主任さんは早く帰りたい:『お局』

小説

「先日の患者様満足度調査の結果ですが、外来の評判が悪くて…」

委員会は重苦しい雰囲気から始まった。医療法人の接遇の水準を調査するために、アンケートを取ることになった。結果を取りまとめたのは外来の深川さんだ。

「特に外来診療の評価が良くないですね。『医師の説明がわかりにくい』『親身に話を聞いてくれない』という声があがっています」

うん、知ってた。私も担当の利用者の受診に同席したことがあるけど、正直なところ印象が良くない。伝わりにくい専門用語を使ったり、説明が伝わらないと苛立ちが態度に出たり…。これは立場上声に出して言うわけにもいかないで困っていた。

医療法人聖徳会の柏木病院は、誰がどう見ても法人の大黒柱だ。そこを訪れる患者さんたちの信頼を得られないようでは、法人の未来が危うい。

私達介護部門にとっても由々しき問題だ。外来診療から、介護の相談に流れることだって少なくはない。「どうも最近、うちの親の物忘れが進んでいるようで…」そんなご家族の声から「ではうちのケアマネと相談して、介護保険を申請してはどうでしょうか」と、介護支援の新規顧客獲得につながることだってある。訪問看護の相談にだってつながっていく。

「うーん…」

宮本課長も難しい顔をしている。まあ、うちの外来の評判が良くないのは宮本課長の耳にも入っていただろう。だが、アンケートの結果を可視化して突きつけるのはそれなりに意味がある。

「この結果は院内会議で院長他その他の部門責任者とも話し合う必要がありますね」

宮本課長の発言には皆が頷く。外来の医師に対してモノが言える人なんて限られている。ここは上に任せておくのが賢明だ。

「そうですね。介護部門や病棟の方にも患者様からのご意見ありますし、内容を検討して接遇研修についても決めていきましょう」

「ですね。そろそろ接遇研修の内容も詰めていかないと」

深川さんに続いて私も発言する。何も外来の医師ばかりの問題でもない。医療も介護も、対人援助職として常に接遇スキルを向上する必要がある。今回は外来診療のアラが目立ったわけだけど、私達だっていつ接遇の拙さを指摘されるかわかったもんじゃない。法人全体の接遇スキルを考えなければ。

「いいんですかねぇそれで。外来の件、簡単に済ましていい問題じゃありませんよ!」

…始まった。小阪主任が口を開いた瞬間、一同が顔をしかめる。

「外来の医師も、もっとちゃんと患者さんの意見を聞いてコミュニケーションとってもらわないと。デイサービスだってもっと勧めてもいいんじゃないですかねぇ!」

まあ、小阪主任の意見もわからないでもない。だが、ここはそういうことを言う場ではないな。

「まあ、確かにそうなんだけどね。でも診察も手際よくさばいていかないといけないから、デイサービスやヘルパーとかいちいち説明するのも実際は大変じゃないかな」

宮本課長がやんわりと諭すが、主任さんは聞く耳を持たない。

「うちのスタッフだって『医者の評判が悪いからデイの利用者も増えない!』って言ってますよ!ここで改善しないでどうするんですか!」

小阪主任がそこまで言った瞬間、さすがに私も苛立ちを抑えられなくなってきた。藤野さんも宮崎さんも、外来の評判の悪さは聞いているはずだ。だが、デイの売り上げ低迷を外来医師のせいにするような発言を、彼女達がするわけがない。ましてや小阪主任には絶対にそんなことは言わないだろう。彼女達は小阪主任の前で迂闊なことを言うと、彼にその発言が都合よく利用されることを知っている。

私がよく知らないデイのパート職員が医者批判をしてしまった可能性もある。だが、小阪主任の発言はハッタリだろうと感じていた。だいたい、誰かを矢面に立たせるような物言いをするのが気に入らない。

「まあ、そのことは院内会議でちゃんと議題にするから。ここではもういいじゃないか」

さすがに委員会を先に進めたいだろう宮本課長に続いて、私も発言する。

「まあ、院内会議で話し合うならそれでいいんじゃないでしょうか」

奥田さんと深川さんは黙っている。私は2人に構わず発言を続ける。

「院内会議だったら小阪主任も出席されますし。そこで院長に直接、自分の意見を仰った方が話早いですって」

私はなるべく感情を抑え、穏やかに話すよう心がける。内心はとってもいらついているのだが、喧嘩腰になってしまってはいけない。

「…」

小阪主任は私を睨むような眼差しを向けながらも、何も言わない。

「外来の件も大事ですけど、接遇研修の内容を考えてきて下さったんですよね?深川さん」

「あっ、そうそう今度は外部講師を招いてって思ってて」

フンと小さく鼻を鳴らし、小阪主任は私に鋭い目を向けていたが、彼の思惑なんぞ知らんな。その後は主任もたいして発言しなかったので、委員会は滞りなく終えることができた。接遇委員会も大事だが、通常業務にも早く戻りたい。

