まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

信じる信じないは・・・

2021-11-25 22:18:55 | 行動計画 & 積極的思考

最近は金曜日または土曜日の晩に長文を記すことが多い。

だが、今週はちょっとばかり追われているので、本日木曜日に記しておきたい。

実は今回は何も下準備をしていなかったのだが、指の動くまま記してみる。

 

我が一族はその傾向があり、様々な奇跡と遭遇する。

私もけっこう様々な経験をしている。

それは生死をわけるぐらいの危険回避もあるし、なかなか治らない病気やケガの回復もある。

 

後者のほうが例としてすぐに浮かぶし、それを記しても精神異常者と言われなくて済むであろう・・・。

 

生まれつきあちらこちら良くないのだが、私はそれなりに楽しくへらへらと暮らしている。

しかし、一度おかしくなると、長引く病気やケガ。

 

それなのに、ある日奇跡が起きて、見事な回復につながるから「あーら不思議」。

 

「奇跡」と記したが、祈ったからといって、すぐその場で良くなることは少ない。

それで済むなら、世の中から大病など無くなってしまう。

 

そんなことができるのは神でなければ(相手のため、自分のために祈るという区別はともかくとして祈る人が)神様に一、二段近いステージにいる方であろう。

 

しかし、心から祈れば、ヒントぐらいはいただけるのである。

ある日何気ないことを思いつき、試しに実行すると、とんでもないことが起きる。

この「とんでもない」は奇跡の前触れのこと。

それがケガであるとすれば、ある意味その奇跡の前触れは生物・化学・物理の世界である。

 

ここで大切なのは、「やはり行動しなければならないのは自分」だということ。

「神様、仏様!」だけでは簡単には変わらないのである。

実は私はけっこう信心深いほうであるが、自分の半生を振り返ってみると、こんなことばかり。

 

そう、神はしっかりとヒントをくださっている。

だが、いきなり声が聴こえてきて「おーい、お前。これこれこうしたら良くなるぞ~」ということはない。

そんな声が聴こえるとしたら、多くは神のレベルではないと思う。

良い意味でも悪い意味でも。

 

それはともかくとして、病気だけではなく、行動の指針や道に迷ったとき、何気なく振りむくと、そこにヒントが書いてある。

何気なくラジオのチューンを変えると、ヒントが聴こえる。

何気なく窓の外を見ると、キーワードになるモノが目に入る。

それに気づくか、気づかないかの違い。

 

私はそう思っている。

 

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