毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

日本に来た中国の教え子たち

2024-04-17 23:48:30 | 中日(日中)交流

慌ただしく過ぎ去る日々に手をこまねくばかりの毎日だが、

この二月、三月にあった中国時代の教え子のことを備忘録として書いておく。

 

2月のある日、WeChatで電話があった。

渡日して東京で働いている山東省時代の教え子Wさんからだった。

私は2015年から翌年の卒業まで大学4年生だった彼のクラスでビジネス日本語を担当したが、

その後、彼が中国の大学院、就職、転職と人生の荒波に漕ぎ出してからも連絡は途絶えなかった。

中日関係もイマイチだし、

教師と教え子の関係も卒業後は次第にフェイドアウトするのだろうと思っていたが、

彼は全くそれに当てはまらない。

そればかりか一昨年3月末、なんと中国での仕事を清算して渡日し、就職までしたではないか。

私は何でわざわざこんな不況に喘ぐ日本に来て就職するのかと思ったが、

聞けば、彼の目標は日本で働くことではなく、日本の大学院での博士課程履修にあった。

会社で働きながらがむしゃらに受験勉強を続けたWさんは去年、残念ながら一度目の受験に失敗した。

その時、もう諦めるのかなと思ったが、どっこい、そんなやわな人物ではなかった。

月に一度の故郷のお母さんからの電話は決まって

「まだ合格しないのか、早く、早く」という催促だった。

「試験は年に一度しかないのに…」と、Wさんは悲しみながらも睡眠時間を削って勉強し、

とうとう、遂に、ファイナリー、今年博士後期課程入試に合格したのだった。

もう4月なので、すでに研究生活がスタートしていることだろう。

このドラマはきっとさらに続く気がするが、幸運を祈るばかりだ。

 

この3月には江西省時代の教え子劉さんが出張で来阪した。

劉さんは私が生まれて初めて中国に渡って働き始めた江西省南昌市の大学で当時3年生だった。

外国人は就労に当たり、市当局の健康診査を受けなければならない。

劉さんはその時に付き添ってくれた日本語が堪能な学生3人のうちの一人だった。

この間再会してその時のことをぺちゃくちゃお喋りした。

尿を採取するとき、可憐な劉さんが

「先生、小便を採ってください」とくそ真面目に言ったこと、

検査が終わって食事の話題になり、

劉さんはニワトリのネックが美味しいと私に勧めようとして

「先生、鶏のうなじはとても美味しいですよ」と言ったこと、

こういう話で劉さんと私は大笑いしてしまうのだが、

たまに「未熟な学習者を笑いものにしやがって」と捉える人もいる。

私はそういう人とは親しくなるすべがない。面倒くさい。

さて、その可憐だった劉さんはもう35歳、見目はほとんど学生の頃と変わらないが、

今は大阪に本社がある会社の広州市の子会社の副総経理だという。

打診されたとき「嫌だとも言えないので引き受けた」と、

淡々と語る彼女は以前と変わらぬ劉さんだった。

また今年の10月、社員旅行で社員十数人を引き連れて来日するという。

ちなみに、私はこの劉さんに故郷の村に連れて行ってもらって、人生またとない体験をさせてもらった。

彼女が進学した広州外語外貿大大学院の寮にむりやり泊めてもらったこともある。

お返しに日本に招いて我が娘の協力のもと、

お祭り金魚すくい体験、流しそうめん体験などをさせてあげたこともある。

我がブログに何度も登場した人だ。

 

教師と学生は、卒業したら思い出にしか登場しないというのが現代日本ではしごく普通だ。

「さよならだけが人生だ」…私もそれに違和感はない。

しかし最近、中国的にはそうではないことがままあると感じている。

少なくとも、私が出会った何人もの学生たちはそうではない。

関係を内に閉じず、直接的、交歓的に継続し、途切れたかに見えてまた続く。

その関係の開放性を楽しむ今日この頃だ。

 

⤴11年前の来日時、アニメでしか知らなかった金魚すくいを満喫する劉さん。

⤴遊んでいるはずが、なぜかいつの間にか的当て屋の番頭みたいなことをしている劉さん。

 

付録:2013年に初めて日本に来た時の劉さんの感想文(今から11年前)

「日本滞在記」
            広州外語外貿大学大学院日本語学科  劉思婷

7月26日、山に囲まれた広州白雲空港から海に囲まれた大阪関西国際空港まで、
三時間半の旅程中、機上で私はいろいろ考えた。
日本語を勉強して五年になるが、日本へ行くのは初めてである。
本やドラマ、テレビ番組などから日本に関するさまざまな知識を得てきた私にとって、
日本国は研究の対象であると同時に、どうしても一度は訪れたい国だった。
今回、ブルーはーと先生のご尽力で、やっと憧れの日本に行くことができた。
先生にもう一度お礼を申し上げたい。
(日本はどんな国であろうか、日本の人々はどんな人たちだろうか。
『菊と刀』に描かれているような日本人なのだろうか)と
、関空に向かう飛行機の上で私の想像は膨らむばかりだった。
大阪関西国際空港に着くと、先生はもう待っていた。
先生とは五ヶ月ぶりの再会で、とても懐かしかった。

[日本の初印象―静かな道路、小さい家]
その後、先生に連れられて、JR大阪駅、阪急梅田駅を経て、先生のお宅についた。
歩きながら、キョロキョロと初めて見る日本の家、店、道路や人たちなどを観察していた。
パチンコ屋以外のところは、みんな静かで、人の声もあまり聞こえない。
道路の幅や家も小さくて、かわいい。中国だったら、何でも大きい。
でないと、人口の多い中国では渋滞になるかも知れない。
初めての日本は、何でも興味津々だった。
最初のうち、よく
「初めて日本に来て、どう思いますか?中国とどう違いますか?」
と聞かれた。
私も一生懸命このことを考えた。
例えば、天気とか人の服装とか、女性の化粧のし方とかだいぶ違っていると答える。
都市の違いは大きい。
中国の都市、例えば、広州では、建物と建物との間に一定の距離があり、大きい木が多い。
大阪では、建物が密集していて、木が少ない。
でも、よく見ると、屋上や家の前に、植木や花鉢がある。
こじんまりとして精緻な感じが溢れている。

