「栄養は多い方が良い」
そうに決まっている。私たちはこのように思っています。
白米よりも玄米の方が良いワケだし、玄米よりも発芽玄米の方が優れている。
栄養が多いことは、問答無用で良いことだ。そんな風に信じ込まれているのです。
でも、栄養価が高いものを食べたからといって、それがそのまま体に吸収されるとは限らない。
"栄養価の高さと吸収率の高さ"
との因果関係。これを証明する研究データは、今のところどこにも存在していない。これが実際のところのようです。
日本における自然医療の父ともいわれる、故・森下敬一博士は、
「栄養を吸収する器官は腸です。腸内細菌の状態が良い人と性状が悪い菌をたくさん持っている人では同じものを食べたとしても栄養効果は全く異なってきます」
と『血液をきれいにして病気を防ぐ、治す』(講談社α新書)の中で、指摘しているのです。
食べものについて、アーダコーダという前に、まずは自分自身の腸内環境。その心配を先にすべし。食材に含まれる栄養素の数値などは、二の次、三の次。
そのための第一歩となるのは、農薬や添加物、クスリやサプリに含まれる人工の化学物質。これらを含んだものを極力腸に送らないといった指摘です。
農薬や添加物などの人工の化学物質は、腸内細菌の乱れを引き起こしてしまう。
人体にとっては異物であって、それ以外の何者でもないので、生活空間からこの物質を極力排除していくことが大切。
こういうことではないかと思うのです。
■野菜の効能
かつて食べものとクスリとの間には、明確な境界線があったように思います。
食べものは貯蔵庫、クスリは引き出しの奥やタンスの上。子供には容易に手が届かない、そんな場所にクスリはしまわれていたように思うのです。
それがいつしか食べものを栄養価や機能性のみでジャッジするようになってしまっている。食べものに対して、
「効果効能」
を求める傾向が極めて強くなっている。何が足りない、アレが不足している。それがそのまま病気に直結していく。
こうした風潮がすっかり蔓延っているように思うのです。
人参には、ビタミンAの素になるカロテン、カルシウム、ヨードなどが比較的豊富に含まれています。
でもその反面、ビタミンCの含有量は少なく、ビタミンC酸化酵素を多く含んでいるのです。人参を食べ過ぎると肝硬変を起こしやすくなることが言われています。
またホウレン草には、カロテン、葉酸、鉄、亜鉛などを多く含んでいますが、その反面、腎臓結石や尿管結石の素になるシュウ酸を多く含んでいるのです。
何か特定の食材を崇めたてる行為は、リスクと裏腹の関係にある。過ぎたるは及ばざるが如し。何ごとも極端に偏ってはならない。
こういうことだと思うのですが、いかがでしょうか?
■不足と過剰
果実何千個分のビタミンを含んだサプリ。こうしたものをよく見かけます。
でもそれを飲んだからといって、何千個分がそのまま体に吸収されるかどうかは分からない。
それどころか、万一本当に吸収されてしまえば、キケンな事態をも招きかねないわけなのです。
ビタミンAの不足は、成長障害や免疫力の低下などを招きますが、反対の過剰は、脱毛や肝障害、小児催奇形性などの原因になります。
ビタミンDの不足は骨粗鬆症の原因になりますが、過剰は腎障害や高カルシウム血症などの原因にもなります。
栄養不足も栄養過剰も、どちらも問題。多いから良い、そう単純にはいかないものでもあるのです。
これは野菜も同じです。野菜にとっての栄養は主に、
「窒素・リン酸・カリ」
の3つといわれています。多くの農家は、たくさん栄養を与えれば、速くたくさんの収穫となって返ってくる。
そう信じて、ものすごい量の肥料を与えてしまいがちです。でもそれは、肥料過多・栄養過多となって、さまざまな障害を招いてしまうのです。
有機であれ、化学であれ、過剰な肥料の投入は
「硝酸性窒素の残留」
を引き起こしてしまいます。硝酸性窒素の残留が多ければ多いほど、虫や菌を呼び込み、蹂躙される。結果、農薬過多を招いてしまいます。
そして硝酸性窒素を多く含んだ野菜を食べれば、胃の中のタンパク質と化合して、
"ガン、アレルギー、窒息、糖尿病、アルツハイマー"
などの原因になってしまうのです。
また肥料過多の野菜は、細胞壁の構築が疎かになっていき、腐敗しやすい野菜になることも事実。
野菜の腐敗は冷蔵庫の中でも、畑においてもみられる現象で、これは「軟腐病」と名づけられているのです。
肥料をたくさん与えてしまえば、作物は地中深くまで根っこを伸ばす必要がなくなるので、根の充実が疎かになる。
そうなると、少しの風でもカンタンに倒れやすくなってしまう。
栄養過多は作物の弱体化を推進する元凶になってしまうのです。
■栄養過多が招くのは?
