徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

久しぶりにベルリンフィルデジタルコンサートホールの時間差ライブ配信を視聴する

2ヶ月ぶりの時間差ライブ配信視聴

 ベルリンフィルデジタルコンサートホールの時間差ライブ配信を視聴するのは久しぶりだが、そもそも先月はベルリンフィルがツアーに出ていたのか休暇だったのかはよく知らないが、まる一ヶ月時間差ライブ配信がない状態だった。

www.digitalconcerthall.com

 それに3月はライブ配信が途中であちら側の事情で重大トラブルを起こして途中で配信停止になったり、さらには私の予定が合わなかったりなどで視聴0という状態だったので、結局は私の時間差ライブ配信視聴は2/27のドゥダメルのマーラーの「復活」以来ということになる。

www.ksagi.work

 まあ私も先月辺りからホール通いを再開して正真正銘のライブを聴き始めているので、それに比べるとPCのオーディオシステムで聞くコンサートは所詮はインスタント食品のような印象があるのは事実である。しかしインスタントはインスタントでもベルリンフィルである。一流料亭の味を元にしたインスタントのようなものだから、まあこれはこれで価値があるとみるべきだろう。もっともそもそも毎週のようにベルリンフィルのライブに出かけるなんてことは私には不可能なんだから。

 今回は久々にラトル登場である。プログラムはラトルらしくロベルト・ジェラールというシェーンベルクの弟子だったというスペイン人のマイナー現代作曲家の作品と、ドボルザークは「アメリカ組曲」とスケルツォ・カプリチオーソという一癖あるマイナー曲(弦楽四重奏曲アメリカなら有名だが)というクセの強い内容。こういう風にちょくちょく珍曲を並べることから、私はラトルのことを密かに「イギリスの下野竜也」と呼んでいる(笑)。まあ指揮者の格として考えると、下野のことを「日本のサイモン・ラトル」と呼ぶべきなのかもしれないが。

 

 

ベルリンフィルデジタルコンサートホール

指揮:サー・サイモン・ラトル

ロベルト・ジェラール 《ドン・キホーテ》より舞踏曲
           交響曲第3番《コラージュ》
ドヴォルザーク 管弦楽のための組曲《アメリカ》イ長調
        スケルツォ・カプリチオーソ

 前半のジェラールの曲についてはシェーンベルクの弟子という経歴から予想したようなおどろおどろしい曲ではなく、彼の「スペイン人」という特性の方が正面に出た曲である。確かにいかにも現代音楽的な響きが随所にはあるが、そう奇っ怪な曲ではなく、また曲調も非常に明るくて開放的な印象。それにラトルの明快な指揮とベルリンフィルの陽性な音色が相まって、私としては分かりにくい曲ではあったが、そう違和感を感じるものではなかった。

 さて後半のドボルザークだが、流石にアメリカ組曲は初試聴。あの超有名な「新世界」と同時期にアメリカを舞台として作曲された作品とのことで、これも響きはかなり陽性、そして天性のメロディ作者ドボルザークらしく魅力溢れる旋律に満ちた曲である。もっともアメリカ一辺倒でなく、よく聞いていると随所にスラブ的な空気も過ぎったりするのもやはりドボルザーク。

 スケルツォ・カプリチオーソは舞曲的な雰囲気のある曲であるが、スラブ舞曲のようなそのまま踊り出すような曲ではなく、奇想曲というかかなり自由な構成の音楽である。この曲についてはもっと遊ぶというか、もっと色気タップリにもっと茶目っ気を持って演奏することも可能であると思うのだが、ラトルの演奏はいささか生真面目に聞こえる。そもそもドンチャン騒ぎな曲であるのだから、私的にはもっと遊んでも良いような気もする。天下のベルリンフィルは少々遊んだぐらいで崩壊するような柔なオケでもないし。どうもサーの称号を持つ貴族様の演奏は、以前からいささか上品に過ぎるような気はしないでもない。もっとも私があまりに下品に過ぎるのかもしれないが。

 場内の反応も、一応はラトルの一般参賀はあったが、熱狂というような感じではなかった。確かに熱狂はしにくいところのある演奏ではある。