[女性専用車両と痴漢]
また、日本のJRや阪急電車に乗ったとき、女性専用車両があったことに驚いた。
これは女性を保護するいい方法だと思う。
実は、私は一人で電車に乗ったとき、わざわざ女性専用車両を避けたことがあった。
最初は「女性専用車両」の意味がわからなくて、
(体の弱い女性とか、特別な人達だけ乗れる車両だろうか)と思ったので、
丈夫な私には普通の車両に乗る方がいいと思ったのだ。
あとで、女性だったら誰でも乗れると知ってから、毎回電車に乗るとき、
女性専用車両に乗りたかったが、残念なことに、専用車両のない電車も多いみたいだ。

JRなどに乗るとき、ドアに「痴漢は犯罪だ」とよく書かれてある。
はじめ、「痴漢」とはどういう人を指すのか、ちょっと概念が曖昧で、わからなかった。
ウィキペディアで調べると、
「痴漢とは、公共の場所で相手に羞恥心を抱かせ、不安にさせる行為を行う者、もしくは行為そのものをいう。日本独特の不法行為であり刑法に抵触する場合は少なく主に迷惑防止条例などで罰する」と書いてある。日本では痴漢は多いのか?では、すりとかは?
中国では、バスや地下鉄によく見られるのは、「请保护好自己的财物,小心小偷」である。
つまり、「すりに注意して、自分の荷物をよく確保してください。」ということだ。
すりが多くて、お金とか盗まれたら大変である。
でも、それは痴漢がいないということではない。
混んでいる電車やバスに乗っているとき、痴漢に触られることも多い。
中国の女性は痴漢に触られたら、そうっと他のところに行くだけで、
大声で叱ったり、警察に言ったりする人がまだ多くない。

 

 

 

 

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心から気持ち良く深呼吸できる季節に「春一番野外コンサート」大阪服部緑地公園で今年も

2024-04-10 11:25:48 | 平和

「春一番コンサート」・・・

青春のワヤクチャ感が脳裏に蘇るこの単語(笑)。

1971年、天王寺野外音楽堂で第一回の春一番野外コンサートが開かれたとき、

18歳の私は北海道から京都に来たてのほやほやで、そんなイベントがあるとは露知らず、

第一、阪急電車や京阪電車がどこにあって、どうやって乗るかすら知らなかったのです。

高校時代、北海道の地の果てで友人たちとフォーク連合なるものをでっち上げ、

高田渡や中川五郎、岡林信康、高石友也などの歌をがなり立てていただけの私ですが、

こんなイベントがあるのを知ったら、右も左も分からない都会であることもお構いなく、

阪急だろうが地下鉄だろうがかき分け、乗り継ぎ、何としても現地に到達していたでしょう。

 

昨年、コロナ禍でしばらくできなかった春一番野音ライブ(服部緑地公園野外音楽堂)が

4年ぶりに開催されたことを、

私に教えずに自分だけ参加していた息子のフェイスブックで知りました。

(イヤ、教える義務はないんだけどさ)

それでも1995年、大阪城野音で開催された「春一番ふたたび」に

高校生の娘・中学生の息子を連れて行ったのはこの私なのであります。

あの時子どもたち二人は、

加川良のかっこよさを褒めたたえ(彼らにとってはもちろん初めて聞く人だった)、

ヒロトとマーシー(あの時はまだブルーハーツは解散していなかった)が

二人で登場したのにたいへん興奮していました。

私と言えば、思いもよらないペギー葉山さんが登場した時、

プロデューサーの福岡風太という人はアンダーグラウンドを本拠地としながらも、

日本の音楽界にしっかり踏ん張って立つやり手なんだなあ、と感銘を受けたものでした。

 

今年も、「春一番ライブ」が服部緑地公園野外音楽堂で開かれるそうです。

自由の風を感じに行ってみようかな。

我が家からだと自転車で行けるかも。

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台湾では国民は人間として扱われる、日本では家畜扱い

2024-04-09 23:46:46 | 人権

今日のX(旧ツイッター)では、多くの人が羽鳥モーニングショーの写真を挙げていた。

台湾の避難所の様子をレポートしたものだ。

台風や地震が毎年のように起きる日本では、体育館に雑魚寝する避難所の様子がお馴染みだ。

今回の能登半島地震でも、下の写真のような避難所が一般的だった。

MBSテレビ(1月8日放映)

これをヨーロッパなどの人々が見ると、まるで難民キャンプだという。

 

⤵関東大震災の時の写真を見たが、避難所の様子は今とほぼ同じだった。

というか障子で仕切ってあるだけ1923年の方がましじゃないですか。

頑張って自分の家から運んだんだろうなあ。

関東大震災の写真(東京都慰霊堂保管)について

 

4月3日の台湾地震の後、台湾政府やボランティアが一体となって

被災者の救助に当たっている様子の写真を羽鳥モーニングショーからお借りした。

⤵まず、2018年花蓮地震のときの避難所の様子。

これは今の日本の避難所と同じだ。

⤵今回、台湾政府は2018年の災害を教訓にして、

プライバシーを守れる箱型個室を発災4日目に設置したという。

 

⤵能登でも2月に入り、多くの避難所には段ボールの仕切りができた。

しかし、大人が立ちあがったら隣が丸見え、プライバシーは全く保証されていない。

この写真の段ボールは同一サイズだが、避難所によっては、高さも幅もバラバラで

設置が難しいところもあったと聞く。

⤵台湾は下のようなサービスも。いいなあ!

⤵温かい料理。しかも種類も色々あるんだって。

 

台湾は過去の災害から学んだ。

日本だって、災害の数では負けていない。

やろうと思えばできるはずなのにしない。

政府は国民のためになんか馬鹿馬鹿しくてやってられないのだ。

メディアも能登の人たちが辛抱我慢しているのを「美談」として語っているが、

被災者が困っているのを政治が放置するのは、人間扱いしていないからだ。

欧米風に言えばハラスメント、人権侵害だ。

経団連の言うことは何でも聞くくせに。

山本太郎さんが国会予算委員会質疑で

「ぜひ災害対策特別省を設置してください」と提案していたが、

委員長は「後日委員会で討議します」と言うばかりだった。

ぐぬぬ、やる気あんのか!

