愛に対する渇望感が薄いのも、夫という守護神があるからだと思う。だから私が夫から自由にされて、男と遊び歩くようになって、それはそれで楽しいけれどいつも遊びと割り切っているのは、恋愛において命を懸けた本気というモードが、どれだけ凄まじい労力と情熱なのかを、身をもって知ってるから。

もちろん遊びも本気でメチャクチャハード。でも恋愛の本当の本気は、自分の命と引き換えに、燃え尽きる覚悟を持って挑むこと。実際私は何度も心を殺したし、夫も何度も心の自死をしたと思う。そこまでしても私達は別れることが出来ず、沢山の人を傷つけて自分も傷ついて、そうして一緒に歩く人生を選んだ。それが良いとか悪いとかじゃない、むしろ結構ダサいと思う。でもそう思える魂の片割れと出会えて、私は本当に幸せな人生だとも思うし、このレベルを経験してしまったから、他人の多くの恋愛を、お遊戯みたいに眺めてる。そしてそれはとても残念だとも思う。

 

恋愛は、自分の思い通りに行かないから、楽しく切なく情緒的で儚い。でもそもそも‘‘自分の思い‘‘がなければ、その通りにしようと思う欲も意地も湧かない。今の私は思い通りも何も、男が何を考え望み、どうなっていくのかが分かってる。そうしていつか私の前を去るのだろう。だから何も感じない。

ただ、それぞれのシーンで嬉しさや楽しさはある。その瞬間だけを大事に心に刻んで反芻する。これが永遠でないことはもう分かってる。もしかしたらあっさりと明日終わるかもしれない。ただ不安じゃないだけ、それが現実と知ってるだけ。

 

全く誰にも心乱される事が無くなった。

私が僅かにでも心乱されてたのは、きっと恋愛に自分の存在意義を見出したかったから。相手にとって必要な存在、爪痕を残す言葉や行動、忘れられない女になること。

でもそれが恋のスパイスだし、多かれ少なかれ女は皆持ってる欲求。私はそれらが枯渇したんじゃなく、昇華したと言う感じ。

 

そして、昇華した私は、ありとあらゆるセンサーで男の気持ちを捉えることが出来るようになってしまった。少し前の私は、どうしても言葉で確認を取りたがり、実際に男に質問したり言わせたりしてたわけだけど。

今は言葉以上に触れ方や眼差しや、その体温で気持ちが伝わる。勿論それは良い気持ちになるものだけじゃない、悲しい気持ちや切ない気持ちも、嫉妬も欲深さもちゃんと伝わる。男から与えられる全てを全身で感じてる。別に私が特別な力を持った訳ではなくて、きっと本当は誰でもわかる。ただわかるようになるためには、自分が無にならなくてはわからない。そう、私はいつの間にか‘‘無‘‘なんだ。ゼロともいうのかな。プラスにもマイナスにも触れていない、静かな世界に佇んでる。

 

それはすごく平和で退屈。

ああ、恋ってエンターテイメントだったんだなぁって思う。

あんなに感情が振り回されてた事が嘘みたい。そんなことを言うと『羨ましい』って言われちゃうけど、全然嬉しい感覚じゃないの。だって例えるなら甘くないケーキみたいなんだもの。ケーキは甘くておいしいと思って食べて、実際甘くて美味しいじゃない?実際の恋愛はもう少しビターでほろ苦くて、それはそれで美味しいし、大人の味で慣れるまで時間がかかるのかもしれない。でも全然甘くない訳じゃない。

私のケーキは、今は全く甘くない。だからもしかすると、もう私にはケーキが必要ないのかもしれない。

 

まぁそう思うのも平和ボケかもしれないけど。

でもね、恋愛が楽しいのは、色んな感情を掻き乱されるだからだし、それはこうなってしまうともう味わえないの。だからみんなは楽しんでほしい。そして精一杯味わってほしい。

 

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