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四国の山なみ~古典山岳文献/梶ヶ森

2023/12/15
梶ヶ森

四国の山なみ保存計画第十弾


古典山岳文献 四国の山山 の中から 梶ヶ森 を紹介します


第一弾はコチラ

四国の山なみ~古典山岳文献/土佐の近代登山史 | Trekking from Kochi

四国の山なみ~古典山岳文献/土佐の近代登山史 | Trekking from Kochi

たまたま見つけた『四国の山なみ』ってサイトですが消えてしまう可能性があるので保存・紹介します

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古典山岳文献

四国の山山 ~ 梶ガ森

梶ガ森は海抜高度一四〇〇㍍。

交通の便もよく、高い割合に婦人や小学五、六年生の子供でも健脚の者なら登りやすく、県民に最も親しまれている山の一つである。

登り口は土讃線豊永、大杉、大田口、角茂谷の各駅どちらでもよく、もっとも利用されるコースは豊永からの佐賀山コースであろう。

豊永駅で下車して真南へ南小川の渓谷を西へわたって、佐賀山を経て谷沿いに山路をたどる。

深い谷合を銀蛇のように縫っている吉野川の先天谷を見下しながら次第に登ると、海抜六〇〇㍍付近で登山路は渓谷の東側へ移り、ほどなく酸化マンガン鉱を積み上げた傍らを通る。

御荷鉾(みかぶ)」累帯の千枚岩類が、この付近から秩父累帯に変わり、その珪岩にはよくマンガン鉱床を含んでいる。

ここでも小規模ながら採掘したことがある。


鉢ガ森からアンテナが林立する梶ガ森を望む。

左は杖立山方面。

平成十四年


この付近まで登ると滝の音が聞えてくる。

これは龍王ノ滝と名付けられ、落差が四〇㍍で水量も多く、中々の壮観である。

この滝から少し登った海抜九五〇㍍付近のところに、真言宗の定福寺奥の院がある。

ここは仏岳山遍照院といい、通夜堂、護摩堂があり、登山者はここに宿泊することもできる。

この付近一帯は史跡であって、弘法大師が若いころ修業されたといういろいろの伝説がある。

ここから一〇〇㍍ほど登ると大師が座禅を組まれたという本堂の岩間堂があるが、この付近二~三〇〇㍍の登りが、このコースのうちでも最も険しく、壁のように立つ珪岩が左右に迫っている。

護摩堂から西へ遠まわりすると、いわゆる禅定くぐりがある。

山腹一面はシャクナゲの名所で、真名井の滝など数瀑があり、奇岩が重なりあって趣きがある。

ここを登り切った渓流を紅葉川といい、カエデの原生林で秋の紅葉は殊によい。

これを抜けると急に眺望が開け、頂上につづく尾根へ出る。 南に弧状を描く尾根を緩い登りで一㌔近く行くと、頂上まで余すところ一〇〇㍍の登りというところに、格好のキャンプ・サイトがある。

ススキを交えた広いササ原で、少し下りると水もあり、珪岩のちょっとした岩場もあってロックの練習もでき、冬はスキーを楽しむこともできる。

最後の一〇〇㍍を一気に登ると、標高一四〇〇㍍の三角点があり、北は遠く石鎚山系の連峰を望み、南は中生代安芸川層の山々の彼方に太平洋を望見でき、眺めのよいことは県内でも屈指のものである。

キャンプの翌朝の日の出や、雲海もなかなか見捨てがたい。


昭和十八年


下りのコースは頂上から南南西へ約六㌔、海抜一一五一㍍の茂ノ森を目標に、尾根伝いに角茂谷の方へとる。

この間約九㌔であるが、この縦走路は日本アルプスの中縦走を思い出させ、好天に恵まれれば非常に快適である。

頂上から大田口へ、また杖立峠を経て大杉へのコースもよい。

杖立峠はマルバノキの群生地、オカムラゴケ類の原生地として有名である。

最近は健脚向の鉢ガ森(一二七〇㍍)を経由するコースも整備された。

豊永から落合に出て南に折れ、南小川の支流を遡り、本山営林署の事業所からマイクロウエーブ中継所で尾根に出、縦走して鉢ガ森を通過し先にのべた頂上から角茂谷への縦走路と一緒になる。

頂上まで二四㌔であるから、途中事業所で世話になるのもよいが、付近は珪岩の大露頭地帯で、河原のキャンプも趣きがある。

美良布方面からこれらの縦走路に出ることもでき、とにかく梶ガ森は四季を通じて県民に愛される山である。

(「四国山脈」より・昭和三十四年、高知県山岳連盟会長 沢村 武雄)