 

1月6日は6党が集って、能登に行かない協定を結んでいるんだから凄すぎる。

しかも、行かないくせにみんな作業服だけちゃんと着て写真に納まっている。

共産党の志位さんまで仲間入りしているんだから、ホント、どうしようもない。

この日は、奇しくも

れいわ新選組の山本太郎が能登入りして状況を聞き(国会議員なら当たり前だ)、

夜、NPOグループの残り物のカレーをいただいたというのでSNSで大非難を浴びた日だ。

維新の音喜多に至っては、自分は新年会だかパーティーだかで浮かれていたくせに

NPOに招かれて被災地に行った山本太郎を名指しで、

「松葉づえで交通渋滞の能登に行っても邪魔になるだけ」

「山本太郎の提言は災害マニュアルに書いてある既知のものばかりで、行ったのは無意味」

と批判したが、そんなこと言ってたら、ジャーナリストやルポ作家は必要ない。

国会議員て、ここまで馬鹿なの?と呆れさせる愚か者の音喜多俊であった。

共産党も、こんな協定に賛成してがっかりだ。

志位さんもやっぱ日本人の悪癖=同調グセから自由ではないのであろうか、と

台湾地震報道から、日本の政治の現状を情けなく思ったのだった。

それにつけても、台湾から学ぶことはいろいろあるなあ。

 

 

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春の裏庭~トカゲの赤ちゃんとか

2024-04-03 23:58:06 | 裏庭

我が裏庭にも春が来た。

一角のレモンバームの葉の上にちょこんとトカゲが乗っていた。

去年見慣れた数匹のよりも色が薄く、尻尾も短い。

赤ちゃんだ。

お母さんたちはどこにいるのだろう。

出てきたら「久しぶりだね、元気?」と挨拶を交わしたい。

雨が降ってじめじめとした地表にはすぐにコケが生える。

  

⤵私はこのゼニゴケの一種が気に入らない。

どこにでも発生する。

石やコンクリートの上にも張り付いて実に見苦しいし、

剝がすのがたいへんなのだ。

という訳で、見つけたらすぐ気を付けて取り除いているが、

神出鬼没に生えてくる非常にしぶとい存在だ。

⤵これ何だっけ?あちこちで芽吹いていたので小鉢に集めた。

だぶんクレソンのようだけど。

⤵多肉植物の葉先で二星テントウムシがちょこまか動いている。

本当にまた、春が来たんだなあ。悲喜コモゴモ……。

 

裏庭をチェックした後、近所の業務スーパーまで買い物に行ったところ、

(何ですか、これ~~!!)と度肝を抜かれた。

白菜半切れが490円!?

先週まで298円だったし、先々週は200円ぐらいだったはず。

右の398円のはちんちくりんだから、安くない。

他の野菜も値上げ基調だけど、まさか、白菜レベルまで高くならないだろうなあ。

野菜は身体の健康に直結するので、毎日食べないといけない。

ハラハラする。

物価はめちゃくちゃ高騰しているが、収入は年金だけだ。

さて、どうしたものか?

どこの馬の骨か、成田何某という愚者が

「高齢者は集団自決・集団切腹したらいい」と述べたらしいが、

自分の生死を他人に、就中、成田のようなクズにとやかく言われる筋合いは全くない。

私の命は私のものだ。

幸い、河川敷にはからし菜、野蒜など食べられる野草がどんどん生育してきたので

自然の恵みをいただいて春は凌げるだろうか。

 

 

 

 

 

 

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ダニー・ネフセタイさんが育ったイスラエルという国

2024-03-30 16:15:51 | 平和

昨年10月~12月頃、

「イスラエル」という言葉を聞いただけで心臓がドキドキした。

毎日まいにち、パレスチナの悲惨な状況をXの動画で観ているうちに、

見なければならないと思ってもどうしても見るに耐えず、思わず立ち上がってうろうろ歩き、

イスラエル軍の兵士たちに汚い憎しみの言葉を発したりした。

今年1月に入り、何とかその時期を脱して、

イスラエル人の書いた文章であっても冷静に読めるようになって手に取ったのが、この本だ。

『国のために死ぬのはすばらしい?』(高文研)

著者はダニー・ネフセタイさん(1957年生まれ)。

日本に滞在して40年余り、今は埼玉県在住の木製家具職人だそうだ。

本の前文には「イスラエルで生まれ育ち、ワケあり教育を受け、その後日本に移住して

生まれ故郷に対する別の視点を持つようになり…」とある。

この本を読んで初めて「ワケあり教育」の実態を知り、

イスラエルの人々に対する否定的感情がかなり変化した。

やはり、知ることが理解の第一歩なんだなあ。

 

イスラエル国家がユダヤ人の絶え間ない戦争の歴史の中で得た教訓は

徹底した愛国心と軍国主義の教育こそが国家の基礎である、ということだった。

今でもイスラエルの学校で、小学生から叩き込まれるスローガンに次の2つがある。

捕虜になるな、死ぬまで戦え。

②国のために死ぬのはすばらしい。

この2つは戦争の史実を根拠とする。

①「捕虜になるな、死ぬまで戦え」は、ローマ帝国がエルサレムからユダヤ人を追い払ったとき(紀元 70年)、3年間抵抗を続け、最後はマサダ要塞で集団自決したこと(紀元73年)に拠る。1973年第4次中東戦争でエジプトの捕虜になったイスラエル軍部隊に対して、イスラエル国民は「よくも死ぬまで戦わずに捕虜になったな!」「マサダの教訓はどうした!裏切り者」と罵声を浴びせた(16歳のネフセタイさんもそう叫んだ)。

