外資転職は諦めた。

 昨年のこの頃、転職活動をしていた。 昨年のこの頃、転職活動をしていた。 職場ではうだつが上がらず人間関係も壊滅的だったから、一刻も早くこの場所から逃げ出し新天地で態勢を整えようと思っていた。


 そこでいくつかの転職サービスに登録した。JACリクルートマイナビ等々、有名どころはおおよそ網羅した。 けれど結局、彼らの紹介する求人はどれも大差なかったし、どの求人もネットで検索すれば出て来る程度のものだった。自分で勝手に調べて勝手に応募した方が早かったし、彼らのアドバイスもネットでググれば出てくるような紋切りのセリフばかりで、リクルートのプロフェッショナルなんてそうそういないということが判った。少なくとも、私のような文系で特別なスキルもなくただ漫然と職歴を経ただけのような人間にとってはそうだった。


 ずっと事務畑を歩んできて適性が無いと思っていた私は営業をやってみたかった。けれど30代で未経験営業となると明らかに低給だったり明らかに軍隊式のブラック企業だったりするようなところしか残っていなかったし、条件の良いところは若さか経験のどちらかが必要だった。


 これじゃ転職をしても旨味がないな、と解り始めてきた頃、とある大手外資系銀行からメールが来た。それはいわゆる「中国四大銀行」と呼ばれる世界でも5指に入る超巨大金融機関のA行だった。当然、中国に滞在していた頃、何度も各地で支店を目にしていた。


「貴方様の経歴を拝見し、共に働きたいと思う、連絡を下さいませんか。」


 招聘文はこなれない日本語で書かれているし、そもそも私はA行にエントリをした覚えはない。「これはイタズラかな?」と思ったのだけれど、記載されている応募先に電話を掛けたところ、それはやはり間違いなく四大銀行のうちA行の東京支店でありメールも誤りではなかった。  連絡を取り合ううちに、どうやらA行はどこかの転職エージェントに紹介された私の求人を秘密裏にコピーしており、エージェントを仲介すると手数料がかかるから勝手に私に連絡をとってきたらしいということが判った。
 私は、面白い!と思った。そういう危うい身勝手な採用活動を平気でしていることが凄く中国的だと思ったし、そんなリスクを冒してまであの(中国人なら)誰もが知っている大メガバンクが連絡をとってきてくれたことに心躍った。


「受けます。」


 と伝え、すぐさま既に外資転職を成功させた友人に相談し英文による履歴書を書き上げA行に送付すると翌日には「可」の連絡が来、翌週には電話面接を了し「可」の連絡を受けた。 電話面接は英語と中国語で人事担当と簡単なやりとりを求められたけれど、予め用意していたQAのフレーズを吐き出すだけだったので難なく通過した。次回は実際に支店の幹部級との面接だったけれど、1か月の猶予があるとのことだった。 電話で想定問答を見ながら回答するのと、中国人を目の前に当意即妙に返事をすることには雲泥の差があると思った。
 そこで私は英語と中国語を学習しなおすことにした。


 私は大学~社会人の始めまでは割と精力的に語学学習をしていて、努力の結果実りTOEIC900並みに評価される資格と、中国語検定2級を取得していた。しかしアメリカにも中国にもお遊び程度の短期留学の経験しかなく実地の会話には不安があった。外国人とはいえ気の置けない友人と会話をするのと、或いは意地悪な質問をしてくるかもしれない面接官とでは全く事情が違うだろう。 長年の不使用によってそもそも忘れてしまっているイディオム等々は勿論適宜勉強し直すとして、やはり会話の訓練をしなければいけないと思った私は、中国語会話の老師を雇うことにした。


 具体的には、チャイニーズドットコムという在日中国人と日本人の学習の為のマッチングサイトで、同年代くらいの老師を探して連絡を取った。 老師は同い年でいわゆる重点大学出身(中国のエリート)で日本の金融機関に勤めていることもあり、私の希望する四大銀行における面接で想定される問答について的確なアドバイスをしてくれたし、全然関係ないけど超美人だったのでモチベーションに非常に寄与してくれた。全然関係ないけど。 そんなことで週2,3回、老師からのレクチャーを受け徐々に中国語での会話の調子を取り戻していった私だったけれど、同時に違和感を感じるようになってきた。

