自燈明・法燈明の考察

同姓婚やLGBTについて

 GWの中日も過ぎて、私は明日から連休に入ります。

 最近、ツィッター等ではLGBTや同姓婚の話題が結構出回っていますが、これらの話題を読むたびに思う事があるので、今回はその事について記事を書いていきます。

 この件ですが、エマニュエル駐日米大使が以下の発言をしている事の記事があります。

 

エマニュエル駐日米大使「同性婚、早期に法制化を」「LGBTQの人々を排除する社会は未来を築けない」 - ニュースシェアリング

エマニュエル駐日米大使「同性婚、早期に法制化を」「LGBTQの人々を排除する社会は未来を築けない」

ニュースシェアリング

 

 この駐日米大使は日本の社会の壊れ方を加速したいんですかね?

 この発言に後押しされているかは知りませんが、例えば自民党の稲田女史も「G7までにLGBT法案を成立させたい」と発言していたり、公明党の山口代表も同様な発言をしています。

 日本の過去の歴史を見ると、やはり「黒船」には弱いんですかね。何かというと「外国では既にそうなっているから」とか、「外国では当たり前の事」という言葉が乱舞して社会の仕組みが変わる事が多々ありました。今回にいたっては「アメリカ」という日本の宗主国から言われているので、それを「錦の御旗」ではありませんが、それを以って法制化に躍起になっている様にも見受けられるのですが、これは私だけでしょうか。

 思うに同姓婚やLGBTというのは、日本国内でも「マイノリティ(少数派)」の問題であって、マスの問題では無いと思うのです。ましてやLGBTQというのは「極めてごく少数の個人的な性嗜好」の問題までもは、あたかも「性同一性障害」という性別認識の「障がい」の問題に紛れ込んでしまい、それを言葉悪いのですが「味噌もクソも同じ」とばかりにして、法制化に動いている様にしか思えないのです。

 また同姓婚については、社会の中の「婚姻」の考え方にも関係してくるので、これは慎重に議論すべき事ではないでしょうか。要するに日本という社会の中の文化にも関係する事なので、単に「時の勢い」とか「時流」、ましてや「外国の動向」等で語るべきものでは無いと思うのです。日本には日本の歴史を背景にした文化があり、その文化により今の社会は出来上がっています。それを認識した上で議論を深めるべきではないでしょうか。

 確かにこれら問題は「社会のマイノリティ(弱者)」に対する問題である事は、私自身、百も承知しています。だから単純に「反対」という意見を言うつもりはありませんが、どうも今の日本や世界の動きそものもにしても、そこら辺の事をはき違えて動いているのではないでしょうか。

 だから以下の事が問題として出来してきていると思うのです。

 

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 大阪市内にある商業施設の女性トイレに入ったとして、大阪府警は6日、戸籍上は男性で自覚する性は女性だと説明する40代の施設利用客=大阪府内在住=を、建造物侵入容疑で書...

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 確かに過去から日本のみならず世界各地に「性同一性障害」「ゲイ・レズ・バイ」というのは存在しました。また実際には「両性具備」という問題も存在しています。そもそも生物にはオスとメスという性別があり、人類にも男性や女性というのは存在します。そしてこの性別というのは、何も無意味に存在している訳ではなく、生物学的に役割を持って差分として存在しています。役割を以ってという事は、これらの扱いを間違えると生物種としての存在自体にも問題を起こす可能性があるのです。

 しかしそういったフィジカルな事であっても、やはり人間とはフィジカルだけで生きている訳ではなく、そこには「心(精神)」というのが存在し、中にはフィジカルと心が不一致になってしまうケースが存在しますし、そいう不一致を抱えた人というのは、やはり社会の中では「マイノリティ(少数派)」である事から、社会生活で大きな不利益を得ている事もあります。人間とは社会的な生物なので、社会的な死はとは、個人的な死にもつながる問題でもあります。

 だからそういった「マイノリティ」であっても生きていける社会を目指すというのは、成熟した社会であれば、当然向かわなければならない方向である事は理解しています。でも今の社会は、こういった「問題の姿」を理解する前に、話題先行で動ている様に思えてならないのです。そして一部にはあえてそれを「混乱させる」という事をもくろんで行動している人達も居る様に思えるのです。

 マイノリティを守る問題が、結果として社会のマス(大多数)の生活に不具合や不快感を起こすのであれば、結果として時間を経た先には、よりマイノリティを社会的に排除しようという過激な動きとして、この先に出てくる可能性もあるのです。今の同姓婚やLGBTQには、そういった危険性を私は感じているのです。

 単なる時流や流行の様に「同姓婚」や「LGBTQ」を語るのではなく、また法制化にしても、その前にしっかりと事前に多くの議論を重ねる必要があるのではありませんか?

 私は今の日本社会には、そこがまだまだ不足していると感じているのです。不足しているのであれば、焦って法制化なんてのは急ぐ必要もありません。しかしそれを言うと「私達は苦しんでいるのだから、邪魔するな!」という意見も出てくるでしょう。であればまずは社会に冷静な議論と理解を、もっと求めるべきであり、運動としてもそこに着目していかなければならないでしょう。

 今の日本社会のこれらに対する動きには、この先の社会に多くの危険性を内包している事を、まずは理解すべきだと私は感じています。


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