最近は金曜日または土曜日の晩に長文を記すことが多い。
だが、今週はちょっとばかり追われているので、本日木曜日に記しておきたい。
実は今回は何も下準備をしていなかったのだが、指の動くまま記してみる。
我が一族はその傾向があり、様々な奇跡と遭遇する。
私もけっこう様々な経験をしている。
それは生死をわけるぐらいの危険回避もあるし、なかなか治らない病気やケガの回復もある。
後者のほうが例としてすぐに浮かぶし、それを記しても精神異常者と言われなくて済むであろう・・・。
生まれつきあちらこちら良くないのだが、私はそれなりに楽しくへらへらと暮らしている。
しかし、一度おかしくなると、長引く病気やケガ。
それなのに、ある日奇跡が起きて、見事な回復につながるから「あーら不思議」。
「奇跡」と記したが、祈ったからといって、すぐその場で良くなることは少ない。
それで済むなら、世の中から大病など無くなってしまう。
そんなことができるのは神でなければ(相手のため、自分のために祈るという区別はともかくとして祈る人が)神様に一、二段近いステージにいる方であろう。
しかし、心から祈れば、ヒントぐらいはいただけるのである。
ある日何気ないことを思いつき、試しに実行すると、とんでもないことが起きる。
この「とんでもない」は奇跡の前触れのこと。
それがケガであるとすれば、ある意味その奇跡の前触れは生物・化学・物理の世界である。
ここで大切なのは、「やはり行動しなければならないのは自分」だということ。
「神様、仏様!」だけでは簡単には変わらないのである。
実は私はけっこう信心深いほうであるが、自分の半生を振り返ってみると、こんなことばかり。
そう、神はしっかりとヒントをくださっている。
だが、いきなり声が聴こえてきて「おーい、お前。これこれこうしたら良くなるぞ~」ということはない。
そんな声が聴こえるとしたら、多くは神のレベルではないと思う。
良い意味でも悪い意味でも。
それはともかくとして、病気だけではなく、行動の指針や道に迷ったとき、何気なく振りむくと、そこにヒントが書いてある。
何気なくラジオのチューンを変えると、ヒントが聴こえる。
何気なく窓の外を見ると、キーワードになるモノが目に入る。
それに気づくか、気づかないかの違い。
私はそう思っている。