チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで15年。日々の暮らしを綴ります。

「相方」

今日は或るブログを読んで居て、連れ合いの事を「相方」と書いて在った。
そう言う表現も在るのかと思ったが、
私は最近、相方の事を「妻」と書いて居る。
現職の時に組合の催し物で「妻」の事を「連れ合い」と紹介した。
組合の催し物でもあるので、民主的な表現を心掛けた。
普段使わない言葉なので少々ためらいも在った。
ブログでは「パートナー」と気取った表現でもいいのだが、
最近は面倒なので「妻」と書いて居る。
ブログの中には「奥さん」とか「嫁」とか「嫁氏」とか色々在るが、
「嫁氏」と言うのは気持ち悪い。
「嫁」と言うのは封建的な響きだ。
と言うより、女は家に居ろ!とでも言わんばかり。
唯、「奥さん」ほど気持ち悪くは無い。
自分の妻の事を「奥さん」と書くのは常識が無いと昔先生から習った。
まあ、アイロニカルで、それも有りかなとも思う。
実は「妻」と言うのも、「武士は喰わねど爪楊枝」を連想して、
少しは抵抗も有る。
唯、「奥さん」よりはましだと思って使って居る。
「嫁」よりは遥かにましだとも。
唯、「連れ合い」と言うもの仰々しくて、「相方」と言うのも何だかよそよそしい。
いや、そんな事より、中身はどうかと問われれば、
私は妻に頭が上がらない。
決して良い夫で在るとは思って居ない。
結婚する前は、もっと家事も協力的にやろうと思って居た。
それが結婚して見ると、仕事が忙しくて、それどころでは無かったし、
組合も忙しかった。
組合の闘士は家では封建的と言うのはよく聞いた。
実は私の事だった。
私は「分業」と言う言葉を口実に、詰まり、稼ぎは私が、
家事は妻がと言う事を言い訳に、今まで過ごして来た。
実は今も年金は私が、家事は妻がと。
実際の所、中身が大事で、呼び方など本当は些細な事なのかも…。


昨日の深夜食


今日の朝食(大根下ろし納豆)


さて、今夜は朝食メニュー。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【ぼくらの国会・第487回】ニュースの尻尾「高市大臣を擁護する」