今回は日本一の落差を誇る那智滝を神とした原始信仰に始まる熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)です
創始としては紀元前662年に神日本磐余彦命の東征の際に那智御瀧を発見し、御神体として祀った事に始まるとされます
この神日本磐余彦命はその後、八咫烏の先導によって大和の橿原に到着、そして初代天皇・神武天皇として即位されたと伝えられます
また、那智山の奥にある妙法山に登る前にこの那智滝で禊をしていたのがそのまま聖地となって御祭神の熊野夫須美大神を勧請されたとする話もあります
さらに別の話では第5代天皇の孝昭天皇の時代にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったともされます
この滝を信仰する原始信仰から始まっているため熊野三山でも社殿は他の二社よりも後で造営されており、延喜式神名帳にもこちらだけ記載されていません
この事からも元々熊野三山の神社は熊野信仰として一つのものではなく、それぞれ別々の信仰をしていたとされます
実際伺った感じでもそれぞれ少し違う印象を受けました
熊野那智大社は滝を神聖としていたのは間違いありませんが、おそらく修験道の禊の場所としての霊場の意味合いが強く、江戸時代に編集された“紀伊続風土記”にも那智山は神職がいない、修験の僧のみの霊場と記されています
平安時代以前など昔の資料はあまり残されていないので創建の話ははっきりと分かっていない事が多いですが、熊野三山として他の二社と同じ十二所権現を祀る形式ができたのは平安時代後期であると、その時代に書かれた“長秋記”に記されており、こちらは別格で“滝宮”が加えられて十三所権現とされています
こちらは後鳥羽上皇が参詣するなどの皇族にも信仰されており、また、修験道の発達によって熊野山伏や比丘尼(女性の僧)が崇敬して勢力を拡大していきました
その神領は多くの石高を受けており、建造物も大変壮麗で多くの人がいたとされます
明治時代になると神仏分離により熊野三山は完全に神社となって仏堂は廃されていますが、こちらの観音堂は残され、今は青岸渡寺として知られたお寺になっています
那智の海には南方の浄土、補陀落を求める捨身行の補陀落渡海があり、この時に使われる船は四方に鳥居がつけられ、中心の小屋のようなものの中に人が入れるようになっています
この小屋部分に人が入ったら戸を釘打ち、出られない状態にしてから海に流される、言えば海の即身仏みたいなもので、海の彼方の浄土に救済を求めるというものでした
この様子は熊野那智参詣曼荼羅という図に描かれているそうです
⚫︎大鳥居裏
それでは御朱印です
⚫︎熊野那智大社
御朱印帳です
⚫︎表紙
那智といえば囲碁で使う黒の碁石で有名な那智黒石ですね
この那智黒石のものがどうしても欲しくてお土産物屋さんで買っちゃいました!
買ってからずっとテレビの前にいます
◆熊野那智大社ホームページ◆
『熊野三山』
◆熊野本宮大社熊野川の湯が湧く聖地
◆熊野速玉大社梛の大樹が目を引く