中高年michiのサバイバル日記

世の中のこと、身の回りのこと、本のこと、還暦の中高年がざっくばらんに書きつける日記

長期間没頭できることは、うらやましい しかしそれは、本人の能力があってこそでしょうね。

1.本人の能力次第・・・・身もふたもない

(1)今日の言いたいことは単純で、長期間一つのことに集中し、没

頭できるのは、環境や外的要因が大きいにしても、基本は、本人の能

力があってこそ。ということ。

「自分の能力がないから、没頭できない」ことの言い訳と、とられて

も、それは仕方ない、と冒頭に認めてしまいます。

「没頭」を 広くとらえると

そんなのアタリマエで、ヒトは自分の好きなことしか没頭できないし

多くの人がそうしている。実際職人や、職人タイプのヒトは明らかに

そう、との意見が直ぐ返ってきそうです。

(2)今日の私の話は、も少し限定版です。

結果として歴史上に「実績」を残せた人で、私勝手に選んだ人です。

いわいる政治家・経済人、芸能人とか、スポーツ選手、芸術家等は

含んでいません。まさに私の独断と偏見の選択です。

抽象的ですが

本人の強い意志と、(広義の)恵まれた環境があったことが前提

だが、矢張り「本人の能力」があったればこそ、という話。

いつも書くように、彼(彼女)がいなかったら、誰かが、その地位

を埋めたのだろうか、否かというのは、今日は議論しません。 

ところで、その能力のある「うらやましがられる人」と、この小ブ

ログの読者はどう関係があるの?になりますが

まずは、非常に間接的な言い方ですが「恩恵」を受けていること、

及び生きている以上、ダメもとでも自分なりに頑張ってみること

も必要では?といったくらいでしょうか。

歴史に名を残そうと肩ひじ張っても、できるものでもないし・・・・

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「うらやましい」というイメージです。

 2.事例を少し

(1)とはいえ、抽象的なので、偉い人の事例を二つ

「私が1日休めば、日本の近代化は1日遅れるのです」

  パリ留学中、夜を日に継ぐ猛勉強に体を壊しかねないと気遣う

下宿の女主人が、ある朝、高熱でうなされながらなお大学に向か

おうとする古市公威(こうい)に、“今日は1日休んだらどうか”と

声をかけたのだが、その際に古市の口から出た言葉だそうです。

ここでいう古市公威は、工学の博士です。

西洋文明をいち早く吸収して独立不羈(ふき)の近代国家たらね

ば、日本は文明国の一員として生存できない。自分は今、国費で

賄われ西洋文明吸収の最前線にいるのだ。

強烈なエリート主義とナショナリズムを背負う明治の技術者の

気概をこのエピソードは物語っているといえます。

普通の現代人に置き換えると、しらけてしまいます。

時代背景を踏まえ、能力があり、実績を残した人の言葉として、

意味があります。いわいる「名言集」が発信者あってこそ、と

同じレベルです。

 (2)名言を取り上げるのではないですが、北里柴三郎の話

です。ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど

感染症医学の発展に貢献した、あの北里柴三郎です。

幕末ペリー来航時熊本に生誕し、熊大医学部卒です。

二人の弟コレラで亡くしたことも、医学の途へのきっかけの一
つでしょう。
「細菌学の父」だけでなく、医学界の基礎を作ったひとりです。
具体的には、
東大医学部、慶應医学部に深く関与し、北里大の基礎を築き、
また弟子の一人は慈恵医大の基礎を作りました。
エピソードとしては、
1901年の第一回ノーベル医学、生理学賞の件で、当時共同受賞
制度が無かったため、先輩格の単独受賞となったとのこと。
実績を書き込んでいけば、どんどん埋まりそうですが、今日の
ブログの趣旨は「没頭」です。
医学の件で、海外留学時代、下宿と研究室の往復しか記録になく
「研究に没頭していたとのこと」
環境として「誘惑」も多々あったでしょうし、また上記の古市
公威同様本人の強い意志があったのでしょうが、
「他に時間を費やすより面白いので、研究に没頭できた」という
面はあったように私は推定します。
これも能力があればこそ没頭できたのであり、うらやましい限りです。
 
3.疫病のこと
聞きかじりですが、脱線話を一つ。
一般に日本の幕末の歴史記載の「尊王攘夷運動」は、歴史の流れにピント
外れで、いいイメージはありません。
じつは、当時開国により、外国人の流入とともに疫病(コレラ?)が蔓延
の兆しがあり、この尊王攘夷」は疫病の伝染病阻止の運動の意味があった
そうです。
現在の日本の「コロナ騒動」より、16世紀以降の北米大陸での原住民の
疫病による、結果としての大量殺戮を思い出しました。