ロシアのウクライナ領内における「特別な軍事作戦」が始まって5ヶ月。国際社会が一致団結して求めた(ことになっている)「正義」は実現したのだろうか。

 

 

ロシア・ウクライナ「戦争」は、相変わらず検証するのが難しい情報が小出しにされるばかり。いろんな意味で膠着状態。

 

総じて、一進一退しつつも、東部、南部におけるロシア軍の占領地域が漸次拡大している、といった状況のようです。

 

 

⚫「敵対勢力」日本。

 

先日、産経新聞に、こんなベタ記事がありました。

 

(産経新聞7/22日大阪6版)

 

 

いやいや、〈「国際法上も国際商習慣上も非難されるべき決定だ」と指摘〉してみてもねえ、というのが率直なところ。

 

何しろ、我が国として、はっきり「ウクライナ国民とともにある」と表明してしまい、ロシアにとっての「敵対勢力」になってしまっているわけで。

 

もちろん、こちらの言い分をきちんと口にしておくのは大切なことなんだけれども。

 

 

ところが、こんなニュースもありました。

 

【7月22日 AFP】(更新)ウクライナとロシアは22日、穀物輸出の再開をめぐる国連(UN)とトルコとの合意文書に署名した。世界的な食料危機の緩和が期待される。

 

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 国連とトルコが仲介した今回の合意では、ウクライナ南部オデーサ(Odessa)周辺の黒海沿岸3港からウクライナの船が出入りできる回廊を設置し、同国とロシアは出入りする船舶を攻撃しないことが定められた。関係者によると、穀物輸出は8月中旬までに完全に再開する見通し。

 

 

 

う〜む、こちらは「戦争当事国」同士なのに。

 

もちろん、だからこそ、トルコと国連という仲介を立てて合意しました、という「演出」が必要だった、とも言えるんでしょうけれども。

 

 

ま、とりあえず、世界的な食糧危機、物価高が懸念される中、基本的に喜んで良い話だとは思います。

 

思いますが、さて。

 

 

⚫「正義」はどこへ消えた?

 

ロシアにはロシアなりの「正義」(国際法上の理屈)があって始めたこの軍事行動。

 

 

その前段階では、米国政府は強い警告を発するどころか、むしろ、容認するかのような気配さえ滲ませてました。

 

何しろ、多くの米国民にとって、遠いヨーロッパのしかも東の端っこの話です。

 

米国世論は、当時も今もほとんど無関心。むしろ、何故に政府は、ウクライナを援助し続けているのか、無駄に戦争を長引かせているだけではないのか、という批判も見受けられます。

 

死なない程度に輸血してるだけ、なんて意地悪な論評まであります。

 

 

一方、ヨーロッパの人々にとっては、一応隣国のことだけに、ロシアの「ウクライナ侵略」には驚愕し激昂もしたでしょう。

 

ロシア軍の残虐行為とか、避難民の悲惨な状況とか、随分と報道されてました。

 

しかしながら、各国政府は、ロシアとの関係性からして、本気で敵対することはできないと分かってもいたようです。 

 

 

大雑把に言って・・・

 

国内世論とは別のところにある思惑によって、(手のひらを返すように)最大限のウクライナ援助を決めた。けれど、直接軍事介入だけはしない米国政府。

 

逆に、国内世論に押されるかたちで、しぶしぶ米国に付き合うことにした。それでも、ロシアと決定的に敵対することがないよう細心の注意を払う欧州各国政府。

 

・・・という図式かと。

 

 

ところが、我が国日本は・・・

 

それらの国々による発表・声明(往々にして言ってるだけの建前だったりする)や、既存メディアの報道(ロシアを絶対悪としウクライナを一方的被害者とする)を真に受けてしまった世論。

 

その動向を見て、例によって、やたらと張り切って見せる岸田内閣。

 

・・・という流れかと。

 

 

⚫「断固認めない」という嘘

 

しかしながら、もとより、国際世論は一致団結などしていなかった。

 

 