委員会がお開きになった後、小阪主任はそそくさとデイサービスに戻っていった。

−−−−

エピローグ:斎藤スミレ

「スミレちゃん、お疲れ〜」

バーの扉を開けて、水貴さんは私に笑顔を向ける。イベントの後、連絡先を交換した私達はたまに飲みに行くようになった。2歳しか違わない私達は今ではすっかり打ち解けている。

「水貴ちゃんいらっしゃい。飲み物なんにする?」

「ラフロイグ、ロックでね」

ママの彩子さんと水貴さんは馴染みだ。水貴さんは5年はここに通っているらしい。彩子さんはハスキーな声が魅力的で、バーに慣れていない私にも気さくに話しかけてくれた。雰囲気のいいお洒落なバーは一人で来てもとても心地良い空間だ。

「えっと、私はギネスで」

カウンターに座る私達に、程なく飲み物が運ばれてくる。

「お疲れ様です。乾杯」

「お疲れ、乾杯」

「2人とも、明日は休みなの?」

仕事を終えた私達の心は晴れやかだった。「はい」と答える私の声も、ゆっくりお酒を楽しめると思うとトーンが明るくなる。同年代と一緒に飲むのはやっぱり楽しい。

「こないだ、給付管理ミスっちゃってさあ…」

「私もありましたよ、こないだ上山さんとの約束忘れてて…」

「2人とも仲いいねえ」

時折彩子さんも会話に加わりながら、楽しい時間が過ぎていく。少し歳上の水貴さんは、一緒に過ごせば普段の畏まった態度が嘘のようなほど、屈託なく笑う人だった。

でも… 私は気がかりだった。水貴さんは悪気はないけど、時々物言いが鋭すぎる時がある。ほとんどの人とは上手く折り合いをつけているけど、あまりにも我の強い人とは対立してしまう傾向があるように感じてしまう。例えばそう、小阪主任のような。

「水貴さん、最近小阪主任となんかありました?」

「うん?あの人とはしょっちゅうやりあっちゃうよ。意見が合わないから、どうしてもね。どうして?」

水貴さんは涼しい顔で言う。この人はお酒が入っても表情もあまり変わらない。

「や、実は小阪主任がうちの上山さんと話してるの聞いちゃって…、その、水貴さんのこと悪く言ってるの…。上山さんも流してたんですけど」

「ああ、あの人は悪口言うのしょっちゅうだよ。上山さん以外の前でもいろいろ言ってる。私、知ってるから」

水貴さんは嫌な顔もせず、グラスを傾ける。慣れていると言わんばかりだった。

「私も喧嘩しちゃいけないって思ってるんだけどね…。言い方は抑えてるけど、つい言っちゃう。まあ、他の人のこと悪く言うと、聞いてて気分よくないしさ。でも私はいいのよ。主任さんに何か言われても」

自嘲したように言う水貴さんだが、やはり私には気がかりだ。こんな話はきっと気分が良くないだろうけど。

「で、なんて言ってたの?」

「それが、接遇委員会のことが何か気に入らなかったみたいで…偉そうとかなんとか」

「あはは、荒れちゃったしねえ」

「それで…水貴さんのことを『あいつは若手のお局だ』って上山さんに…」

ピシッ…

水貴さんのグラスから、氷が溶ける音が聞こえる。水貴さんは微動だにしなかった。

「そ、それはずいぶん斬新な表現するね…。気、気にしちゃダメだよそういう人のこと」

話を聞いていた彩子さんが会話に入ってくる。

「ははは。歳下の私をお局って、面白いこと言うよねえ」

水貴さんは笑って返す。こんな風に言われていたなんてさすがにショックを受けるのではないかと思ったが、杞憂だったのだろうか。

「ま、まあ上山さんもそういう話は嫌いな人だから顔しかめてたし、ホント気にしな…」

「それで、他には何か言ってなかった?」

食い気味!最後まで言わせて!?水貴さんは笑顔を崩さないが、いや、目が笑っていないように見える。

「い、いえ、他には、あの、特に」

「ホントしょうもない人だよねえ。いちいち腹立てたってしょうがないよ」

そう言うと水貴さんは勢いよくグラスを傾けるのだった。そんな勢いで飲む水貴さんは見たことがないけど…

「まあ、その、関わっちゃいけない人っているからね。あんま気にしない方が…」

彩子さんが私が言いたかったことを代わりに言ってくれる。いつもと違う水貴さんに、彩子さんも焦っているようだ。

「…ぜったいに許さんからなあいつ」

水貴さんはとうとう笑顔を作るのをやめ、素が出てしまったようだ。私は急いで別の話題を探し、彩子さんはおつまみをサービスしてくれた。

程なく水貴さんはいつもの笑顔に戻ったが、その日の酒の量は普段より多かった。

《接遇委員会編・了》


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