郷愁の梶ヶ森

梶ケ森は、土佐では昔から人気がある。

私にはなにか郷愁にも似た感慨を覚える山の一つである。

小さい時から登りつけたこともあるだろが、やはり山そのものの魅力のせいであろう。

一四〇〇㍍の山だが、小学生でも登ることができ、山頂付近全体に広がる草原の美しさ、全角の景観、雲海、水場にも近い絶好のキャンプサイト、豊富な高山植物などが県民に広く愛されてきたのである。

この山を紹介した本は数多くあり、今さらの感もあるが、すこし観点を変えて書いてみる。


鉢ヶ森付近から北北西に四㌔


鉢ヶ森山頂から( カ シ バ ー ド 3 D )


この山には過去数回登っている。

最初は昭和十八年頃、太平洋戦争のさなか、小学校(当時は国民学校と言った)五、六年生の頃に学校行事の一環として登った。

六十年余り前の事である。豊永駅で下車して谷を西に渡り、佐賀山を経て谷沿いの山道を登ると龍王の瀧があり、ここを少し登った一〇六〇㍍付近に定福寺奥の院があって百人ほど泊まれる設備があった。

さらに登ると、紅葉川(もみじがわ)という渓流があり、これを抜けると頂上への尾根に出てから急に視界が開ける。

広いキャンプサイト(一三一〇㍍)がある。

一等三角点(点名・大兀森〔おおはげもり〕)の頂上はこのすぐ上にある。

ここまで行程八㌔、三時間を要する。かなりきつい登りである。


山頂の今昔  昭和12年(1937)

県立第一高女生


山頂の今昔 平成12年(2000)


早朝の雲海昭和12年 (1937)


キャンプサイトでバレーボール

昔も今も「天狗の鼻」は変わらない

第一高女生。昭和18年(1943)


キャンプ村風景

昭和12年(1937) 県立第一高女生ら


キャンプ風景

当時の扮装や道具が面白い 昭和10年(1935)


当時は、山頂に登ってから奥の院で泊まった。

ここで忘れられないのは、皆で短歌や俳句を競作したことである。

私のは以下ようで、これを今もって忘れていないのが不思議である。

出来はよくないが、余程頭をひねったと見える。 

 雲海の上に聳える梶ケ森

   清き流れは紅葉川かな

その後は、昭和二十五年四月に高校の友人六人と同じコースをとりキャンプをした。

夜中に雪が降った。

この時の写真が数枚残されている。

定員三名のテントに六人が寝たので、芋を洗うような寝相であったろう。



この頃の山頂には、このような木組みの三角点があった


これ以後はかなりのブランクがあり、平成に入って三回車で行った。

豊永から四十五分を要する。

始めの佐賀山付近は道幅が狭いが行くに従い次第に広くなり、状況もよくなるという少し変わった道がついている。

途中、一二四〇㍍に「山荘・梶ケ森」があり、食事、宿泊ができる。

山頂に数十歩という所まで車道がついている。(正確には八十㍍、三分)。

三角点の西六㍍に祠、東八㍍に地蔵様、北三㍍に方位図盤が設置されている。


山頂直下のアンテナ群。

ここから右へ数十歩で頂上平成12年(2000)


この直下にはNTT梶ケ森無線中継所、四国整備局梶ケ森無線中継所があり、幾本ものパラポラアンテナが林立し関連施設も設置されているので、ふと、町なかの電話局にでもいるような錯覚を覚える。

山頂付近はこのようにハイテク化しているが、少し降ったキャンプサイト付近(一三〇〇㍍)に来ると昔のままだ。

造作は変わっているが懐かしい水場も健在で、ここでは毎度冷たい清水を鱈腹飲むことにしている。


夕食の準備

現在の水場とは、かなり様子が違う

第一高女生 昭和18年(1943)



昭和二十五年にキャンプを張った場所は何処だったということが、友人との間で話題になった。

写真のように後方に岩があり丘陵が見えるところを探したが、これがなかなか難しい。

ようやくここではないかと見当をつけて、記念撮影したが、場所の特定に自信はない。


昭和25年 (1950)

 


再掲平成12年(2000)


すべて昔と変わったところはない。

変ったのは、人工物が建設されたことである。

頂上、ササ原、キャンプサイト、水場の存在、天狗の鼻などすべて昔のままなのである。

(平成十七年七月記)