マサダ要塞:イスラエル国防軍新兵の入隊宣誓式の場所「マサダは二度と陥落しない」と誓う。観光地になっている。

②「国のために死ぬのはすばらしい」は、テルハイでのアラブ人とユダヤ人入植者との戦い(1920年3月)で死んだユダヤ人司令官ヨセフ・トルンペルドールが最後に遺した言葉。

テルハイ:もともとアラブ人が多い地域だったが、シオニズム運動でユダヤ人が入植し、衝突が絶えなかった。イスラエル建国前にアラブ人と勇敢に戦って死んだトルンぺルドールは❝建国の獅子❞と呼ばれ歴史上の英雄になった。イスラエルの歴史は戦争ばかりだが、その中でも「テルハイの戦い」は特別で、毎年「テルハイの日」は学校行事になっており、教室の壁には黒板ほどの大きさの横断幕が掲げられ、そこには「国のために死ぬのはすばらしい」と書かれている。

学校、家庭、地域、メディア情報などによって、国民は

イスラエルの正当性を否定するもの=アラブを敵対視(ナセルとヒトラーを同種とする)し、

闘争の美化と不可避性を刷り込まれ、国民の‶信念“が形成されている。

多数のイスラエル国民の声は次のようなものだ。

「相手を嫌っているのはイスラエル側ではなくアラブ側である」

「戦争を望んでいるアラブ人と違い、私たちユダヤ人は平和を愛する優れた民族である」

「悪者のアラブ人とは和平交渉も不可能だし、彼らの言うことも信用できない」

「ラグバオメルの焚き火」という13世紀から伝わるユダヤ教の祭りがある。

ネフセタイさんは子どもの頃、ジャガイモなどを焼いて食べるとき、ヒトラーやナセルの人形も焼いたという。

祭りで敵国リーダーの人形を焼くことについてイスラエル人は

「私たちは年に一度、相手側は毎日やっている」と本気で言うという。

 

『国のために死ぬのはすばらしい?』ではないが、

『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下』ロネン・バーグマン(小谷賢訳・早川書房)という本の一節に、

「誰かが殺しに来たら立ち向かい、こちらが先に殺せ(rise and kill him first)」がある。

こちらが先に殺せ(rise and kill him first)」は、

政府や軍部当局がよく引用する言葉だそうだ。

政治指導者の多くは元軍人で、

元特殊部隊出身の首相も複数居る(ネタニヤフ、シャロン、ラビンなど)。

 

イスラエルには徴兵制度がある(男子18歳から3年間・女子2年間)。

青春時代の人生で最も美しい時期に戦争(人殺し)の練習だ。

とまあ、

(これだけ叩き込まれれば、ああなるわね)と教育の恐ろしさを再認識せざるを得ない。

ネフセタイさんは日本で暮らしていても、

ずっと、イスラエルは正しい、正義の戦争だと思っていて

日本人の妻が批判しても、イスラエルを援護していたそうだ。

しかし、2008年、イスラエル軍が約3週間のガザ攻撃で

450人の子供を含む1400人のパレスチナ人を殺害した時、

ネフセタイさんの心の中で何かが変わった。

それまでも大きな戦争は何度もあったが、

この時イスラエルの戦争の質が変わった、イスラエル国民もどこか変わった、と感じたという。

ネフセタイさんはそれ以降、戦争という手段を絶対にやめようとしないイスラエルに異議を唱えて、

現在に至っている。

変わったのはイスラエルだろうか、ネフセタイさんだろうか……。

外国から故国を見ることの意味は大きい。

そして、そんなに大昔でない過去の日本も、

今のイスラエルと酷似した教育が為されていたことを痛苦に思う。

それにしても私たちは、国家の意向に沿って洗脳されるだけの存在なのだろうか。

自立した個人としての自分はそのまま自分だと勘違いしつつ、

実はただのモブ群衆の一部品になり果てるような、

ただの情けない愚か者なのだろうか。

そうならないためには何を成すべきか、歴史の経験の中にヒントがあると思う。

と言うか、私たちはそこからしか学べない。

 

⤵ダニー・ネフセタイさんの最新書はこちら。

 

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『185頭と1人・生きる意味を探して 吉沢正巳』…観なかったけど

2024-03-27 13:56:36 | 反原発

⤴授業で使った写真

友人のきんときさんがあるTV番組を紹介してくれたが

テレビを観なくなって幾星霜、番組の時間に合わせて自分の生活を調整する習慣は失われ、

せっかくのお勧め番組もたいがい気がついた時には既に終わっている。

番組予約の方法は忘れたし、思い出すのも億劫だ。

そういう訳で、今回紹介された番組も事程左様に見逃がしてしまった。

しかし、これは観ればよかったとつくづく後悔した。

ネットの有料アーカイブでも、もう観られない。

それは、福島原発事故後、トラックに福島の被爆牛を乗せて霞が関に横付けし、

生きている牛の命を殺処分するな、と訴えていたあの吉沢正巳さんのその後の話だった。

きんときさんの紹介文:

NHK『こころの時代』〜『185頭と1人 生きる意味を探して 吉沢正巳』

吉沢さんは福島県浪江町「希望の牧場」で国策に反して、一人で被爆した肉牛の世話を続けてはります。
「どんな命にも意味があって寿命まで生きるべきだ」と高齢になり衰弱していく牛たちに最期まで餌をやり続けてます。
元は肉牛を金儲けの手立てとして、二歳になれば屠殺場に出していたけど、原発事故を契機に無惨な死に方をさせてはいけないと。そこには、国策に翻弄された満蒙開拓団だったお父さんの姿と重なる思いがあるそうです。

吉沢さんのお父さんは満州で終戦、その後の悲惨な行程の中で歩けなくなった幼子二人、義理のお母さんを(ソ連兵に殺されるなら、自分の手で)と…。

お父さんはシベリア抑留を経て帰国後、一頭の牛を飼うところから始められたそうです。

「無惨な死に方をさせてはいけない」という吉沢さんの言葉が重く響きます。

原発事故から年月が経ち、人々の関心、意識も薄れてきたのを感じていらっしゃるそうです。
『希望の牧場』のボランティアの方も5人に減り、一人で1日も欠かさず、お世話をされてる姿が胸に迫ります。