 それは別途雇っていた英語の先生との会話でも強く感じていた違和感だった。最初、それが何なのか私にはよく解らなかった。


 それはさておき、第一志望のA行とは別に、練習のため同じく中国四大銀行のうちB行とC行にも書類を送っていたのだけれど、BCいずれも書類選考を突破し電話面接やら第一面接やらを突破することが出来た。


「あ、やっぱり私のような人材を彼らは欲しいんだ。」


 とそういう確信を抱いた。
 A行で幹部級の面接を受けたときも、老師からのレクチャー通りの想定問答が来るばかりで殆ど滞りなく突破した。結局、A行、B行から内定を得、C行は最終選考まで進んだ。 そしてどの面接でも、ポロっと「他の行員、日本人はほとんどいないし、彼らも中国語しか喋らないから、覚悟をしておいてね。」という旨の申し出をされたのだった。


 その申し出が、私がずっと抱えていた違和感とリンクして来て、大きな不安となっていた。 そこで老師に、「今日は面接対策ではなく、普通の会話をしてみませんか?」と申し出、1から日常会話を練習してみた。
 が、出来なかった。

 老師の言っていること、解る。自分が言いたい事、言える。しかし、会話にはなっていなかった。

 私は、相手の言葉を聞きながら自分の言いたいことを考える、ということができなかったのだった。


 思うに試験的なリスニングもスピーチも、ただ聞くことに集中し、ただ喋ることに集中すれば良かった。しかし会話とは、相手の言葉を聞きながら、自分の言うべきことを考えなければいけない。いわばマルチタスクの領域に類することで、私には、それが致命的なほどできなかった。元々、日本語でも会話が下手な私なのだから、いわんや中国語で不出来なのは仕方ないとも思えるのだけれど、それにしても致命的だった。

 私は結構重めの診断済みADHDである。だから、といって病気のせいにするわけじゃないけれど、本当にマルチタスクをこなすことができない。
 それからも、何度も会話をしアドリブで老師と会話をしようとしたけれど、結局会話が成立することは殆どなかった。 私が面接を突破することができたのは、ただ面接と言う目的のため、相手が何を言うのか想定済みの環境下で決まったフレーズを吐き出していただけであって、会話をしていたわけではない。


 そうして段々、気持ちが落ちて行ってしまった。 私は本当にマルチタスクができない人間で、そのせいで今の仕事でもうだつが上がらなかった。日常会話でまで平時からその能力を求められるとすると、とてもではないけれど耐えられる自信が無かった。 それからも会話の能力が向上することは無かった。きっとこれからも向上は見込めないだろうし、見込めたとしても、外資系銀行が悠長にも私の成長を待つとは思えなかった。私がマルチタスクの不得手を乗り越えて会話が成立するようになるとするなら、2,3年の月日が必要であることは間違いないと思った。


「ああ、やっぱり無理だ。」

 

 と思った私は、ABC各行の内定と選考を辞退した。 きょうび、筆記能力もスピーキング能力もヒアリング能力も、畢竟パソコンで代替可能な能力だけれど、ただ会話だけが人間でなくてはできない能力だと思う。私はマルチタスクが不得手で、それができない。 あそこでまともに働けていたら今ごろ年収1千万円ちかくなっていたのだろうか、それとも海外で暮らしていたりもしたのだろうか、と思うと情けなくなってくる。


 そんなわけで外資転職は諦めたし、外国語の勉強も辞めてしまった。もうこれからそういう界隈に手を出すこともないのだと思う。何年もかけて遅々として会話の能力を醸成していくような時間もお金も私にはない。 会話ができないのなら、そもそも何の為に外国語の勉強をしていたのだろうと今さらながら思う。そうして失った時間について考えると、また心が底冷えする風が吹いてくるような気持ちになる。
 そして置かれた現状から抜け出す術がまた一つ失われてしまったことに、目の前が暗くなるような思いがした。


 しかし今になって思えば、由来私のような無能な人間は、外国語で多少会話が出来たところで何処へ行こうが50歩100歩の現実しか待っていなかったであろうことも解り切っているのだから、別に改めて失望する必要はなんてなかったとも思う。自分が無能な人間であることには未だ、折り合いをつけきることができずにいるんだけど。