食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

缶詰の歴史-アメリカの産業革命と食(6)

2022-04-27 17:21:16 | 第五章 近代の食の革命
缶詰の歴史-アメリカの産業革命と食(6)
昔、アメリカのスーパーマーケットで買い物をしたときに、日本では見かけないホウレンソウの缶詰を見つけて購入したことがあります。アニメの『ポパイ』を思い出したからです。アニメでは主人公のポパイがホウレンソウの缶詰を食べると怪力を発揮していました。

部屋に戻って缶詰のフタを開けると、水煮したホウレンソウが入っていました。どうして食べようかと思いましたが、ポパイが缶詰のホウレンソウをそのまま食べていたため、私もそうしてみました。しかし、味付けがほとんどされていないため、食べるのに苦労した記憶があります。

実は、アメリカなどでは、ホウレンソウの缶詰はトマトケチャップと混ぜてパスタのソースにしたり、他の野菜と混ぜてサラダにしたりなど、料理の材料として使用されるようです。

さて、今回は缶詰の歴史について見て行きます。

缶詰は保存食のイメージが強いです。美味しく食べられる賞味期限は2~3年ですが、保存状態が良ければ10年以上は安全に食べられるそうです。ただし、膨らんできた缶詰は中で微生物が繁殖している可能性があるので、食べてはいけないとされています。また、膨らんだ缶詰を開けようとすると破裂することがあるので、注意が必要です。



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缶詰は、びん詰に使用される重くて割れやすいガラス容器を金属製に変えるというアイデアから生み出された。1810年にフランス人のフィリップ・ド・ジラールがロンドンで、このアイデアで特許を取得した。

この特許は、イギリスのブライアン・ドンキンとジョン・ホールに売却された。彼らは研究を進め、腐食されにくく毒性のない錫(すず)でメッキした錬鉄(れんてつ)製の密封缶で食品を包装する方法を開発した。

なお、錬鉄とは鋼鉄が作られる前に使用されていたもので、炭素の含有率が鋼鉄よりも高いため、鋼鉄よりももろかった。そのため、その頃の缶容器は今よりもずっと厚手で重かったという。

当初、缶は手作りで、つなぎ目ははんだで接合されていた。この缶に食品を詰め、底と同じ円形のブリキ板をその上に置いてはんだ付けして、これを沸騰水のなかに入れて内容物を十分加熱し、膨張した蓋に小孔をあけて脱気し、最後に缶がまだ熱いうちにこの小孔をはんだで塞いで缶詰とした。この作業には時間と労力がかかり、1つの缶詰を作るのに約6時間かかったと言われている。そのため缶詰はとても高価で、この時期の主な販売先は保存食を必要とする軍隊などに限られていた。

また、初期の缶詰は開けるのがとても大変だった。現在のような缶切りはまだなく、缶詰の説明書には「ノミとハンマーで外周近くの上部を丸く切りなさい」と書かれていたという。軍隊などでは銃で撃って開けることもあったらしい。

アメリカには1819年に缶詰の製造法が伝えられたが、殺菌や密封が不十分で腐るものも多かったため、人々の信用度が低く、あまり売れなかった。それでもアメリカで缶詰の製造技術の改良が進み、単位時間当たりの生産数は徐々に増えて行った。1860年代には、1個当たりの製造時間が当初の約6時間から30分に短縮されたという。

アメリカで最初に商業的に成功した缶詰は、1857年に販売が開始されたゲイル・ボーデン(アイスクリームのボーデン社の創業者)のコンデンスミルク(濃縮牛乳)だ。牛乳は鮮度を保つのが難しく、ニューヨークのような都市部では調達にコストがかかっていた。ボーデンのコンデンスミルクはこのような需要をうまくとらえたのである。

コンデンスミルクの売り上げをさらに押し上げたのがアメリカ南北戦争(1861〜1865年)だ。コンデンスミルクが兵士の食料品の1つとして大量に調達されたのだ。また、他の缶詰食品も軍隊に納品され、兵士の空腹を満たした。こうして、戦争という困難な状況で人々は缶詰の有用性に気付き始める。

ちょうどこの頃には、イギリスで開発された鋼鉄(こうてつ)の生産技術が広まり、缶の材料にも鋼鉄が使用され始めたため、缶は薄手になり軽くなりつつあった。

また、1858年には、アメリカのエズラ・J・ワーナーがレバー式の缶切りを発明した。この缶切りは南北戦争中に軍隊で使用された。しかし、刃が鋭く、けがをする人が多かったという。そして1865年には、家庭用の缶切りが付属した牛肉の缶詰が販売され始めた。この缶切りはウシの頭がデザインされていたため「Bull's head opener」と呼ばれ、人気を博したという。


ワーナーの缶切り


Bull's head opener(ライセンス:ウイキペディアより

その後も缶詰の製造方法の改良は続けられ、1885年頃には全工程の自動化に成功する。その結果、1つの機械の製缶能力が1日当たり6000缶に達するようになった。

さらに1897年には、それまではんだ付けしていたフタと胴体の接合を、現在行われているような二重巻締めする方法が開発された。その接合部には1888年に開発された液状ゴムが使用された。その結果、はんだで使用されていた鉛などの混入が無くなり、缶詰の安全性が高まった。そのため、このような缶詰は「サニタリー(衛生的)缶」と呼ばれて、広く使用されるようになった。

現在の缶詰は120℃の温度と2気圧の圧力を同時にかけることで殺菌される。自然界には熱に強い微生物が存在するが、この条件ではほぼすべての微生物が死滅するのだ。この高温・高圧の殺菌方法を開発したのがアメリカMITのサミュエル・ケイト・プレスコットとウィリアム・ライマン・アンダーウッドの研究チームで、1896年のことだ。それ以降、この方法は缶詰製造のスタンダードとなっている。

さて、現在の食料品のパッケージは非常にカラフルで視覚に訴えるものが多い。このようなパッケージを始めたのが、びん詰や缶詰のメーカーである。19 世紀の前半に食品メーカーは、びん詰食品に一目でわかるブランド名を付けると、よりよく売れることに気が付いた。当初は内容物に関する情報を記載したラベルを貼るだけだったが、次第にパッケージ全体を使って食品を宣伝するようになって行ったのである。

食品の在り方を大きく変えたという点から、びん詰と缶詰の登場は食の歴史の中で革命的なものだったと言える。


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