いろいろ考えさせられる番組です。

 

『希望の牧場』についてはずっと以前、私もブログで書いたことがあった。

中国の大学の授業で日本の環境問題の一つとして福島原発事故を取り上げたとき

吉沢さんの希望の牧場も教材にした。

なぜ吉沢さんが「希望の牧場」と名付けたのか、学生たちに考えを聞くと

「どんな暗い夜でも必ず朝が来る。絶望的状況にあってもきっと希望は生まれる、

困難に直面している自分を励ます気持ちだったと思う」

というように、被災者吉沢さんの心に寄り添おうとする気持ちは感じられたが、

「牛を殺すなと言っても、牛を殺して肉を売って商売していたのに」と指摘する子がいたり、

「中国の原発は日本と違うシステムだから事故は絶対に起きない」と自国の原発を礼賛したり、

まあ、いろいろな意見が出ていたのを思い出す。

←授業で使った写真↓

 

私だとて「希望の牧場」の「希望」の重みがそんなに分かっていたわけではないが、

霞が関や渋谷ハチ公前で軽トラに乗って都民に訴えたり、

沖縄辺野古の座り込み現場に牛とともに登場して連帯を表明したり、

といった行動も併せて考えると、

国策に翻弄されたままでは、人間の命も牛の命も終わらせないぞ、

という強い意志をひしひしと感じていた。

今回きんときさんの紹介文で、

吉沢さんのお父さんが満州動員-敗戦-死の彷徨-シベリア抑留と、国策に翻弄され、

自分にとって最も大切な命を自らの手で潰した体験を持つということを知り、

吉沢さんの行動の芯に触れた気がした。

私も、日中戦争に従軍し除隊後一旦北海道に戻って結婚して、すぐに再び中国山東省に渡り、

日本軍関係の会社で働いて敗戦から半年後、這這の体で日本に引き揚げてきた父と

それに付き添った母を持つ。

当時の引揚者に国が与えた北海道の厚生開拓村(と言っても道東の未開のただの山)で、

火入れをし、焼き畑から農業を始めた30代頃のやせこけた両親の顔、

その後、親戚同士が集まり平野部で共同農場を経営するようになってからも

死ぬ間際まで肉体労働が付いて回った両親の曲がった背中を思うと泣きそうになる。

もし、戦争がなく、安定した社会に生まれたら

賢かったあの二人はどんな人生を送っていただろうか。

もう一度、あの人たちを生き返らせて十代からやり直させてあげたい。

国は国民のためにある、日本は戦争を放棄する、と今の日本国憲法は保証してくれている。

その憲法に守られて、生まれてから死ぬまで平和な時代を過ごさせてやりたかったなあ。

日米安保の下、敵基地攻撃能力の保持-大軍拡ー戦争準備に突き進んでいるアホ国家日本、

国の「安全保障」とは、

原発事故のない、戦争の不安のない、安心できる暮らしを国民に保証することが第一だろう。

福島以上の原発事故や再び日中戦争がないと命を思い出さないのか、この国のアホどもは。

⤴父母の故郷でもあり、私の故郷でもある北海道斜里・以久科から見た斜里岳(しゃりだけ)

 

 

 

 

 

 

 

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「世界の誰一人として私たちを批判する権利はない」イスラエル元外相

2024-03-24 22:06:45 | 人権

世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。

1961年、イスラエルのアイヒマン裁判結審後におけるゴルダ=メイア外相(当時)の発言だ。

2024年の今も、

世界世論の非難の声、

国際司法裁判所の「ジェノサイドを止めよ」という判決、

常に後ろ盾であるアメリカ政府の「さすがにやり過ぎだ」という助言すら無視して、

パレスチナへの無差別虐殺を止めないイスラエルは

世界に対して昂然とこの言葉を言い放っている。

世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。

600万人もの人間を虐殺したナチスの究極の悪の被害をこうむったユダヤ人が

未来永劫それを忘れず、許さないというのは当然だ。

日本はユダヤ人ホロコーストには直接加担していないが、

アジアの地で朝鮮・中国をはじめ多くの国々を侵略し、その国の人々を虐殺した歴史を持つ。

ヨーロッパの加害国がいまもユダヤ人に負い目を持っていることはよく分かる。

日本も同じ立場だと感じている。

しかし、だからと言って

イスラエルがパレスチナ人を蹂躙し、虐殺することに目をつぶっていいわけはない。

それはそれ、これはこれだ。

 

今、世界は安定・平和という薄い膜に裂け目が生じ、

第二次世界大戦並みの混乱・カオスに突入しつつある気がする。

日本の多くの人々は

「ガザの人たちは可哀想だけど国連が機能してないんだからどうしようもない」と、

それほど関心を持っていないように見受けられる。

しかし、パレスチナ人へのジェノサイドは他人事ではない。

世界が、社会が、人心が壊れるその流れの中に日本もすっぽり入っているのだから。

パレスチナの人々へのジェノサイドを見て無感動でいることは

すでに人の心が壊れている証左だ。

人の心を失った人間とは一体なんなんだ。

 

 

 

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誰もイスラエルを止めることができない

2024-03-15 23:57:08 | 戦争反対

アメリカ及びドイツ、フランスなど西欧はイスラエルをこんな国に育て上げて、

どう責任取るんだ。

欧米が世界を支配するためにどれほど恥ずべきことを

繰り返し、繰り返し、歴史に汚点を刻んできたか。

未来永劫、その汚点はぬぐえない。

クソ野郎ども!

