人妻の気紛れで自堕落な生活

人妻の夜遊びとか不倫とか時々仕事とか

育成ゲーム

私にとって愛することは、その人の幸せを願う事、願い続けることを決める事。

それは強い決意で、揺れ動く感情とは別に、何か心に大きく刻み込むような感覚。そうして愛した男達を私は忘れない。だから永遠に愛してる。

 

それとは別に、私は男との恋愛で何が楽しいんだろうって考えてみた。デートもSEXも楽しい。お互いに触発されるような会話も大事。だけど何よりも私が好きなのは‘‘男を育てる‘‘こと。愛する男が育っていくのを傍で見ていることは、男の一部に私の分子が入り込んだような気分。愛していない人間を育てることも勿論出来るのだけど、愛する男が育つ過程は、何よりも私にとって刺激的で美しい恋愛の醍醐味、私の至福なのだ。

 

ダメ男に尽くすのではなく、そこそこ見込みのある男を育てていく。男の方は私に育てられてるなど微塵も思わないだろう。実は私自身も今まで育ててる意識はまるで無かったのだから不思議。

夫とは互いに研鑽し、自分も磨かれてお互いを成長させてきた。それが最高にエキサイティングで、その過程は素晴らしい経験とプライスレスな価値となった。その意味で私達夫婦は、互いの傑作なのだと思う。

 

ただ、夫のように私とフェアで研鑽し合える男は、今はもう巡り合えないのだと悟った。それは私がある程度、自分というものを確立してしまったからかもしれないし、磨き合える多感な時期を過ぎてしまったからなのかもしれない。元彼と出会った頃は、まだ夫との関係のような愛ある研鑽を望んでいて、元彼なら私とフェアに磨き合えると思ってた。でも結果は彼の劣等感を引き出して、プライドを傷つけてしまったのだろうと今は思う。

 

出逢った時は全く好みでは無かった寿クンと続いてるのは、彼が私を刺激材料として成長し続けているからなんだろうなぁ。立場はフェアではなく、教師と生徒という感じで私が一段上に上がってるのだけど、愛する男の成長を日々見ていられるのは嬉しい。ただ私は、もっと高度に難解な男を育てる育成ゲームを望んでた。そのことに何年も気付かなかった。

自分の欲望って案外見えない。綺麗に美化して本音を隠してる。私も単に‘‘愛したい欲求‘‘だと思ってた。でも本音は育成ゲームがしたかった。育成ゲームが良いとか悪いとかじゃなく、男にとってそんな価値づけをしたかった。それが私にとって最高に楽しんだから、本音に気付かなくても無意識に育てる男を探してたんだろうな。

 

それで出会ったМ男は、今私の中で最も熱く育てている男。若い頃の夫を彷彿させる。

やっぱり自分でビジネスしてる男が好き。全ての経験を自分の価値にしてしまう情熱と強欲、それでいて女の英知を肌感覚で知ってるから、私の意見をすごく大切に扱う。

 

「こんな話ばっかりで、デートなのに申し訳ないんだけど聴いてくれる?」

 

そう言い出したら、いつも彼のビジネスの相談。でも私は全然嫌じゃない。むしろずっと聴いていたい。同じ仕事の話題を宮迫クンから振られても、M男の話程に面白いと思って聴けないのは、宮迫クンはサラリーマンの愚痴でМ男は自分を賭けたビジネスだからだろう。M男の判断ひとつで彼のビジネスが動いていく。その渦中に私が立ち会ってる。М男は私の意見をとても大事に扱う。決して見下したりバカにしたりはしない。

とは言っても、ほぼ8割は聴き役に徹することにしている。経営者は孤独だから、自分の悩みを誰にも言えない。だから彼にとって絶対安心で悩みを吐露出来る存在というのは、とても貴重な事を私も知ってる。

 

私は仕事柄、もっと突っ込んだビジネスのアドバイスが出来るのだけど、敢えてそれはしない。そこは私もビジネスの領域だし、デートの場でそこまでの回答を彼も期待していないのは分かっているから。

次に会った時、前に話していたことがどうなったのか、顛末を追うこともしないと決めている。気にならない訳じゃないけど、尋ねたところで上手く行ったとは限らない。もしかすると痛手を被って思い出したくない事もあるだろう。だけどМ男は割と続きや結果を話したがる。その時はやや大袈裟に、とにかく彼を褒めることに徹する。上手く行かなかった事でも、素早い対応をしたとか、良い経験を積んだとか、配慮が素晴らしいとか、とにかくそれが無駄ではなかったと褒めまくる。

男の子は走って転んでケガすると、すぐに騒いで親や教師のもとに行く。痛かったとか危なかったとか言いながら大人に宥められ、傷に絆創膏を貼ってもらってまた走り出す。でも女の子は転んだら、まず友達に転んだ場所の危険性を訴え、今後どうしたら転ばなくて済むかを話し合いながら自分で傷の手当てをする。絆創膏だって自分か友達の誰かが大概持ってる。私は小さい頃から、この男女の行動の違いをずっと観察し続けて、男のために絆創膏を持ち歩く女に成長した。