人と野菜の単純比較は慎む必要があるのでしょうが、かつての日本人に比べ、私たちの栄養状態は明らかに改善している。
このことは否定しがたい事実なのでしょう。
にも関わらず、ガンやアレルギー、糖尿病などの困難な病気に見舞われ続け、改善への兆候が一向に見られない。
「栄養バンザイ!」
そう無邪気に喜ぶ気にはなれないわけなのです。
医学は高度に発達し、栄養学を含めた学問研究は数多くの成果を挙げている。頻りにそう言われているのですが、難しい病気は増え続ける一方。、
減っていく兆しは一向に見られないのが現状ではないでしょうか?
どこかに間違いがある。現実を直視せずに、進歩や研究成果を語ることは、本当に真摯な姿勢といえるのかどうか?疑問がつきません。
生きものの原則として総じて言えることは、"不足に強く、過剰に弱いこと”
栄養と栄養価の豊富さを追求するのではなく、不要なものを排除していく。そのような取捨選択が必要なのではないかと感じているのです。
栄養信仰が蔓延る中、
「発芽玄米」
を選んで食べている方も少なくないのではないかと思います。
発芽玄米は玄米の毒性を低減させることができ、しかも栄養価が高い。こうしたメリットばかりが言われています。
でも、芽が出てからしばらくの間のタネを鳥は決して
"食べようとしない"
こう指摘する声だって一方にはあるのです。
大豆も、麦も、野菜のタネも、土に播けば必ず鳥がやってきて、ついばんでいくのが自然です。
鳥たちは貪欲にタネを食べようとするのですが、芽が出た途端に食べなくなる。
このことは発芽したタネの危険性を鳥たちは知っているからではなかろうか?
ジャガイモの芽にはソラニンと呼ばれる物質が含まれていますが、それがキケンなことは広くよく知られています。
発芽は植物にとって大切な瞬間だから、食われまいとして様々な有害酵素を分泌しているからではないだろうか?観察をもとに、こう推察する声だってあるのです。
鳥ですら食べないものを私たちが食べて良いのかどうなのか?考える必要があるのではないかと思います。
伝統食とは安全食。何世代にもわたって、遺伝的なチェックを受けてきた食べ方こそが「伝統食」。
同じこの国の気候風土に根ざして、生きてきた先人たちは発芽玄米を食べてきた形跡が一切見られない。
このことも事実ではないかと思うのです。
日本人が発芽玄米を食べ始めたのは、どう長く見ても、この20年くらいではないかと思われます。
理由は栄養価が高い、おそらくそれだけのことではなかったか?
そして医学的にも、科学的にも、発芽玄米の健康効果を証明した。信頼できる研究報告は今のところ何もない。これが現状といえるのです。
つまることろ、商品売らんかなの発想に過ぎないのではないかと私自身は思っているのです。
栄養不足を主張する声は根強くありますが、述べてきたことからも論理が破綻しているようにしか、私には思えません。
そしてそれは些末な枝葉末節の議論に過ぎないのではないかと思っているのです。
それよりも、発芽玄米ではない無農薬のお米をしっかり食べ、本物の味噌や豆腐などの大豆製品を頻繁に食べること。
そのことの方がずっと大切ではないかと思うのですが、あなたいかが思われますか?
■参考文献