⤵支援物資待つ市民29人死亡とガザ当局、イスラエル軍の攻撃で(字幕・15日)Reuters

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E7%89%A9%E8%B3%87%E5%BE%85%E3%81%A4%E5%B8%82%E6%B0%9129%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E3%81%A8%E3%82%AC%E3%82%B6%E5%BD%93%E5%B1%80-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%A7-%E5%AD%97%E5%B9%95-15%E6%97%A5/vi-BB1jVs3X?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=784d53a36e064a4c96b97480e11fd866&ei=42#details

 

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大石あきこ「クソ野郎」裁判で山口敬之にも完全勝訴(控訴審)

2024-03-13 20:45:33 | 表現

大石あきこさんが橋下徹に訴えられた裁判で、完全勝訴したことはこの間書いた。

今度は山口敬之だ。

今日、あの伊藤詩織さんをレイプした犯罪者山口敬之に

大石さんが名誉棄損で訴えられていた裁判の控訴審判決が出た。

そもそも山口が問題にしたのは

大石あきこさんが2019年に旧ツイッターに載せた2つの文だった。

その1:

「もとTBSの記者で安倍総理の❝御用❞山口敬之氏、伊藤詩織さんに対して計画的な強姦を行った。その山口氏側の敗訴不服の記者会見に伊藤詩織さんが出席している。強くてまっすぐな人だ。たくさんの絶望を支援者と乗り越えてきたんだろうな。」

その2:

「一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けた。とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎

この2文について著しく名誉を棄損されたとして、山口は2022年東京地裁に訴え、

次の3点を請求した。

①上記2つの文をツイッターから削除すること

②損害賠償金880万円を山口に支払うこと

③山口に対する謝罪文をツイートすること

 

2023年7月の地裁判決では、

〈その1〉は適法な論評であるとしたが、

〈その2〉は「1億円余りのスラップ訴訟をしかけた」までは問題なしだが、

続く文の中の「クソ野郎」は攻撃的かつ激しい侮辱であるとして名誉棄損を認め、

22万円の賠償金支払いと、ツイッターの文〈その2〉を削除するよう命じた。

その地裁判決は大石側、山口側双方とも不服として東京高裁に控訴した。

で、今日2024年3月13日の高裁判決(相沢真木裁判長)が出たんだけど、

高裁では22万円支払いなどを命じた1審判決が取り消され、

山口敬之の請求は全て棄却された。

高裁で一審判決が革新的に覆るのは難しいとされる中でのこの判決だ。

大石あきこさんは嬉しかっただろうな。

最近、頬がこけてきた大石さんを動画で見ていて私は密かに心配していたのである。

問題の「クソ野郎」表現について相沢裁判長は、

「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず

「クソじじい」や「クソまじめ」、「クソ忙しい」などと

ののしりや強調の意味で用いられるとして

「『クソ野郎』という表現は、いさささか品性に欠けるきらいがあるものの、

他人に対する最大限の侮蔑表現であるのかは、

疑問を差しはさまざるを得ない」とし、その観点に立ち、

「直ちに人身攻撃となり、意見や論評の域を逸脱したとは断じられない」

と判断した。

一審判決が「クソ野郎」という言葉そのものを

人身攻撃の表現で違法だとしたのに対し、

二審は「クソ野郎」がどのような内容に対しての言葉であるかを考えたという点で

画期的だったのではないだろうか。

即ち、一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けたクソ野郎=O.K.

とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎=O.K.

言葉そのもので断罪した「貴族的」な一審判決と鮮やかな違いだ。

相沢裁判長、あまり良い評判は聞いてないけど今回は見直した。

裁判報告の記者会見で大石さんが、

「私は誰にでも「クソ野郎」と言っているわけではありません」

と弁明するのが可愛かった。

とにかく、言葉狩りにならず、言論の自由が確保されたと言うか、

悪に対して強い言葉で論評することを法的に認めたいい判決だったと思う。

フェイスブックなどのサイトでは「馬鹿」「クズ」などといった罵り表現を

避けるのが当然という傾向があるが、

「馬鹿」「クズ」に値する内容であれば、

その表現を使ってもいいのだと太鼓判が押されたわけで、

大石さんほどではないが普段から悪に対する強い表現を厭わない私としても

表現の自由さが広がり、嬉しい気がする。

近年、ポリティカル・コレクトニスとかが我が物顔に振舞っていて、

それが表現の幅を狭め、表層のみを正しいとする風潮を蔓延させている。

「馬鹿」がだめで「愚か者」がO.K.なんて、

それこそ馬鹿の極致だ。

 

大石あきこ、山口敬之に完全勝利!控訴審 高裁判決後 記者会見 (2024年3月13日15:00〜) ・・・動画ではやたら「クソ野郎」という単語が飛び交って可笑しい(ブルーはーと)

 

 

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国会前で即時停戦の声を上げる若者たち

2024-03-08 21:56:55 | 人権

ある人が、毎日増えていくパレスチナ・ガザの犠牲者のことを知人に話したら

「うわ、意識高い系~」と嫌がられたという。

しかし、大阪で「イスラエルはガザ攻撃をすぐさまやめろ!」デモをしたとき、

何人かの中学生か高校生かがずっとデモの横をついて歩いてくれた。

デモへの嫌がらせのため意味不明な言葉を喚き散らす街宣車が一台あったものの、

町行く人々もいつもの能面のような表情は少なく、

共感する雰囲気を感じた。

イスラエルのガザへの無差別爆撃によって

毎日まいにちパレスチナ人の犠牲者が増えていくことを辛く感じ、

イスラエルは間違っていると思う日本の人々はたくさんいると私は思っている。

今夜3月8日国会議事堂前集会では、

月曜日からのラマダンを体験しようという呼びかけもあったが、

それはちょっと考えさせてもらうとして、

他にも呼びかけられたうち、オンライン署名はすぐさまできるので賛同し、

一番下に貼り付けた。

このブログを読んでくださった方も、ぜひご賛同をお願いします。

 

集会の様子を撮った動画で、

全身の力を振り絞って発言する若者たちの言葉が心に響いた。

その中の一人の発言:

「私たちは国民として政府を批判する権利、

人間としてジェノサイドに加担することを止めろという義務があります。

なぜなら、目を背けること、沈黙し続けること、アクションをしないこと、

それらは私たちの人間の心を崩壊させるからです。

心を失ったら私たちは何になるのでしょうか!」

  ↓     ↓     ↓     ↓     ↓

 

[署名]ファナックは、パレスチナ虐殺に加担しているイスラエルの“死の商人”に、武器製造ロボットを売るのをやめてください!

