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ドクダミママ至言

母業落第の果て:もっと早く知りたかった子育てへの答え

苦手な子供には’あだ名作戦’がある!

以前お話ししたように、新年の抱負は卒親で、

特定の子供をあだ名で呼ぶ、

というのがあった。

 

わたしは’元’次男坊のことを新年からあだ名で呼んでいる。

自分でもすごい名案だと自負している。😁

そしてその名は・・・

 

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かあちゃんに勝る怖いものなし!・・・このくらい強くなりたい・・💦

(出典:https://twitter.com/hiikonoshima/status/990089811145801729

ジャイアン!!!

 

そう!

どらえもんの、あのジャイアン。

ギャフギャフ!🤣

 

なぜこのあだ名なのか?

体型といい、

喋り方といい、

横柄な態度といい、

悪いけど😅

そっくりだから🤣

 

違うところはいくらジャイアンでも、

母親を怖がっていて結構従っているところ。

 

うちの’元’次男坊も母親を恐れているところも多少あるようだ。

でも従うことはまずもってあり得ない。

提案にも一切耳を傾けない。

 

うちのジャイアンは自分の人生に対して親に一切口出しをして欲しくない。

その一線を越えようとすると彼は一気に活火山と化し、真っ赤でドロドロのマグマをこちらに向かってガンガンに飛ばしてくる。

あたかも向こうに行けとばかりに。

 

彼の人生に対して当然関心は大いにあるが、それと同時に平和に生きたいわたしは、

こんな時は唾を呑み込むしか術がない。

でも親というのは子供が何歳になってもどうしても口出しがしたくなる。

 まあ、自分の子供だから仕方がない。

 

ただの知り合いになってもらうためにあだ名がある

でももしただの知り合いなら、

感情抜きで対応できるので

口出しも避けることができるかもと思った。

 

だから今後は

我が子ではなく’知り合い’扱い。

そう決めたのだ。

 

とは言ってもそう簡単にはいかない。

だからまずは、名前を変えさせていただくことにした。

 

我が子の名前は親が愛情を込めて一生懸命命名した特別な名前。

でもあだ名は違う。

だから親も感情的なアタッチメントがない。

 

さらに、淡々とあだ名で呼ぶことは親子間に一線を引くことになる。

自分と彼の間に一線を引く。

いや、

一線どころではなく一万線くらい引いた方がいいかもしれない。

 

その線引きを上手に苦しまないで達成するために、この’あだ名’作戦があるのだ。

 

独立宣言

子供たちは気がついていないようだけど😅

実は

わたしの名前は’母’ではない!!

うちのジャイアンが4歳の時、保育園の先生の前で母親の名前を聞かれて「ママ」と答えていた。思わず苦笑したが、わたしの存在とは彼にとってはそういうものなのだと納得させられた瞬間だった。ちなみに父親の名前はちゃんと知っていた!💢

これは、母親にはアイデンテなどないということを子供たちが理解しているいい例である。

 

でも彼らは自分のアイデンテは強固に押してくる。

それはしんどいけれど、認めてあげてもいい。

 

でももし

ジャイアンが自分を独立した個人として認めて欲しいなら

こちらにも言い分はある。

わたしは、あなたとは異なる独立した個人であって母という肩書から退職させていただきたい。

’母’は精神的に我が子に依存しやすい。

つまり、子供の出来栄えは自分を反映するもので、自分への評価と捉えていることがそれに当たる。

それは自分の幸せのためには絶対にやめないといけない。💢

 

このジャイアンに関しては

卒母だけではない。

母業完全退職希望。

これからはママと呼ばないで欲しい。

名前で呼んで欲しい。

「〇〇さん」と。

 

最もそんなことを彼に言えば更に逆上するだろう。

あんなにひどい態度でも、親に受け入れてもらい愛されたいと思っているのだから。

(驚き・・・・)

 

けれどもガタイの大きな大人の男性を可愛いなどとはどんなに頑張っても

とても思えなくなってしまった自分がここにいる。

だからやっぱり無理。

わたしは噛み付いてくるオスのライオンには近づきたくないのだ。

(でも噛み付いてくるということは、母親を恐れているからなのかもしれない。自分を守ろうとしているのかもしれない。)

 

彼を愛していないとは言わない。

けれども心にかけるのはもうやめたい。

そのためには’あだ名よび’させてもらって(本人には秘密😅)

私たちの間にたくさんの線を引かせてもらうつもりなのだ。

 

彼がどんな人生を生きようとも

それは彼の選びであり、わたしには関係のないこと

(と毎日呪文のように自分に言い聞かせている😅😅😅)

なぜならわたしにとって彼はもはやただの漫画の登場人物でしかないから。

 

個人主義輸入の問題

昔の子供は母を泣かせることはしないように努力したと聞いている。

でも20世紀からそれが変わったようだ。

 

個人主義。

西洋からの輸入品。

日本の文化には異物。

それを日本に持ち込むと文化に合わないからうまくいかない。

だって親は日本人なのだから。

様々な新しい情報に振り回されて苦しむ母親たち。

自分の権利を主張する子供たち。

空まわり。

 

西洋に住む日本人の親も我が子の実態(自己主張が強く個人主義!)に手を焼く。

親は日本人でも子供は違う。

だから

どうしていいかわからない。

 

そっちがそうならこっちはこう

こんなふうに

子供が個人主義を貫くなら、こちらも個人主義でいくことにしよう。

 

ジャイアン。

君の人生は君のもの。

でも、わたしの人生もわたしのもの。

自分のものなのに、

自分の人生を大切にしなかった。

自分を失うくらい君に犠牲を払った自分の人生は一体なんだったのか。

と毎日そんな思いで一杯だ。

 

彼はわたしを通してこの世に産まれた。

でも基本的にはわたしから来たわけではない。

実はわたしには属していない別の人間なのだ。

別の魂を持つ人間。

わたしの仕事は終わったのだ。

 

親の仕事とはつまり

産んであげて

育ててあげて

いろいろ教えてあげて

自立させて

それでおしまい。

 

よく言われる

「親になったら一生親」は耐えるにきつすぎる。😭

 

しかし、この’ジャイアン’と口にするたびに、思わずクスッと笑ってしまう。🤣

どう考えても気難しい人ではなく’おかしい’人というイメージ。

最高にいい案だと思う。

 

ドクダミママ至言

苦手な子供にはあだ名をつけよう。

二人を繋ぐ目に見えないへその緒はなかなか切ることができない。

でもあだ名で呼べば、ちょっと心が軽くなるかもしれない。

’〜ちゃん’なんて決して呼んではいけない。

それは愛情表現の一つだからだ。

大人になりかけている子供とすでに成人してしまった子供との間には一線を引かないと、親は苦しみから逃れることはできない。

別に子供は悪気があって”母の苦手な子供役”をやっているのではないのはわかる。

でも、母にとっては拷問。

だから子供の知らないところでそれなりの戦略を考えないといけない。

’あだ名作戦’もその一つ。