和久わくこ和久わくこ

親友のいきなりの激変は、病気のせい?自分に近い人をもてあそびの対象にする禍々しさ…

統合失調症破瓜型?人を弄び悦に入るそれ?

ここまでのながれ → 自死と事故死の境目「親友の死」①

望むって、どういうことかわからない

あるとき、突然の変化が訪れる病。

興味を持てるものを持ち、意欲があり、感情の起伏がある状態から一転、興味や意欲の消滅と感情の平板化が起こる。

そして、手近な人の心をおもちゃにする。

相手の反応が大きければ大きいほど、それは深くなり連続する。

相手が引いたり目の前からいなくなったら、その対象はべつの人に移る。

私は、後(大人になってから)の事例で関わったその対象者に真剣に向き合った際、

「あなたは何を望むの?」と尋ねました。

親や友人らを次々と弄ぶ行為は一貫性もなく、場当たり的(しばしば計画性もあり)。

業を煮やして問いかけたとき、その対象者は、「何も望まない。望むって どういうことかわからない。」と応えました。

それはそれで、「気の毒な人」「かわいそうな人」とも思えますが…。

人をもてあそぶ病(やまい)

「人を弄ぶ」病(やまい)。

感情に乏しく、ただ、目の前を動くものに、気まぐれに反応するだけ。

近い者ほど犠牲になる。

心配して近づく人こそ、犠牲になる。

その禍々しい存在は、「生きた狂気(=凶器)」とも思えてしまう…。

 

そう思えるほど、周辺の人が傷ついた事例は、確かにありました。

近い人ほど、被害を受ける…

「ふー」に、一番近かっただろう私、そして、多くの喜怒哀楽を共にした部員。

「ふー」にとって、近い立場だっただろう私たちが、その「弄び」の対象になった?

なーんだ ただのガキじゃん

「ふー」の理解しがたい行動、そして、「人を弄ぶ」傾向の他の事例を思い浮かべつつ、“私は「ふー」にとって どういう存在だったのか”を、考え直しました。

敢えてつきつめて。

出会った頃は、めずらしい毛色の人だったから興味を持った。

そのうち、蜜月時代の盛り上がりも下火になり、気持ち的にヒマになった。

「なーんだ ただのガキじゃん。つまんね。」となり、飽きた。

生徒会役員選挙落選が引き金?で、思春期に訪れるであろう、陽性症状発症。

ちと このガキを もてあそんだろ。

部活休んでみよう。

予想通り、部長代行で難儀しているようだ。

しかし、意外にしぶとい。

壮行式でダメ押ししたろ。

負担をかけるのを承知の上の行動とはいえ

敢えて、極端な方向に考えてみることにより、自分の心の中の違和感を浮き彫りにしてみる、それは、私がよく使う方法です。

「人を弄ぶ」傾向の人間だと仮定してのそれ。

 

でも。

 

それほどのものだったろうか…。

敢えて つきつめてみることにより、浮かび上がる さらなる違和感がある…。

 

「狂っている人」というくくりもまた、何かが違うような。

私や同学年部員に負担をかけたり、不安にさせることを承知の上の行動。

それに違いはないと思われるけど、病気:それだけでは くくりきれない要素があるような気がするのです。

なぜなら、これ以降の、私と「ふー」の関わりにはまた、別の印象があったから。

「病人疑惑」はいったん、棚上げし、以降の出来事について検証を再開します。

 

続き(後日掲載。自身の心の整理と言語化にもう少し時間をかけます)をごらんください。