*ファナック(本社:山梨県)はイスラエルに武器製造ロボットを作って売っている企業です。

  ↓     ↓     ↓     ↓     ↓

あなたの声がチカラになります

あなたの声がチカラになります

ファナックはイスラエルの“死の商人”に武器製造ロボットを売るな! #StopFANUCNow

Change.org

 

 

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冷静さを保って見られないガザの悲惨

2024-03-05 23:38:06 | 人権
 
「イスラエル軍の攻撃で112人死亡」支援物資待つガザ市民犠牲にABEMA TIMES
「57万人が歴史上最悪の食糧不安」ガザ飢餓の危機 報道ステーションANN
「食糧危機のガザ 子ども15人が栄養失調で死亡」 ANN
「やせ細って死んでいくガザの子供たち」栄養危機が発生と国連 REUTERS
「U.S. Airdrops Food to Gaza While Arming Israel to Drop Bombs」Democracy Now! (アメリカが空から食料を落とす傍ら、イスラエル軍は爆弾を落としている)
「16歳を射殺」ヨルダン川西側のパレスチナキャンプをイスラエル軍が夜襲REUTERS
 
 
ここ数日のネット記事や動画のタイトルを見ただけで
今のガザ市民全体が文字通り死に瀕していることが分かる。
日本政府はガザ市民の餓死に加担している。
パレスチナの人々にとって命綱のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への
資金拠出を停止しているからだ。
アメリカの尻にくっついて
何でも「はい、分かりました親方~♥」しか言えない属国の日本。
恥ずかしい
情けない
悔しい
私は日本人だが日本政府によって自分の尊厳が傷つけられていると感じている。
パレスチナの人々の地獄の苦しみに対して
私たちはそれを救う責任があるが、
日本政府は私たちにその責任を果たさせないよう妨害している。
私はイスラエル、及び、その後ろ盾であるアメリカなどの製品を不買している。
しかし、その筋道から言えば、日本製品も買えなくなってくる有様だ。
戦後長らく日本政府の権力を握っている腐れ政党の者どもを追い払いたいが、
それは今の日本社会の人々の多数がそう希望しない限り無理だ。
「戦争反対・武器より外交」の志を貫く優れた政治グループが
リーダーシップを握ることを心底願うだけのちっぽけな自分だが、
せめてこのパレスチナの旗をブログに貼って、
パレスチナの人々に想いを馳せる。
どうか生き延びてほしい。
 

⤵[日本政府および各国にUNRWAへの資金拠出再開を求める署名]

あなたの声がチカラになります

あなたの声がチカラになります

UNRWA (国連パレスチナ難民救済事業機関)への資金拠出を見合わせた日本政府【ならびに各国政府】に撤回を求めます❗️

Change.org

 

それでも世界中の心ある人たちがガザを救うために行動しているのだから簡単に心が折れてはいけない。

⤵下の動画は年寄りに「止めろ!」と言われてもパレスチナを救うために訴え続けるアメリカの若者たち。

 

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カメムシ逝く

2024-03-02 10:46:46 | 自然

三日前はいつもより暖かい日でした。

冬ごもりで固まっていた身体が少し伸び伸びして、

裏庭に出る硝子戸の桟に薄っすら溜まった埃にまで気が付いたのです。

割り箸と濡れティッシュでスーッと汚れをふき取っていて、

端っこに固まっている緑の塊を発見しました。

開ければすぐ外に通じる方の端です。

(外から入ってきたのかしら)と掌に取りました。

 

10秒後ぐらいに、ふと(あれ?まさか)と不安が過ぎり、

木立ベゴニアの葉で冬眠している家のカメムシを確かめに行きました。

カメムシは居ませんでした。

掌で固まっているカメムシを見ても、

10秒間「家の」カメムシと全く思わなかったのです。

これが安全バイアスというものなんだと分かりました。

いつかは死ぬと思っていても、今日であってほしくないので

思考をストップさせる回路が働いたのです。

確かに、ただのカメムシと家のカメムシは違いました。

約4カ月の間、同じ空間で生きてきたのです。

ほとんど同志と言ってもいいくらいでした。

哀惜の念が湧かないはずがありません。

 

遺骸は外の柚子かグレープフルーツか定かでない木の下に埋めました。

命が芽吹く春に、逝く命もありました。

 

 

 

 

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政倫審、あの人らが正直に言うと思う?

