おっちょこちょいで運動神経の鈍いわたしは子供の時によく転んで膝をすりむく事が多かった。
母は仕事をする女性だったので、手当ては最初だけであとは自分でやることが多かった。
4歳から自己責任なんて〜😰と思われるかもしれない。
でもそこから学んだことは多かった。
つまり
転んで血が出て痛いので、次からは転ばないように気をつけるようになった。
また全く転ばないことは避けられないので、その場合の自分の体の守り方も身につけるようになった。あまり必死になって防御しようとしないことが怪我の大小に影響すると学んだ。つまりそれは、力が入り構えると、かえって怪我がひどくなる確率が高いということだった。
実にこれは自分の欠点とどうやってうまく付き合っていくかを教えてくれた生きた学習だったのだ。
そしていくら泣いてもその痛みをどうにかしてくれる人は誰もいないことを学んだ。
そこから自分の失敗は自分で後始末をしないといけないことも学んだ。
こういうことから膝小僧をすりむくこともいいことだということが分かる。
生きていると様々な時に膝小僧をすりむくことがあるものだ。
それは避けられないことでもある。
そんな時、親がのこのこ出ていかない方がいい時もある。
ただいつ出てきてよくていつ隠れていた方がいいのか、その違いを識別することが結構むずかしい。
それは子供にもよるし、年齢にもよる。
危険だからと、あらかじめ砂利を全て履いてしまうこともできる。
砂利のないスムーズな道を選ぶこともできる。
転んだときのためにもっと安全で柔らかな地面を選んであげることもできる。
障害物がないところを勧めることもできる。
でもそれでも不安ならいっそのこと家に閉じ込めて外に出さないという手もある。
ではそこまでやっても
果たして安全を保障できるのだろうか。
そもそも、それは愛とは呼ばない。
子供を守っているようで子供の人生を取り上げていることになる。
結局
100%安全なんてないのだ。
生きていれば怪我はある。
いずれにせよ、
膝小僧をすりむくことくらいなんてことはない。
人は小さな膝小僧の痛みを繰り返しを通して成長していく。
大きくなるとはそういうこと。
それを踏まえて子育てに臨むことが心の不安を取り除いてくれるのではないだろうか。
子育て中の親のすり傷も多い。
でもそれが人生。
すり傷ゼロの人生を期待する方が根本的に間違っているのだ。
人生はそういうふうには出来ていないことを認めない限りは悩みは消えないのではないだろうか。
あの有名なヘレン・ケラー女史もこんなことを言っていた。
安全とは思いこみにすぎない場合が多い。
現実には安全というものは存在せず、子供たちも誰一人として安全とは言えない。
危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのだ。
人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にない。
ドクダミママ至言
人生にはたくさんのすり傷があるのが普通。
ただのすり傷など普通のこと。
子供はこうやって強くなっていく。
全ての人がこうやって強くなっていく。
傷を恐れリスクを伴うことを避ければそこには成長はない。
人生とはそういうもの。
本当に安全な道などはない。
安全そうに見えてもそうでもないものの方が多い。