入園から三週間目には、登園時に付き添ってきたママとのバイバイにも泣かなくなったチビハル。
だがその不安げな表情と、教室に入ってからもすぐさま窓から顏を出し、ママを探してウロウロしている姿に否応なく胸が締め付けられる…という日々は未だ続いている。
だが時は4月。
泣いている子供たちもまだまだ多く、定型発達の子であっても、それは変わらない。
それを考えると、チビハルの頑張りもなかなかのものだ。
いつの日か「ママ、いってきま~す!」と笑顔で手を振ってくれる日だって…
来るかもしれない。
今はまだ、先生に登園の証であるシール貼りを促され、とぼとぼ手を引かれていくチビハルに、涙目で「頑張れ…」と頷く事しか出来ない私であった。
チビハルの通う幼稚園は
「障害を持った子ほど大切にしましょう」という園長先生の考えが広く浸透していて、担任の先生だけでなく、普段関わりの少ない先生達でさえ、すぐに私とチビハルの事を覚えて下さり、
「今日はこんな事がありました」「あんな事が出来ました」と、毎日のように声をかけてくれる。
「チビハルくん、水道でたくさん水遊びしちゃって、お洋服全部お着替えしました~」
「チビハルくん、砂遊びがとっても楽しかったみたいで、頭から砂をかぶったりポケットに砂を詰めたりしていて……今日はお洗濯が大変かもしれません~」
「最近ようやくトイレの前に立てるようになってきたんですが、今度はケラケラ笑いだしたら止まらなくなっちゃって~」
などなど、ワンパクの中にも自閉スパイスがピリっと効いた素敵なエピソードを、日々聞かせてくれる先生達。
時には園長先生さえも
「チビハルくん、とても頑張ってますよ。私も担任から色々話を聞いています。これからも安心してお任せ下さいね!」と温かい言葉をかけて下さり、私にとっては、毎日が涙腺崩壊との戦いであった。
担任の先生とは園長先生からの勧めで「交換ノート」をやっている。
入園時、私がチビハルの特性、関わり方、問題行動時の対処法などについて書き込んだノートを渡し、今はそのノートを使って、日々の出来事や要望、疑問などを共有している。
担任の先生はまだ若く経験も浅い中で、多くの子供たちを抱えているにも関わらず、そのノート書きの丁寧さ一生懸命さには本当に頭が下がる思いであった。
子供を育てるには経験以上に「愛」が重要だという事が、担任の先生からヒシヒシと伝わってくる。
それほどチビハルに対する関わりは、愛情に溢れたものであった。
またそれは、他の先生たちも同様であった。
チビハルが本当に良い園に恵まれ、大切にしてもらえている事が、一度もパニックを起こさず4月を終えようとしている事からも、うかがい知る事が出来た。
そんなチビハルだが、まだまだ他の子たちのように座ってママのお迎えを待つことが出来ず、お帰り時間にはソワソワと窓辺に張り付いている。
今日はママを見つけた瞬間「ママ!」と声をあげ、満面の笑顔で駆けて来た。
その手にはチビハルの背丈の半分以上もある大きな鯉のぼりを握りしめている。
「チビハルくん、クレヨンものりも頑張りました!」
そう言って笑顔の先生が頭をなでる。
見ると大量ののりがはみ出し、乾ききれなかった鯉のぼりは、重くしっとりとその身体を風に揺らしていた。
べとべとするのりと格闘しながら、両手を使って一生懸命頑張った姿が目に浮かぶ…
チビハル初めての工作…
湧き上がる感動で目頭が熱くなった。
「これが邪魔になってくるんだよね~!いくつもいくつも持って帰ってくると!」
友人である幼稚園ママの言葉が頭に浮かぶ
だけど私は……忘れたくない
忘れてこの高ぶりを捨ててしまえる日が来るかもしれないなんて…
今の私には考えられなかった
障害児のママをやっていると、ほんの些細な成長でさえ、全身を打たれるような魂の感動を呼び起こす
これはきっと…
障害児ママの特権なのだ
………
ブカブカの制服に身を包むチビハルと手を繋ぎ、幼稚園の前の道を、のんびりと歩く
鯉のぼりを大事そうに抱えた自閉っ子チビハルは、当然の如く、先端のクルクル回る矢車に釘づけだ
持ち帰った後も乱暴に回して遊ぶに違いない
綺麗に原型をとどめているうちに写真を撮る。
ああでもないこうでもないとアングルにこだわる私に、早くよこせとチビハルは両手をあげて催促をしている。
きっと、数日後にはボロボロになるだろう。
だけどこの記念すべき初作品は、
私の心とアルバムに
最高傑作としてその姿を美しくとどめ
いつまでもいつまでも…
まぶしく輝き続けるに違いない