欧州各国は、本気でロシア制裁をすれば、自分達の方がより困難な状況になると分かっていて、米国政府と世論をなだめる程度に行動を抑制していた。

 

 

米英主導の国連決議等に賛成しない国々は、ロシアや中国の息がかかっているから、と言えば、それはそう。

 

けれども、他国が口にする、いわゆる「正義」なるものが自国を助けないという現実を知っている、と言えば、やっぱり、それもそう。

 

 

力による一方的な現状変更は国際法上認められない。

 

此度の、ロシアのウクライナ侵攻は正義に反する。

 

確かに、その通りでしょう。

 

 

かつての日本と今のロシアとが似ているとしても、その間の、人類史の蓄積、社会の進歩を無視できない、という議論も分からないではない。

 

(ワタクシ的に、両者が「全然違う」とも思わないけれども)

 

だからと言って、自らソレを実現する意志も力もない者が「正義」を口にするのは、ちょっと恥ずかしいぞ、という気がしてしまうのは何故だろう。

 

 

もちろん、先生とか上司とか警察とか、自分に代わって「正義」を実現する人が存在する社会ならば、言う意味があるにはある。

 

(ちょっと恥ずかしい感じは同じだけれども)

 

しかしながら、国際社会は、そうではない。

 

 

⚫まずは、1人で立てればこそ

 

「正義」を口にし、かつ、それで他国を動かせるのは、自国だけで立てる国。もっと言えば、ちゃんと戦争できる国だけだと思う。

 

 

国際法も「正義」も、つまりは強い国、勝った国に、都合よく「引用」されるだけのもの。

 

くらいに考えたほうが良いのではないか、という気もする。

 

 

少なくとも、人類の今は、まだ、其処だろう。

 

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いるだけでは、守るべきものも守れやしない、と、少なくとも政治家諸氏には、その部分は鬼になってもらわないとね。

 

 

と言うか・・・

 

ロシアの肩を持つどころか、その言い分を知ろうとすることすら、猛烈に批判していた人達は、今、何処へ行ってしまったのだろう。

 

所詮、「旬のネタ」に反応していただけなのかな?

 

 

 

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関連過去記事。上か下かは微妙ですが、我ながら「斜め」だなあと。

 

 

真実は、50年後、100年後にならないと分からない。

 

いや、永遠に藪の中かもしれない。

 

それだけに、最新情報を追っかけ、それに一々反応しても、徒労に終わる「可能性はゼロではない」ようにも思う。

 

したら、自分自身の精神衛生、日々の暮らしを守ることの方がよほど大切。

 

ウクライナのこともロシアのことも、それに絡んでくる範囲内で考えていこうと思います。

 

 

 

そもそも「正義」と言っても結局は相対的・個人的なモノでしょ、という人と、もともと絶対的・普遍的なモノをこそ「正義」と呼ぶ人がいて、というね・・・

 

しかも、平時、有事、戦時・・・置かれた状況への感受性、微妙な温度差から、他者に対して激しい「反応」を示す人も出て来たりで。

 

 

 

 

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これまた、世論の動向を見て、その方向性に乗っかって張り切り過ぎる岸田内閣。

 

プーチンさんの、安倍さんを偲ぶ気持ち(があるかどうかは分からないけど)すら、一切認めない、ということでしょうか。

 

 政府は、安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」を巡り、ロシアのプーチン大統領の出席を認めない方向で調整に入った。複数の政府関係者が22日、明らかにした。

 

 

 

国葬は「始めから決めていた」らしい岸田さん(ホントか?)。

 

村八分(俗に、絶交しても火事・喪事の付き合いだけは認める、の意味とか)の掟を知らないのかしら。

 

ワタクシ自身、「大切な人の葬儀に誰ソレは来なくていい」なんて子供みたいなことは(たとえ思ったとしても)口にしませんけどね。

 

 

というか、(それまで「露・宇戦争」が続いているとして)弔問外交の場で間を取り持ってやるぜ、くらいの気概は・・・ないだろうなあ。