みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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越前・福井城登城!続日本100名城 43城目 天下普請で築かれた松平家の城~

福井城

別名:北庄城、福居城。

所在地:〒910-0005 福井県福井市大手 。

城地種類: 平城。

築城年代: 1601年(慶長6)。

築城者結城秀康

主な関連施設福井県庁舎一階受付(スタンプ)市立郷土歴史博物館(駐車場)。

文化財史跡区分: 未指定。

本丸北西天守

2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表しました。福井県からは 玄蕃尾城・佐柿国吉城・越前大野城・ そしてここ” 福井城 ”が選ばれました。スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。今回の ” 福井城 ”をもって続日本100名城、登城43城目とします。

2022.5.3.登城。

福井城概要:

柴田勝家が築いた北庄城の地に、1600年(慶長5)徳川家康の二男結城秀康が入り、翌年から天下普請で北庄城を拡張した城が築かれました。1669年(寛文9年)には城内の大火で天守をはじめ、建物の大半が焼失してしまいます。その後1871年明治4年)に廃城となりました。

本丸大手門跡

位置は本丸の南側で、こちらの御本城橋を渡った先に大手門がありました。では、本丸内部へと進んで行きましょう↓

 

 

大手門のあったであろう場所の両脇に、このような形の高石垣があります。おそらくこの両サイドの石垣の上に櫓門が乗っていたと考えられます。そしてこの門の内部は右折れの枡形になっていたとか…。

 

結城秀康

こちらの結城秀康像は、2002年に結城秀康の入国400年を記念して建立されたものです。ここでいったん御本城橋まで戻り、内堀をぐるりと一周してみます↓

 

 

御本城橋から東を見た写真となります、内堀の高石垣は " 打込接 の布積み " で積まれています。ここから内堀を時計周りに進んでいき、西側の御廊下橋を渡って再び本丸内部へと入りたいと思います。

 

 

こちらは本丸北西に位置する天守台跡となります。写真右手に見えるのが「御廊下橋」で、ここから本丸内部へと入って行きたいと思います。

 

御廊下橋

こちらの御廊下橋は、西三の丸に屋敷を構えていた藩主が本丸に渡る際に使用したと云われていて、屋根付きの構造となっています。近くに説明看板があったので見てみましょう↓

 

こちらの「御廊下橋」を復元するにあたり、大勢の方達の温かいご厚意があったのですね。

 

御廊下橋から見る濠

御廊下橋から見る、南側の風景がこちら↑。こうして見るとかなりの濠幅があり、整然と積まれた布積の高石垣がとても美しい…。

 

 

こちらが先程の反対側(北側)となります。こちらも素晴らしいですね、ではさっそく御廊下橋を渡り本丸内部へと入って行きます↓

 

山里口御門

この山里口御門は、本丸の西側を守る門として築城当時から存在しており、「廊下橋御門」や「天守台下門」とも呼ばれていました。寛文9年(1669)の大火で焼失してしまいましたが、その後再建されました。(案内看板より抜粋)この門をくぐり抜けて、天守台方面へと向かいます↓

 

福井城天守の図

天守台入口階段横にこちらの看板がありました。なるほど、破風の形状は「比翼入母屋破風」だったと書かれています。千鳥破風は無かった?こうなると残り2面の絵図も見てみたいところ…。

 

刻印石

先程の天守図看板の先に、刻印などを見る事が出来ると聞いていたので寄り道する事に。この×みたいな刻印の他にもこんな物もありました↓

 

 

何でも塀がこの石垣にピタリとくっ付いていたらしく、その " ひさし " の跡との事。

ここで来た道を戻り、天守台へと向かいます↓

 

福の井

天守台の近くにこちらの井戸があります、因みにこの「福の井」こちらが現在の福井の地名の由来になったとの説もあります。近くに説明看板があったので見てみます↓

 

 

なるほど、「福居」から「福井」になったんですね。

地震で歪んだ石垣

凄い傾き方をしています!相当大きな地震であったであろうと、想像に難くない。あまりにも凄いので近寄って見てみます↓

 

元々は水平に積まれていたはずです、なのにこんなにも石垣が沈み込み斜めに傾いてしまっています。地盤が緩い部分(盛土等)が液状化現象に見舞われたか…。ここである物が目に入ってきた、石垣の天端石に何やら文字らしき物が見えるそれがこちら↓

 

 

この状態で見ると「三」だが、左に90度回転させると「川」になりますね。刻印の一種でしょうか?とても気になります。

 

天守台石垣

往時、この石垣の上に四重五階の天守(高さ約30m)が聳えており、その巨大な天守は威容を誇っていたと思われます。尚、この天守台は濠からそそり立つ高石垣の内側の引っ込んだ場所にあります。何故わざわざこんな造りにしたのか?恐らくあまり強固な地盤ではないため、重量物である天守の位置を内側にずらして配置したのではないでしょうか?知らんけど…。

 

天守台入口

ここから天守台石垣の内部へと入っていきます↓

 

天守台広場

良く見ると礎石らしき物が点在していますが、本物でしょうか?ここで天端石に刻印を見つけたので、見てみましょう↓

 

 

またまた「×」の刻印です、ここ福井城で目立つ所によくある刻印でした。ここから来た道を戻り、少し離れた場所にある「舎人門」を見に行きます↓

 

山里口御門上部から

山里口御門付近の石垣上部からの写真がこちら↑。ここで注目すべき箇所が3つ程写っていました。①濠に見えるそれなりの幅を伴う「犬走り」。②写真下側、石垣の孕み。③石垣の天端にある穴。ここ福井城は細かい部分までじっくり散策すると、時間がいくらあっても足りませんね…。ここで福井城本丸の散策は終了、本丸の北北東に位置する「舎人門」を見に行きます↓

 

復元された舎人門

場所は福井城の北北東に位置する、福井市立郷土歴史博物館の敷地内にあります。「舎人門」は、福井城の外堀に設けられた門の一つです。「舎人門」という名は江戸時代の終り頃(19世紀中頃)の様子を描いた福井城下絵図にでてくる名称で、ほかにも「清兵衛町見附御門<せいべいちょうみつけごもん>」「江戸町口御門」「御泉水裏御門」などと呼ばれていたようです。(郷土歴史博物館HPより抜粋)

舎人門の礎石

こちらの厳重に守られている石は、笏谷石で作られた舎人門の礎石となります。説明看板があったので見て見ましょう↓

 

 

神社仏閣から持ってきたであろう、転用石だったんですね。以上で福井城と舎人門の散策は終了、次の城へと向かいました。

 

スタンプ押印

スタンプ設置場所福井県庁舎一階受付(土日、祝日は一階守衛室)。

スタンプの状態: " 普通 " 軽めに押したほうが良いかも。

スタンプの印影:濠越しに見る御廊下橋。

 

御城印

御城印販売場所福井市立郷土歴史博物館受付。

御城印のサイズ:通常サイズ。

御城印の値段¥:一枚300円。

福井城

見所ポイント本丸水堀石垣天守、福の井、刻印石、舎人門御廊下橋、等。

駐車場:平日は官庁の駐車場を利用可(土日、祝日は駐車不可)。

総評:現在の福井県福井市に位置し、足羽川と荒川を天然の外堀とした縄張で、本丸を中心とした輪郭式の平城でした。往時、四重五階の天守を建てる等、栄華を極めた福井城ですが、寛文9年(1669年)の大火によりそのほとんどを焼失してしまいます。現在では水堀や石垣が残り、御廊下橋や山里口御門、舎人門などが復元され見応えのある城跡となっています。巨大な天守が存在した越前松平家の城、” 福井城 ” に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

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