勉強からきしの息子が中受することになったいきさつ8 | Be natural~中高一貫進学校にねじ込んだ親とその子のその後のブログ

Be natural~中高一貫進学校にねじ込んだ親とその子のその後のブログ

中高一貫にねじ込んだけど…あまり語られることのないその後を綴ります。
2014終了組→五年生から中受参戦。日能研偏差値40台からのスタートで二年間の全力疾走。下剋上で超難関校へ入学するも深海魚に
2018終了組→入念に準備の上SAPIXα常駐。第一志望の一つへ入学

当時、私たちが住んでいた学区は割と

意識の高い系(←w)で

 

A市の芦屋

 (それってつまりどこやねんwつっこみどころ満載過ぎて、もはやどこだかさっぱりわからないw)

 

と呼ばれていた(苦笑)

 

駅から徒歩圏内の丘の上にある学区で、

住民の層的に、すごく良い地域だよー、

と言われていたため、安心して引越をしたのだが、

 

「親の代からずっとN丘やねん~。」

という感じの地元意識バリバリの学区だったので、

新参者の家族にとっては、学校生活全般、PTAなどは逆に大変だった。

 

みんな親が近くに住んでいる、

若しくは同居。

なので、核家族の母が下の子を抱えてPTAに参加するのがどんなに大変かを分かってくれる人の数が極端に少ないのだ。

良く言えば、PTA活動がとても盛んな学校なのだが、

その当時のPTAの構図としては、

本部はとてもアクティブだが、末端会員は「うっかり選ばれてしまった、実はなるべくやりたくない人の集まり」という感じになっていた。

そんな集団だったので、どんな理由であれ定例会に欠席なんてしようものなら欠席裁判で酷な仕事を押し付けられてしまうということがわかったので、一度40度近く発熱している次男を毛布にくるんで定例会に出席し、やむなく床に転がしておいたが声をかけてくれたのは本部役員の友人一人だけだった。

定例会は夜から行われることもあるため、子どもが小さいからと辞退をお願いしたが受け入れてもらえない。

転勤族なので、いくつかのPTAを経験したが、

私は未だにあんなに大変なPTAに遭遇したことがない。

 

普通のサラリーマン家庭の子どもが中学受験をするなんて聞いたこともない。

というような関西の田舎だったが、ここの学区だけは割とする子もいるという理由で運動会もずっと五月に開催されてきたようだ。

 

…思い出して書いているだけで当時のもやもやした気持がくすぶりだしてしまい、少し話が横道にそれたがw

 

伸の学校でのグループは仲良し三人グループだったが、

伸を除く二人は三年の二月から電車に乗って、

どうやら本気の塾に通っているようだった。

近所に住んでいるその子の背負ったリュックは

青くて

横長で

真ん中に「N」と大きく書いてあった。

どこ(場所)まで通ってるのかな、と思い、

ネットで調べたらすぐにわかった。

どうやら日能研という全国規模の中学受験専門塾の最寄りの校舎らしい。

この辺りだと電車で三駅のところにある。

 

夫婦ともに中学受験を経験していないので、

当時は中学受験ときいても

(なんかよくわかんない世界ですね…。)

という感想しかなかった。



にほんブログ村




にほんブログ村

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(日能研)へ
にほんブログ村