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過去記事のリメイクです。
(元記事2018年10月1日)
こう見えて、一応法学部卒なのです。
サボり学生だったから、法律には全然詳しくないのですが。
同期や後輩には弁護士さんもいます。いい仕事しています。
ちょっと気になることがあって、超久々に法律の本を手に取りました。
現代刑法入門 第3版補訂 (有斐閣アルマ)
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私が読みたかった箇所。
刑法37条 緊急避難
火事で逃げ場を失って隣の家に飛び込んでも処罰されません。(その可能性が高い、ぐらいに読んでください)
ふだんいきなり隣の家に飛び込んだら犯罪ですが、この場合は致し方ないと認められるのです。
古くから法の大事なテーマだったらしく、次のような逸話があります。
この話を唱えた哲学者の名前を取って「カルネアデスの板」と言います。
この場合、緊急避難が許されるという説と、許されないという説があります。
許される説が通説です。
「通説」の定義をちゃんと述べるには私は勉強不足ですが、裁判で無罪になる可能性があります。
究極の場面では、人を押しのけて自分が助かったとしても、処罰されない可能性があります。
法は、人を押しのけても自分は助かりたいという人間の現実を認めているんだなと思いました。
なんだかんだ言っても、人は自分が一番大事なのだと。
崇高な理想より人間の現実に優しい。
近頃、心の世界や見えない世界に関心を持つ人が多いようです。
確かに、見える世界だけでは説明がつかないことがあります。
受験の合否とかね。
私は神様の後押しを感じました。
受験にまつわる不思議な話はたくさんあります。
でも、
手放す
ジャッジしない
魂の修行
無償の愛
・・・
本気で目指すと危ういかもよ。
だいたい基準がはっきりしません。
どこまで何をすれば合格なのか。
この点、受験は数字で評価されるのである意味楽です。
下手すると講座の主催者に延々と貢ぎ続けることになります。
お金だけならまだしも(それでもすごい痛手ですが)内面まで支配されることも。
一時「ブロックを外す」が流行りました。今もかな。
これも段階があります。
いっぺんに外す(どうやって?何を?)のは、リスクが大きすぎます。
鎧やブロックは、自分を守る必要があるからあるのです。
蓋をしていた見たくないものを無理やり見ると、反動があります。
トラウマが悪化するかもしれません。
私も身に覚えがありますが、
しんどい時ほど「一瞬でブロックを外す」「ストレスを根こそぎにする」という謳い文句は魅力的です。
でも、きわめてリスクが高いのです。
時間がかかっても、自分に優しく♡
もう一つ 私の間違いパターンを
実績ある人が「幸せになる道」を提示したら、その通りにしないと人生うまくいかない、
と思い込みました。
幼少期のパターンが再現されたようです。
母親に不平不満を感じず従うことで生き延びた時代の名残でしょう。
この本の訳者あとがきに、印象的な文章がありました。
過去にはそれが、個人を虐待的な環境やネグレクトから救い、必ずしも安全ではない養育環境のなかで葛藤や矛盾に耐えながら生き延びさせてくれたものです。
恥や罪悪感は、どんなに環境や養育者が間違っていても反旗を翻したりせず、「私/僕が悪いのだから…」と自分を小さく見せることで助けてきてくれました。
また、危険な人物や加害傾向のある人にいつも接近してしまう、いわゆる「加害者に対する魅了」は、愛着対象と危険人物が同一の時の潜在記憶として、関係性のパターンとなったものです。
こうした、トラウマ的環境下ではサバイバルを助けてきた適応策が、「今、ここ」にあって比較的安全なトラウマ後の人生を歩む際には、生きづらさの原因になるわけです。
(「トラウマ変容ワークブック」ジェニーナ・フィッシャー著 浅井咲子訳)
私も含め、過酷な育ち方をした人が成人してもモラハラ、パワハラ、DVの餌食になりやすいのは、この辺が関係しています。
ぎりぎり手前で引き返せたのは、大学の友人知人を思い出したからです。
ジャッジを手放し
自分にひどい仕打ちをした人を赦し
無償の愛で満ちているような
高尚な人間はいませんが、
経済的精神的に安定して生きています。
「この人(崇高な理想を唱える人)の言うこと本当かな・・・」と疑問を感じました。
高収入や高キャリアにはつながりませんでしたが、
ちゃんと受験勉強して大学に行ってよかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。