12月中旬、ドクターから家族にお話があるとのことで、母のいる介護施設から連絡があり、兄とふたりで行ってきました。
施設内の医務室に通され、施設長さんやケアマネさんも同席されました。
今現在の母は、食事が十分に摂れなくなり、体重の著しい減少が起こっています。
昼間でも眠っている時間が多くなっています。
ヘモグロビンの値が5.7と低く、かなりの貧血状態です。
体内出血などはないかの確認のため、簡易CTを撮ったらしいのですが、そこでは明らかな問題は見つからなかったようです。
ただし、入念な検査をしてみれば、重篤な病気は見つかるかもしれません。
今の段階でも、水腎症、腎臓に石、肺にも少し水は溜まっているようですが、年齢を考えると本人に負担のかかる、無理な治療の必要はないでしょうとのこと。
ドクターにしても施設側にしても、私たち家族の今後の意向を確認したかったようです。
それはこの先、母に老衰死へと至るであろう変化が起きた時に、延命措置をするか、しないかの選択。
しないというのは、自然の流れによる老衰死に身を委ねるということ。
ドクターも施設側も、自然死を勧めているのは明らかに伝わってきました。
もちろん私達家族も、そうできればそれが一番だと思っています。
でも、ちょっと意外でした!
施設での看取りができるとは期待していなかったので。
もちろん、看取りのできる施設があることも知っていましたが、やってくれる所は数が少ないと思ってました。
気づきませんでしたが、ここ数年で施設の看取り体制はだいぶ進んだようですね。
施設にいても、食事ができなくなれば病院に運ばれ点滴になって、最期は病院で息を引き取るしかないと想像していましたから。
その日は面会の時間外でしたが、母にひと目会わせてもらえないかとケアマネさんにお願いしたところ、快く母を連れてきて下さいました。
車椅子に乗って連れてこられた母は、多少目を開けてくれて、少しなにかしゃべったりもしてくれました。
すごくやせ細って生命力も乏しくは見えるけれど、どこか痛かったり苦しかったりする様子はなく、表情は穏やかで、すぐにスヤスヤ眠ってしまう母。
この環境にいる母は、決して孤独でも、不幸でもないのかもしれない。
命の炎が尽きるまでには、まだ少しだけ時間が残されているような気もしました。
燃え尽きるまでのときを、悔いなく過ごすためにも、今はとにかく母のことだけ考えていたい。