雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘--37

呼ばれた萩野が駆け寄って問うた。

「なんやどないした」

いつものように井筒は小声で答える。

「うちに補欠はなかったんかな」

「そうや、前に岸下がおらんかったから浜田が入ってたんや。浜田はあの通り今日は主審や」

「ああそうやった、それやったらええんや」

「なんや、どないしてん」

「補欠があったら代走で出てもらおうかと思うて」

「代走…」

「あのな、今日は滅多にないええ試合やと思うねん。もしかしたらええ思い出になるかも知れん。そやから、みんな出られた方がええと思うねん」

「ああなるほど。折角出てきとるんやからな」

「そやけど、何か切っ掛けがないと交代も変やろし」

「手、痛むんか」

「全然…」

「そうか、そやけど、うちは全員参加や。そやけど三組は補欠がおるで」

 

何の相談かと思い、私も駆け寄った。デッドボールを与えた手前、福田も心配そうにしている。

ファースト付近に突っ立っていた浅丘に萩野が視線を向けた。浅丘が駆け寄りながら訊いた。

「なんやどうしたんや」

「お前とこ、吉田が補欠に回ってるやろ」

「ああ、元々ファースト守ってたけど、この頃ずっと補欠や」

言いつつ浅丘は吉田の方をチラッと見た。私もそちらを振り返った。吉田は退屈そうに植え込みの柵に寄っかかって座っていた。ぼんやりこちらを見ている。出てきてはいるが前回も補欠だ。面白くないのだろう。

萩野が言う。

「そこを何でお前が守ってるのか事情は知らんけど、今日はとにかくええ試合やで、こんな試合は滅多にないがな」

「俺もそう思う」

「そやろ、こんな試合はやっぱり全員出てもらおうやないか。吉田にもなんとか出てもらおうや」

そう言う萩野の顔をじっと見て、その後何度か頷いて浅丘は了解した。

「ええ考えやがな、うちの心配までしてくれて、さすがに萩野や。普段はともかく、俺はお前のそういうとこを評価してるんやで」

「ええねん、そんなことは」

「実はな、俺も考えてたんや。吉田はあいつとちょっとあってな、ふてくされ気味なんやけど」

「なんやあいつとちょっとて」

「そらまあええがな。ここであれこれは長い。そやけど吉田は下手な訳やない。出てくれたらええと俺も思うてたがな。ほんま言うと頭の中であれこれ考えてたんや」

横で聞いていた福田もそういう話と分かってホッとしたようだった。徳田と吉田のことは三組なら誰でも知っている。しかし先ほどから徳田の態度はいつもと違っている。福田には悪いことにはならない予感があった。


ぼんやり見ていた悟君がそこへ割って入った。

「どうした、手が痛むんか。俺は陸上部やから怪我には強いで」

さっきも聞いたセリフだ。皆慌てて手を横に振った。

「ちゃいますちゃいます。回はもう残ってないし、折角来てるのに出てないメンバーにも入ってもらえへんやろかいう話です」

「そうかいな、成る程なるほど、お前らええとこあるがな」

悟君には適当に引っ込んでいてくれた方が良い。浅丘は話を切り上げた。

「分かった萩野。次の回の攻撃は俺からや。任せてくれ」

主審として特段の注意もせずに見ていた私はそこで区切りを付けた。

「よし、ほならプレー再開するで」

マウンドに戻った福田に徳田が声をかけた。

「おい、何の話やったんや」

「ええねん、何でもない。後で説明するわ」

そう言って福田は徳田に向かって手を挙げた。

徳田は、何だか知らないが何度か頷いて了解した。

 

三組の攻撃は次の七回表の一回だけで一点負けている。井筒をデッドボールで出してしまったが、ここはどうしても押さえねばならない。

福田はキュッと唇を噛んだ。

 

続きます。