おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

おじさんの哲学〔2〕

ごきげんよう、人生後半にもかかわらず二合飯ぺろりのおじさんです。 

一ト通り終わった「おじさんがおじさんになるまでの話」に続いての、おまけの話2回めです。「哲学」と言うと大仰なのですが、普段どんなことを考えながら生活しているか、というお話をしていますよ。

ゆるゆると仏教に沿って、ゆるく生きる

先にもお話しましたように、おじさんの生活のベースには宗教をはじめとする哲学が多く含まれています。宗教好きが高じて仏教系の大学で学んだこともあってか、仏教が占める割合も結構高めです。おじさんが学んだ大学の宗教学の教授はこのように仰っていました。

「お釈迦さまのことを知るには手塚治虫の『ブッダ』を読みなさい」

かの作品は創作の部分も多いのですが、仏陀の生涯と思想について丁寧に描かれていて、宗教・仏教をこれから学ぶ人に最適なのだそうです。

その上で『聖☆おにいさん』を読むと楽しさが倍増です。と言うか、この作品は釈迦とキリストの生涯や教典に書かれている内容のパロディなので、それを知らないとおもしろくないんですよね。

さて、『ブッダ』を読んでも分かるのですが、釈迦は苦行をよしとしませんでした。釈迦が生きた時代の宗教者らによると人は苦行を積むことで徳を積み悟りを開くとされていて、出家してからの釈迦もしばらくは苦行をしていたのですね。その場所の名前が「苦行林」。そこに6年もこもって苦行したのです。

そこで釈迦が何を得たかと言うと、「苦行をしても何も得られない」という知見。
断食の上、日の当たる場所で1日中、片足立ちをするとか、門外漢にはどのような効果があるのか量りかねるものをはじめとした苦行を重ねた釈迦は、目は落ちくぼみ、肋骨が数えられるほど浮き立った姿で苦行林を出て、ある娘が捧げた乳粥を食べます。

すると元気が出たのです。乳粥を捧げた娘の名前は「スジャータ」。

「やっぱ食べなきゃダメだよね!」てことです。て訳で、みなさんもダイエットだ何だと言って食べないというのはやめておきましょうね。しんどいときこそ、ごはんを食べてください。肥って困るなら、食べた以上のカロリーを運動で消費すればいいのです。

このような次第で、釈迦は苦行をやめました。お釈迦さまですら何も得られなかった苦行を私のような凡夫がしたところで無駄無駄無駄ァ!であります。という訳で、おじさんは苦しいことや厭なことはできるだけしないようにしています。

どうしても苦しいこと厭なことをしなければならないことになったら、苦しいこと厭なことを楽しいことに変換してから取りかかることにしています。やりようはあるものです。

そんな風に「できるだけ楽に楽しく」を旨として生活していますが、この世は苦ばかりである、というのもまた真なりであります。これも仏教の教えですが、人はこの世に生まれ落ちた瞬間から八つの苦しみを背負います。即ち「四苦八苦」です。

まずは、生まれて生きることそのものが苦しみ(生苦)です。そして、老いる苦しみ(老苦)、病いの苦しみ(病苦)、死ぬ苦しみ(死苦)。生老病死、これが四苦。

これに、愛するものと別れなければならない苦しみ(愛別離苦)、憎いものと出会わなければならない苦しみ(怨憎会苦)、求めて得られない苦しみ(求不得苦)、自分の心と身体でさえ思うままにはならないという苦しみ(五蘊盛苦)を合わせて八苦。

つまり、生まれて死ぬまで苦しみだらけです。苦しみしかない。「生きていればいいこともある」なんてことを言う人もいますが、それは勘違いです。いいことがあるのではなく、苦しみが消える瞬間がときどきあるだけです。それを「いいことがあった」と勘違いしているのです。

だから、生まれてこない方が人はしあわせなのです。仏教では「輪廻転生」が唱えられていますが、これは今生で修行が成し遂げられなかった人が「もう一回やり直し」で生まれてくるんです。つまり留年です。人生という修行を通して徳を積んで仏になれなかった人が、別の人格として生まれて徳を積むための修行を続けるのです。

だから、優れた人は生まれ変わらない。悲恋ものの物語で「生まれ変わって結ばれたい」なんて言ったりしてますが、それは「留年前提の恋愛」ということですな。輪廻転生はしないのが優等生。輪廻の輪を脱け出すことを仏教では「解脱」と言いますな。

稀れに若くして亡くなる人がいます。「いい人ほど早く亡くなる」てなことを言ったりしますね。逆に「憎まれっ子世に憚る」なんて言葉もあります。

つまりこれは、修行の度合いですよ。早く亡くなるということは、今生での修行が早く終わったということです。だから「おめでとう」案件です。憎まれっ子は徳が積まれなくて長々と修行をしていなければならないので長生きする訳です。

生きていたって苦しいばかりだし、早く死ぬのはいいことだし、生まれてこない方がしあわせなんですな。

という思想のもと、おじさんは生きています。それでなくても苦しい人生なんだから、できるだけ苦しいことをしないようにしているのです。他者に苦しみを与えないように気をつけているのです。

どうしても合わない人というのはいるから、そういう人とは憎み合ういがみ合うのではなく、ふれ合わないよう距離を取ればよろしいです。誰だって厭なこと・苦しいことは厭だから。お互いに厭なこと・苦しいことを与え合わないようにしましょう。

自分と自分以外の存在があれば、どうしたってその間には少なからぬ摩擦が起きます。摩擦すると痛いから、できるだけこすれ合わないようにしましょうね。と、おじさんは周囲に対して思っています。

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