今回は明治維新で命をかけて国を変えようとした水戸藩士と戦没者を祀る鎮霊社である、茨城縣護國神社(いばらきけんごこくじんじゃ)です
現在偕楽園の桜山に鎮座する茨城県の護国神社は、西暦1878年の明治11年にできた鎮霊社を起源とします
元は常磐神社の境内社である東湖神社がある場所に鎮座しており、冒頭の通り明治維新で国の為に殉じた水戸の烈士18,000余柱(※)を祀り、その魂を慰める場所として創始しました
※(“柱”は日本における神様を数える助数詞で、国家に尽くした命を英霊として祀る事から神様と同じ単位で数えられます)
また、西南戦争や日清戦争で戦没した茨城県出身の魂もここに合祀、更に日露戦争などもあって多くの御霊を合祀すると慰霊する場所としては狭くなりましたが、1939年の昭和14年に国の方針で各地方護国神社創建が発令された事によって“鎮霊社護國神社”となった事から独立、その鎮座地を現在の偕楽園内にある桜山にする事が決定します
こうして西暦1941年昭和16年の10月には茨城縣護國神社へ改称、同11月にて遷座となりました
しかし大東亜戦争で敗戦すると護国神社は軍国主義施設とみなされてしまい、その存続を図るために昭和22年に地名である桜山から社号を“桜山神社”と改めます
ですが平和条約が締結して日本の独立がなされたその後、昭和29年に社号を茨城縣護國神社に復称して現在に至ります
戦後も茨城県にゆかりのある戦没者の霊を合祀しており、現在は御祭神63,496柱を祀っているそうです
現在鎮座している桜山は水戸藩9代藩主・徳川斉昭が偕楽園を造園の際にこちらに桜を植えた事が名称の起源だそうで、元は白雲岡と呼ばれていたとされます
そしてこの場所、以前は一遊亭という茶室を設けており、現在も偕楽園にある好文亭とは対の存在でした
他にも玉龍泉という噴水もあり、吐玉泉の対となっています
また、鳥居前の道路向こうの小さい丘は丸山と呼ばれ、ここには水戸光圀公が建てた丸山淵明堂というお堂があり、内壁には狒々の絵が描かれていた事から“狒々堂”と呼ばれていたと言われます
現在は石碑のみになります
自分は祖父が山口県出身なので、特に苛烈な水戸藩士には多少複雑な思いがありますが、国を良くする、国を守る為という想いは同じだと思うし、その為に命を燃やした人々を尊敬しております
激しさと繊細さとが見えるような茨城県の護国神社、是非ご参拝されてみて下さい
⚫︎社号標と鳥居
⚫︎御由緒板
⚫︎狛犬
⚫︎大東亜戦争記念碑
⚫︎ああ特攻像と顕彰碑
⚫︎手水舎
⚫︎二の鳥居
⚫︎しあわせ石
⚫︎花手水
⚫︎桜ノ宮
⚫︎一遊亭跡碑
⚫︎参道
⚫︎社殿
⚫︎社務所
⚫︎顕勲の塔
⚫︎留魂の処
⚫︎ペリリュー島守備部隊鎮魂碑
⚫︎丸山淵明堂跡碑
それでは御朱印です
○護国神社
○桜ノ宮
◇御朱印は県指定文化財である西ノ内紙を使用した季節のものもございます
配布予定は公式HPかSNSをご覧ください
◉茨城縣護國神社
〒310-0912 茨城県水戸市見川1丁目2−1
◆茨城縣護國神社ホームページ◆
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