Tiny Style Salon

定番ブランドや古着を中心に、30代40代の大人のメンズファッションに使えるアイテムの紹介、スタイルの提案をしていきます。

メディアやインフルエンサーが煽る「マストバイ」や「NGアイテム」なんて存在しないというお話

ディアやインフルエンサーの発信で頻繁に目にする「マストバイ!」や「NGアイテム」といった言葉。

コレ、私、常々引っ掛かっております。

 

私の中の結論のみをまずお伝えすると、「ファッションにおいて、マストバイやNGアイテムなど存在しない。」と、そんな風に私は考えている為です。

 

その為、これらのワードを目にすると、私個人が抱く印象としては、「嘘をついている」、「信用できない」、「未熟な意見」といったネガティブなものになってしまうのです。

 

では、このような考えに至る理由を説明していきます。

(もしかしたら見る人によっては辛口に感じてしまうかもしれませんが、ご容赦ください...。)

 

 

千差万別の"着る人"や"他者"がいて完結するファッションという自己表現

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私は音楽関係の仕事を長くやっていますので、ひとつ音楽を例に挙げてみます。

レコードやCDが全盛だった頃、私自身も確かに「マストバイ!」や「全人類必聴!」とキャプションやオススメ紹介記事などで書いたこともあります。

何故そう書いたのかと思い返してみると、「本当に素晴らしい傑作だ!」という興奮をより多くの人と共有したい純粋な気持ちと、「マニアック過ぎず、一定以上の大衆性を帯びた楽曲である」という消費者目線をクリアした音源だった際に書いていたと記憶しています。

(なので、私個人としては大傑作だと感じた場合でも、伝わりにくいかもしれないと感じた際にはそうは書きません。)

 

加えて、過去に私がそう書いた際の受け取り手は、ある程度絞られた層に対する限定的なフィールドでした。

レコードショップで働いていた時も、自営でレコード店を経営していた時も、メディアに寄稿する時にも、いずれも"海外のロック"を専門とする店舗やメディアだったので、"大衆性"と先に書きはしましたが、あくまでも"海外ロックファン"に向けた限定された層に対してです。

「マストバイ!」を使う際には、そういった限定的フィールド内という前提条件が必須であると考えています。

 

では、ファッションでの活用に入ります。

ファッションと音楽では大きく異なる部分が一つあります。

仮に、「マストバイ!」と言われてそれを信用し、みんながそれを着てしまうとそのアイテムの位置付けが変化してしまいます。

アイテム単体でいかに多くの人を惹きつけるモノだとしても、道ゆく誰もがこぞって着ていたら、そのアイテムに新鮮さも違いも見出せなくなってしまいます。

 

つまり、自宅で買った洋服をコレクションとして飾るのあれば話は変わってきますが、着用前提であれば、着る人の自己表現と言い換えることも可能です。

(なるべく"普通"が良いという人においても、それはそういった個性が表現されています。)

 

音楽であれば誰もが聴いていようが自己完結ですので、反対に自分しか聴いていなかろうが、それを良いと感じる感覚に基本的にはブレは起こりません。

(天邪鬼なリスナーは、流行ったら冷めるという人もいますが、ごく一部でしょうし、あまり本質的ではありません。)

 

加えてそれ以前に、ファッションの場合には、人それぞれの体型や顔立ち、パーソナリティや社会的ステータス、スタイリング力やワードローブが異なります

単純にこれら個々人の差を問わずに、"マスト"なアイテムが存在するとは私にはとても思えません。

 

一方で、先に書いた音楽の例のように、ファッションにおいても限定的なフィールド内であれば、ある程度「マストバイ!」を共有できる部分もあります。

 

ファッションの指向性(系統)によっては、持っていて損はないアイテムというのは確かに存在するとは思います。

 

例えばアメカジ好きなら、ヘインズのビーフィーやリバースウィーブ、リーバイス501は持っていると相性良く使い回しやすいのは確かですし、この属性の中だけで「マストバイ」はある程度成立するかもしれません。

ただこれは、ファッションというよりはもっと普遍的な"スタイル"の話にもなってきますし、あると間違いなく使いやすいにしても、それを持っていなくても成立はするので、それでも「マスト」では無いでしょう。

 

「マストバイ!」と煽る側の心理

自己表現を伴うファッションアイテムにおいて、万人に共通する"マスト"が存在し得ないという説明はおおよそ済んだとして、だとすると、それでも何故「マストバイ!」と煽るのかを考えてみます。

