2022年11月7日月曜日

風船爆弾(7)

 7.1 森林火災への対応

風船爆弾は、まずは西海岸の森林火災が脅威と結論された。その結果、第9軍司令部、第4空軍、西部方面軍防衛司令部は、森林火災の消火に特別な支援を行うことになった。この計画は「ホタル(Firefly)プロジェクト」と名付けられ、多数のスティンソンL-5連絡機とダグラスC-47輸送機、そして約2700人の部隊(うち200人は空挺部隊)が消火活動のために火災の重要地点に配置された [1]。

7.2 生物兵器の可能性への対応

日本が細菌を運ぶ風船爆弾を飛ばすかもしれないという可能性が浮上すると、「稲妻(ライトニング)プロジェクト」と呼ばれる別の計画が開始された。陸軍当局は直ちに農務省に対して、家畜や農作物に奇妙な病気の兆候が現れたら、すぐに警戒するように提言した。それに基づいて、各地の保健・農業担当官、獣医師、農業大学などに指示が行われた。除染用の化学薬品やスプレーなどが、西部各州の戦略地点にこっそりと運ばれた [1]。

7.3 単発的な風船爆弾迎撃

1944年12月19日に第4空軍による風船爆弾迎撃の最初の試みが行われた。この日、4機の戦闘機がサンタモニカ地区で目撃された風船爆弾を捜索するようにロサンゼルス管制から指示され離陸したが、目標を発見することはできなかった。結局、1944年12月1日から1945年9月1日の間に、報告された風船爆弾を迎撃するために500機近くが発進したが、航空機によって北米大陸上で撃墜された風船爆弾は2個だけだった [1]。

その最初の風船爆弾は、1945年2月23日、カリフォルニア州カリストガ付近で、サンタ・ローザ陸軍飛行場のロッキードP-38によって撃墜された。2個目の風船爆弾は、3月22日にオレゴン州レッドウッドからネバダ州まで戦闘機によって追跡された。風船爆弾はリノ上空を通過し、近くの山中に降下した。捕獲しようとしてパイロットは着陸して自動車で追跡を続けたが、風船爆弾は丘の上でバラストと爆弾を投下して再び上昇した。陸軍の3機のベルP-63キングコブラのうちの1機が銃撃で風船爆弾を破壊した [1]。


1945年3月22日、ワシントン州ワラワラ陸軍飛行場から追跡中のベルP-63キングコブラが撮影した、ネバダ州リノ上空を飛行中の日本軍の風船爆弾の航空写真。[1]より。

また大陸とは別に、風船爆弾の飛行経路上にある最初の連合国領域は、アリューシャン列島だった。気流の関係からか、4月上旬から風船爆弾がこの地域の上空を通過した。対空砲火や戦闘機隊が風船爆弾の一部を撃墜することに成功した。4月13日にはF6Fヘルキャット戦闘機がアッツ島東部のマサカル湾上空の高度10 kmから12 kmの高度で、発見した風船爆弾の半数以上の9個を撃墜した。これが迎撃のための最後の飛行となった [1]。なお、アッツ島には日本軍の全滅後にアメリカ軍が航空基地を置いていた(「アリューシャンでの戦い ~忘れられた戦争~」の「7.4.3  日本軍の全滅後」参照)。

しかし、一般に風船爆弾の迎撃は成功したとはいえなかった。アメリカ大陸で目視で発見された風船爆弾はほとんどが高度6000m以下で、それは何らかの不具合で高度が下がった一部の風船爆弾だけだった。当時高高度での高速の気流の存在はアメリカでは十分に知られていなかった。高度10km付近で発見された風船爆弾は、高高度の風とは異なる地上の風で針路が予測されたため、その後の実際の針路や予想到着地点に大きなずれが生じた [1]。これらのため、西海岸の第4空軍では風船爆弾を十分に迎撃することはできなかった。

つづく

参照文献(このシリーズ共通)

1. Mikesh C. Robert. Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America. Smithsonian Institution Press, 1973年, Smithsonian Annals of Flight, Number 9 .
2. 防衛庁防衛研修所戦史部. 大本営陸軍部〈9〉. 朝雲新聞社, 1975年.
3. 櫻井誠子. 風船爆弾秘話. 光人社, 2007.
4. 伴繁雄. 陸軍登戸研究所の真実. 芙蓉書房出版, 2010.
5. 荒川秀俊. お天気日本史. 河出書房, 1988.
6. 荒川秀俊. 風船爆弾の気象学的原理. 東京地学協会, 1951年, 地学雑誌, 第 60 巻.
7. 草場季喜. 風船爆弾による米本土攻撃. (編) 日本兵器工業会編. 陸戦兵器総覧. 図書出版社, 1977.
8. 高田貞治. 風船爆弾(II). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p44-54.
9. 高田貞治. 風船爆弾(III). 中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p70-79.
10. Balloon Bomb(風船爆弾). Wikipedia. (オンライン) (引用日: 2019年9月5日.) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%88%B9%E7%88%86%E5%BC%BE.
11. 「ふ」作戦 ー風船爆弾始末記ー. (編) テレビ東京. 証言・私の昭和史4 太平洋戦争後期. 文藝春秋, 1989.
12. 高田貞治. 風船爆弾(Ⅰ).中央公論社, 1951年, 自然, 第 6 巻, p24-33.
13. 防衛庁防衛研修所戦史室. 戦史叢書第045巻 大本営海軍部・聯合艦隊<6>第三段作戦後期. 朝雲新聞社, 1971.
14. 明治大学平和教育登戸研究所資料館, 元登戸研究所関係者の座談会. 4号, 2018年9月, 館報, p111-127.



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