今は絆創膏が傾聴技術と褒め言葉に代わり、何かあれば男達が私のもとに駆け寄るように仕向けてる。傷ついた男は私の受容と共感に癒され、再び自分に自信を持って社会で戦う。だから私はいつでも男より一歩高い所から愛を持って微笑んで見守る。すっかり自分が甘えたいって気持ちは薄くなったと思ってた。

 

だけど8歳年上の先生と出会って、私も愛されたい女の気持ちを持ってたんだなぁって思ったりする。年上という意味では先生より夫の方がずっと上なのだけど、面倒見が良いという意味では先生の方がずっと良く出来る人だし、人としての成熟度も高いと思う。一人暮らしが長いので私に家事を頼る事もなくて甘やかされてる。

逆に先生には、私が育てられているとも感じる。様々な知識を教えられ、食や運動の指導を受けて、先生の叡智を存分に浴びている。元々サピオロマンチックな私は、先生の容姿や職業や経済力よりも、その知識と賢さに惚れている。まさか五十路にして自分が育ててもらう立場になるとは想像していなかったけど、賢くてビジネスが出来る年上の男性はずっと求めていたので、その深層の欲求はそうゆうことだったのかもしれない。

 

そして先生の事も、多少は私が育てている部分があるのかも?と思うこともある。医者という立場(しかも一部では有名な研究者)のせいか、今まで彼の職位や経済に群がる女が多かったようで女性に不信感があるよう。見た目も筋肉以外は普通のオジサンなので、コンプレックスもあるのかもしれない。彼のセレブな友達を引き合いに出して『僕は女性にそこまでお金をかけてあげられない』などと牽制することもある。どうも女には贅沢を尽くさないと上手く行かないと思ってるみたい。

 

私は夫以外の男の経済を当てにすることはない。それは私的には、とてもみっともない事だと思ってるから(だからって経済的な支援を受けることは悪いとは思っていない)

私は欲しいものは自分で買える程度には稼いでるし、物欲もそれほどない。それに物理的に私を甘やかして良いのは夫の特権にしたい。だから他の男には、一般的なデートの費用以外は求めていないし欲してもいない。五つ星ホテルにstayしたいわけでも、三ツ星レストランに行きたいわけでもないんだけど。

私が成金の娘で、小さい頃から蝶よ花よと育てられ贅沢を享受してきたのも影響していると思う。だから先生には今更わかりやすい贅沢を望んでいないと何度か説明をしたけど、あまりピンと来てない様子。

 

「だからね、私が立ち飲みに行ったり、たまーにジャンクな食べ物食べたり、ちょっとチープでだらしない事が好きなのは、そうゆう世界に憧れてたから。セレブレティな生活をしたことが無い人はそっちに憧れるでしょ?童話の‘‘王様と乞食‘‘みたいに互いに入れ替わってみたいでしょ?その王様のほうが私」

 

「それはそうだけど」

 

「私は先生が医者だからこうしてるんじゃないし、贅沢させてもらいたいんじゃない。先生に贅沢させたいと言われても断るかも。だってそうなると好きの純度が曇っちゃう」

 

「好きの純度?」

 

「付加価値を付けないまま、心で裸の先生を見てるつもり、私のは、そうゆう‘‘好き‘‘です」

 

上手く説明できなかったけど、そう言ってからは先生も自分の持つ経済観念を吐露するようになった。それがまた私のツボにハマるんだけど、その話はまた今度。

先生とは育て育てられて、同率ではないにしても互いに研鑽してるところがあって居心地が良い。夫との頃のようにぶつかりあい磨き合う激しさは無いけれど、再びこんな風に思える人に出会えたのは嬉しい。

元々男を甘やかせるのが好きだから、他の男達を育ててる感覚も好き。今の男達はどの男も本当に優秀で、ここが私の不倫の頂点なんじゃないかと思うし、まだまだこれを越えられるんじゃないかとも思うんだけど、恋愛は人格を育成するのが醍醐味だなって今はとても強く思ってる。

そんな最近の私。

 

(あ、だから人格の育成に該当しない、シマリス君はスタメンから外れたんだろうな、とふと気づいて苦笑い)

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ひとりごと。

最近デートも平和だから、あまりデートレポートも書いてないな。狩りもしてないから狩りレポートも無いのつまらん…私のブログの方向性どこに向かってるんだろう。

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アメスリのニット着てTwitterにpostしたら好評だったので、調子に乗ってこれも買おうかなとおもってるやつ。丈が短めで可愛い。カーキかブラウン、どっちがいいかなぁ。ブラウンも写真の色だと可愛いよね、悩む!


 

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TwitterのID変えました↓

@jurinjurinjurin

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