ケンのブログ

日々の雑感や日記

夏まつり お散歩

2022年06月26日 | 日記歌入り
25日は土曜日で、朝、ジョギングする人や散歩する人 サイクリングする人を散見した。

そういう人に遭遇する確率は大阪にいたころよりも多いように思う。

やはり、関西圏は東海地方よりも都会なので週末は電車に乗ってどこかにいくとか、そういうパターンになることが多いのではないかと思った。

晴れたり曇ったりどんよりした天気だったけれど、蒸し暑かった。

水分の摂取量が増えているように思う。

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新聞に ツイッターに過去の逮捕歴が表示されるのはプライバシーの侵害だとして男性がツイッター社に削除を求めた裁判で 最高裁で削除を命ずる判決を出したと新聞に出ている。

一度ネットに出したことは なかなか消えないので わすれられる権利 が叫ばれてからもうずいぶんになると思う。

これに 関連して 僕が感じることは 例えば 検索エンジンに口コミを書く欄があって そこに 自分のことを不快な目にあわせた店員の名前を 書いている人がいる。

あれも 一度書くと なかなか消えないというのが実情のようだ。

僕はその手の書き込みに疎いので ひょっとすると消えないというよりも書いた人が消さない あるいは わすれてしまっているのかもしれないけれど。

しかし、過程はもとあれ、腹いせに 店員さんのことを名指しで書いたつもりが いつまでもネットには残っている。

書いた時は 店員さんのことを名指して書いて腹いせをはたしたぜ と思っていても 長い間 それが消えないと 逆に 書き手は、店員さんのことを名指しで書いた人 ということになって 書かれた人以上に不利益を被ることになるように思う。

八王源先生がよく「人のことを呪うときは 自分が入る穴も 掘っておいてからやれよ」とおっしゃっていた。

先生は職業が八百屋だったからそういう独特の言い回しをされていたけれど、ようするに「人を呪わば穴二つ」ということわざを念頭に語っておられたと思う。

でも 言いまわしが独特だから 心に残る。

先生のおっしゃるとおりだなあと折に触れしみじみと感じる。

■夏祭り
井上陽水さんの「夏まつり」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

聴いていただければ幸いです。

歌詞を見ればわかりますが この歌は 夏祭りの心象風景が描かれています。

夏祭りの夜店で買い物をしたり 綿菓子を食べたり 友達がみんな来ていたり。

そんな楽しいはずの夏祭り。

しかし、この歌はとても物悲しいのです。

それで、ネットでこの歌のギターコードを調べてみたら

最初の「10年は一昔」というくだりはEマイナーになっています。

つまり、ホ短調です。

短調で曲が書かれているのでもの悲しいのだと思います。

ホ短調の曲というと僕はブラームスの交響曲第4番を思い浮かべます。

そして、ブラームスの交響曲第4番の冒頭のメロディと 陽水さんの「夏まつり」のメロディを心の中で重ねてみると 少なくとも 哀愁が漂っているという点では共通点があるような気もします。

もちろん ドイツの哀愁と日本の哀愁では哀愁の質は異なると思いますが。

僕自身の夏祭りの心象風景を思い出してみても 例えば郡上踊りを友達と踊った時 楽しくもあり また過ぎゆく夏を惜しむようでもある そこにもの悲しさはあったように感じます。

もう夏もおわりの地蔵祭り(関西では地蔵盆ということが多かった)の時などは まだ 残っている宿題のことを思い出したり 残り少ない夏休みの日数を思ったりして やはり物悲しい気持ちになったような気がします。

夏だ 海だ ビーチパラソルだ というイメージもいいですが、こういう物悲しさのある歌もまたいいものだと思います。

中学生のころはこの歌の歌詞の中で 「自転車の後ろには 妹が 浴衣着てすましてる かわいいよ もらったおこづかい なくすなよ」というくだりが一番好きでした。

この歌の歌詞は井上陽水さんの故郷、福岡県の公園で石碑になっています。

陽水さんが自分の歌が石碑になったことをコンサートで紹介した時に 「みなさん なにしろ 石に刻まれてますから 雨が降っても 風が吹いても大丈夫です」という主旨のことを語っておられたと思います。

いかにも陽水さんらしい語り口だなと思いました。

↓福岡県にある「夏まつり」の歌碑です。



↓井上陽水さんの「夏まつり」をカラオケDAMの音源で歌いました。
ところどころ歌のバックに女性の声が聞こえますが近くで盛り上がっていた女子中高生の声だと思います。



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