 

販売店側が使っていればとても簡単で「売りたいから」以外には無いでしょう。

但し、扱う商品がかなり限定的ないわゆる"客層を選ぶ店"の場合には、音楽同様に「この店の商品が好きな人なら、これは本当に最高ですよ!」という純粋な熱狂である場合もあるかもしれません。

 

メディアやインフルエンサーの場合はどうでしょう。

ひとつには、"楽をしている"、"語彙力に乏しい"というケースはあると思います。

「マストバイ!」はその商品を何らかの理由で"良い商品"だと伝えたい際には、本当にイージーなワードです。

(本当に良いと思っている場合でも、PRの場合でも)

 

もう一つには、本当にマストバイが存在していると思っている場合です。

先にも挙げましたし、追加で後述もしますが、私は存在しないと考えていますが、メディアやインフルエンサーの中にも、マストが存在すると信じている人もいるのかもしれません。

 

冒頭に書いた通り、あくまでも私個人としては、「コレを着ておけばオシャレになる」みたいなアイテムが存在すると考えている時点で、そのメディアや人を信用もできませんし未熟な人だとさえ感じてしまいます。

 

私がダサい服など存在しないと考える理由

反対に、私は「NGアイテム」や「ダサい服」というアイテムも存在しないと考えています。

 

「なんでコレ買っちゃったんだろ。失敗したなぁ。」と思った事は実体験としては確かに何度かあります。

但し、これはあくまでも"自分にとって"は上手に着こなすことができないアイテムだっただけです。

 

そう思うに至った実体験として、数年前に買ったけどうまく着こなせなかった服が、時を経て自分のワードローブや体型、顔立ちが変わったり、着こなしのアレンジ力が向上したりすると、非常にしっくりと着こなすことができた経験が多数あります。

つまり、服に罪は無かったとこの体験で気が付いたというわけですね。苦笑

 

「じゃあ、けろけろけろっぴのプリントTとかもダサくないんかえ!」

といった切り口の異論もあるかもしれませんが、これに対しても先に挙げたような着用者の素養やテイストにフィットさえすれば、オシャレに見えることはあると私は思っています。

 

大衆化すると存在価値が変わるというファッションの特性は、言い換えると他者との差別化なわけですから、けろけろけろっぴのプリントTというファッションアイテムとして不人気なアイテムを着こなしに取り入れる事は、レバレッジが効いて逆にハマればめちゃくちゃオシャレな印象に転換するとさえ思います。

 

そもそも昨今大人気のユニクロの人気が爆発した火種は、「ユニクロなんてオシャレな人は着ない。」というパブリックイメージを逆手に取ったファッショニスタやインフルエンサーが、そんなユニクロを"逆に"うまく着こなしに取り入れる事で、「ユニクロなんかをオシャレに着こなすなんて、マジオシャレ❤︎」とレバレッジの効いた差別化を図ったことに端を発していると私は考えているくらいです。

(最近はファッション目的でユニクロを着ることが一般化し過ぎている為、このレバレッジが効かず、その事も一因となり、イノベーター理論でいう上の方から順に、ユニクロ離れが起こっているとも感じています。)

 

最後に(まとめ)

昔、テレビ番組の『人志松本のゆるせない話』でサバンナの八木が、「僕が何着てもダサいと言われるのは、ダサい服を製造・販売する業者が悪い!」というゆるせない話で爆笑をさらっていましたが、そのアンサーとも言える内容になったような気もしています。笑

 

万人共通の"ダサい"や"オシャレ"が存在しないからこそ、服そのもののデザインには大きなレンジがありますし、全ては着る人次第という事実の証左でもあるでしょう。

 

したがって、過度にマストバイマストバイと謳うメディアやインフルエンサーを見るたびに、これから着こなしを頑張ろうと思っている人や、ファッションに自信がない人をカモにして騙しているように私の目には写ってしてしまい、常々引っ掛かっていたので、今回こんな話題で書いてみました。

 

補足をすると、当たり障りなく相手に何の印象も与えない服装というのは存在すると思いますので、服装を度々いじられてそれを気にしている方が、いじられなくする為のマストバイや間違いのおこらないスタイリングなら、存在するとは思います◎

 

ちなみに、Instagramでは毎日コーディネートをアップしているので、そちらも合わせてチェックいただけると嬉しいです。

 

それではまた◎

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