2024-02-28 22:59:55 | 日本事情

政治倫理審査会で裏金、政治資金問題の不正疑惑が晴れるなんて

庶民は誰一人思っていないと思うが、

開くと言ったり(ちゃんと説明責任果たしたというアリバイ作りのため)、

いや撤回すると言ったり(非公開が原則なのに公開なんてムリだとか)、

経過もグチャグチャだ。

当初「私の知り得ること、知っていること、すべて正直にお話ししたい

と言っていた西村コーネン前経産大臣が、

「テレビカメラは嫌だ」と駄々をこねて28日開催が急遽中止された。

結局、岸田首相が公開出席を表明して2/29、3/1に開かれることになった。

しかし岸田首相なんかが会に出席して

いつものコンニャク答弁で無駄に時間を取るぐらいなら

安倍5人衆のうち最大の裏金2728万円を入手した萩生田光一や、

5年で50億円(1カ月当たりの平均値8333万円)の政策活動費を受けた二階俊博

政倫審に出席を指示するほうがよほど有益だったろうに。

なにしろ現自民党総裁なんだから。

まあ、あのヘタレは二階や萩生田に「出席しろ」なんて電話もできないだろうけどね。

↑首相官邸で2024年2月28日午後5時38分、竹内幹撮影© 毎日新聞 提供

高木毅前国対委員長は非公開を希望していた一人だが、

岸田首相が公開出席を発表したら

やっぱり説明責任とか、国会の状況を見るとオープンでやるべきだな、ということは思っていた

と簡単に身を翻すフットワークの軽さ(笑)。

この高木毅は「パンツ泥棒」「パンツ高木」として有名だが、

それは若く未熟だった頃の過ちだったと生温かい目で見る人もいるだろう。

もっと看過できないのはこの人のおやじ高木孝一だ。

高木孝一は、敦賀市議を2期、福井県議を4期つとめた後、

1979年から95年の16年間、敦賀市長として市政を牛耳った地元政界のドンだが、

市議、県議時代に敦賀原発誘致の旗振り役を担い、

市長時代、敦賀原発の2号機建設を推進した筋金入りの原発推進派だった。

私が十数年前に知って衝撃を受け、パソコンに保存したのが次の発言だ。

1980年代はじめ、あの能登地震の地、志賀原発の建設計画が持ち上がったとき、

志賀町に出向いて講演を行った際のものだ。

(原発誘致で)その代わりに百年たって片輪が生まれてくるやら、五十年後に生まれた子供が全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、いまの段階ではおやりになったほうがよいのではなかろうか

敦賀原発ではこの少し前に、コバルト60とマンガン54が漏洩するという

重大事故が起こり、さらにそれを隠蔽するという

「事故隠し」が大きな問題になっていた。

そんな状況で「子供が片輪になっても」などと発言する人物が

パンツ高木氏の父親だ。

また、次のような言葉もある。

原発推進派の考えを端的に表すものだろう。

「原発をもってきさえすれば、あとはタナボタ式にいくらでもカネは落ちてくる。早い者勝ち!」

言い換えれば「子や孫はどうでもいい、金、かね、カネだ!」と言っているに等しい。

もし、今回の能登地震で志賀原発が稼働していたら…と、

日本中の人々がぞっとしたはずだ。

原発については、この高木おやじの発言と今回の能登地震とを見比べて判断したい。

・・・さて、こんな人の子どもが高木毅で裏金の人だ。

      高木孝一発言の参考書:『日本の原発、どこで間違えたか』(内橋克人/朝日新聞出版)

〈付記〉政治倫理審査会メンバー25人(うち自民15,立憲5,公明2,維新・教育2,共産1)

泥棒仲間が泥棒を審査する構図丸見え。これを日本語で「茶番劇」という。

 

 

 

 

 

 

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冬の終わりにーカメムシとわたしの越冬

2024-02-21 13:07:12 | 自然

今朝、蛇口から出る水が手に少し温かく、

水ぬるむ春が来たんだと思った。

この冬、私は例年になく暖房器具を極力使わずに過ごした。

昨夏、扇風機以外の器具を使わず暑さを凌ぐ実験をしたので、

その続きとして寒さも我慢しようと思ったのだ。

例外として、室内に退避させた植物たちのために

室温が10℃未満の時だけガスファンヒーターを付け、

12℃になったら止めた。そんな日が10日ほどあったと思う。

住まいが近畿地方であること、

今年が暖冬だったこと、

部屋でも外と変わらない装束を纏っていたことなどで

夏よりずっと耐え易かった。

 ←寒い日の室内での装い

思えば中国に行ったばかりの冬、現地の学生や先生方が

部屋でもジャケットを脱がないことにかなり違和感があったが、

今冬の室内の私の姿を見たらその中国の人々も呆れただろう。

暖気のない部屋は、

子どもの頃の北海道の薪ストーブの家の中や、

母が私たち子どもをストーブの傍に立たせて、

何枚も何枚も下着から上着まで丁寧に着せていたことなどを

思い出させて懐かしかった。 

また、暖房を断つことで、寒さに震えるガザや能登の人たちに

ほんの少しだけでも近づけるような気がした(所詮安全に保護された室内だが)。

 

部屋にいる人間は私だけだが、

植物や虫たちが同じ部屋、同じ室温でともに時を過ごしてきた。

私が特に気になっていたのはツヤアオカメムシだ。

⤵昨年11月、裏庭で見つけたときのもの。少なくとも二匹居た。

 

  

 

寒くなり、気がつけばカメムシも一匹、草木とともに部屋に移動していた。

⤵室内が16℃以上になったとき、植木の間をウロチョロ散策するツヤアオカメムシ。

 

⤵室温が10℃~12℃で推移した12月から今まで、カメムシは一か所でじっとして微動だにしなかった。

  

⤵二月に入り、ぽかぽかと暖かい日に外で日向ぼっこさせた。

生きているかどうか確かめたくて、

私がふうっと息を吐きかけると、触覚がピクピク動いた! 

⤵今日2月21日も、カメムシは木立ベゴニアの一枚の葉に張り付いている。

カメムシに張り付かれている方の葉は

冬でも少し、また少しと大きくなり、色も濃くなってきた。

春になったら

カメムシはまたブーンと羽音をたてて飛ぶだろうか。

 

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確定申告ボイコットしたい

2024-02-19 23:21:26 | 民主主義について

裏金脱税議員は納税するか、自首するかどっちか選べ!

と、私がぷりぷり怒りながら確定申告の作業をしていると、

毎日新聞が「戦後1947年以降、政府の不支持率が初めて80%を超えて、82%に達した」

とのこと。支持率は14%ですって(まだそんなに支持者がいるのか!)

岸田首相はこうなっても鈍感力炸裂で、まだ政権運営を続ける気でいるんだからスゴイ。

自民党に投票していた国民は深く反省してくださいよ。

そして、次の選挙では、くれぐれも庶民を大切にする政治家・政治グループに投票してください。

下の表は裏金議員の一覧表です。

選挙の時、間違ってこの人らの名前書いたらあきませんよ、ホンマに。

修正申告した裏金は使途不明、領収書なしということはその他の雑収入に相当するのが当然でしょ。

にも拘わらず森山総務会長は、堂々とこう言うのです。

「(裏金の)皆さんは(領収書はなくても)政治資金として処理しているので納税はあり得ない

ふざけてるんですか。

私たちが税務署で「領収書はないけど、適切に使ったので控除対象にしてくださいよ」

と言って通用しますかっての。

ほんと、確定申告ボイコットしたいわ。

今度の選挙で自民党に投票しようと思ってる人、迷惑ですから、ぜひ止めてください。

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