ところで、梶ケ森は「加持ケ森」ともいう。

点名は「大兀森」(おおはげもり)だが、云い得て妙である。

頂上付近はササ原が広くあちこちに瘤があって、確かに兀げたように見えるのである。

しかしこれらの名前でいつも疑問に思うのは、「森」が付けられていることだ。

この山には「森」は似合わない。森とは、「樹木が茂り立つ所」、「神社のある地の木立」を意味している。

頂上付近は森はおろか、樹の一本もないササ原である。

四国でササ原をもつ山のなかで、「森」が付いているのは、串ケ森、天狗森、二の森、堂ケ森、瓶ケ森、西黒森、梶ケ森、綱附森、一の森などがあると思う。

この中には森が付いても不思議でない山もあるが、梶ケ森の「森」はどう考えても理解の範囲を越えているのではなかろうか。

因みに、東北地方では、森には「丘」の意があるというが?


少しでも読みやすくと思い改行を追加しています

改行以外は何も手を加えていません



感想

高知の親しまれている山

交通の便もよく、高い割合に婦人や小学五、六年生の子供でも健脚の者なら登りやすく、県民に最も親しまれている山の一つである。


自分は高知県で最も親しまれている山と言えば、、、

工石山ってイメージがあります

高知県で最初の自然休養林に選定され、県民の森って言われてますからね

その名の通り初心者も楽しめる山です


梶ヶ森って山頂まで車で行けるのがね、、、

って事で、まだ行った事がなかったりします(^^;



採掘

御荷鉾(みかぶ)」累帯の千枚岩類が、この付近から秩父累帯に変わり、その珪岩にはよくマンガン鉱床を含んでいる。

ここでも小規模ながら採掘したことがある。


採っていいのかよ!!(笑)

これだけ堂々と言ってるから仕事、調査としておこなったのかな???


今なら、こんな事ブログでアップしたら注意を受けるでしょう

基本的に山菜だって石だって採ったら駄目です

山は誰かの所有地です

国か県か市か個人か、、、

とにかく気軽に採りまくるのは駄目ですよ



龍王の滝

この付近まで登ると滝の音が聞えてくる。

これは龍王ノ滝と名付けられ、落差が四〇㍍で水量も多く、中々の壮観である。

この滝から少し登った海抜九五〇㍍付近のところに、真言宗の定福寺奥の院がある。

ここは仏岳山遍照院といい、通夜堂、護摩堂があり、登山者はここに宿泊することもできる。

この付近一帯は史跡であって、弘法大師が若いころ修業されたといういろいろの伝説がある。

少し歩きますが車ですぐ行けます



杖立峠

頂上から大田口へ、また杖立峠を経て大杉へのコースもよい。

杖立峠はマルバノキの群生地、オカムラゴケ類の原生地として有名である。


杖立峠

梶ヶ森は昔のルートを探索するのが面白いかもね


しかし、、、

マルバノキ?

オカムラゴケ類?

有名?

植物は全くわからん。。。



24キロ!?

豊永から落合に出て南に折れ、南小川の支流を遡り、本山営林署の事業所からマイクロウエーブ中継所で尾根に出、縦走して鉢ガ森を通過し先にのべた頂上から角茂谷への縦走路と一緒になる。

頂上まで二四㌔であるから、途中事業所で世話になるのもよいが、付近は珪岩の大露頭地帯で、河原のキャンプも趣きがある。

美良布方面からこれらの縦走路に出ることもでき、とにかく梶ガ森は四季を通じて県民に愛される山である。


今の梶ヶ森へ行くイメージとはかけ離れてる

頂上までって事だから片道ですよ

全然気軽じゃない。。。



戦争中

最初は昭和十八年頃、太平洋戦争のさなか、小学校(当時は国民学校と言った)五、六年生の頃に学校行事の一環として登った。

ここまで行程八㌔、三時間を要する。かなりきつい登りである。


戦争のさなかに学校行事で山とか行ったんだ、、、

戦争なんかこの世からなくなればいいけど、、、

人間は馬鹿だからね、、、


というか、今時の小学校でこんな行事は行われないだろうなぁ

片道3時間のキツイ登りとか親からもクレームきそう



天狗の鼻

キャンプサイトでバレーボール

昔も今も「天狗の鼻」は変わらない

第一高女生。昭和18年(1943)


天狗の鼻って、後ろの岩が天狗の鼻に見える、、、って事???

今もこの形で残っているんだろうか???

これは、、、ちょっと確認に行きたいかも。。。



テン泊装備

キャンプ風景

当時の扮装や道具が面白い 昭和10年(1935)


テントを見るだけで重そう。。。

他の道具も重かっただろうし体力ないと絶対に山なんか登れないよね。。。




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