徳田は、ややためらいを含みつつ語り掛けてきた浅丘の目を見た。
「きょうはええ試合やで」
わざわざ寄ってきて何の話かと思いつつも徳田は頷く。「そやな…」
「こんなええ試合は滅多にないで」
「俺もそう思う。四組も前とは大違いや。こんなに点取りよるとはな。けどそれがどないしてん」
「それやがな、きょうみたいな試合はもう勝ち負けやない。記念もんやな」
徳田は訝る。「なに言うてんねんお前」
「いや、そやからな、こんな試合は全員参加で終わりたいもんやがな」
「全員参加…」
「吉田が補欠のままやがな、この前の試合もそうやった。きょうはあいつにも出てもらおうやないか」
徳田はチラッと吉田の方を見た。吉田は地べたに座って頬杖つくような感じでぼんやりこちらを眺めていたが、一瞬徳田と目が合ったのか直ぐに顔を伏せた。
「ああ、吉田な…」
吉田が補欠に回ったのは徳田がファーストの守備に注文を付けたからだった。徳田が転校してくるまではずっとファーストだったがサードに入った徳田からの送球を受けるのが下手だと注文を付けたのだった。吉田はあまり気の強い性格ではなくムカついただろうが野球がかけ離れて上手い徳田の言うままに補欠に回った。代わりにサードの浅丘がファーストに入ったのだった。こういう経緯だから吉田も面白かろうはずはない。
浅丘は言う。
「どう転んでも最終回や。ここで点が入らんと負けるのは分かってる。そやけど、もっと大事なこともあるやんけ。もう守備もないこっちゃし、前の試合は勝ったんやし、今度は別に…」
言いかけた浅丘を遮るように徳田は何度か大きく頷いた。
「うんうん、吉田のことはなあ、まあ悪かったと思うてるで。つい俺もな、そっちのことばっかり考えて言うてしもたんや。そやけど、悪気があった訳やないねん」
「解かってるがな、そやから俺も受け入れたんや。厳しいようやけど、それもチームとしては必要なこっちゃ」
言いながら、すんなりした徳田の反応に浅丘は安心したように顔を綻ばせた。本来主将である浅丘だから作戦の決定権は自分にあるのだが、徳田と吉田の関係を慮ったのだった。
徳田は訊いた。
「ほな、どないすんねん、どっかの代打に入るんやろ」
「そや、それでな、俺、さっきからちょっと捻ったのかわき腹が痛んでな、大したことないけど、俺の代打に出てもらうつもりや」
徳田はクックッと笑った。
「ほんまかいな、そんなこと言わんでも、それやったら俺の代わりに入ったらええで」
徳田の意外な反応に浅丘は目を丸くした。
「いやいや、それは有難いけど腹にもないことを言うたらあかん、それこそ冗談やないで。一点負けてるんや、お前にはこの辺で大きいの一発打ってもらわんとどないにもならんがな」
確かにそれにも誘惑があった。最後の打席で水口の前で一発飛ばせたらを考えると体が熱くなるものがあるのだ。徳田は一瞬振り向いて水口の居るであろう辺りに視線をやったが、水口を探せたかどうかはわからない。
徳田は振り返って浅丘の顔を真剣に見つめた。
「わかった。けど、それやったらいきなり先頭バッターや。あいつもビックリするやろ」
「代打やからと浜田に言うて、しばらく素振りさせて時間稼ぐがな」
ボソボソと呟く二人に私は声をかけた。
「おい、そろそろええか、浅丘バッターボックスへ」
指をさしながら私は尤もらしく指示した。
「あー、浜田主審、あのな…」
浅丘の話を聞いて私は了承した。
「バッター浅丘に代わって代打吉田」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、まだ話してへんのや」
浅丘と徳田がぼんやり座っている吉田のところへ走った。座ったまま二人の顔を見上げて何事かと思う吉田に浅丘が伝えた。
吉田は戸惑った。「そんなんいきなり急に」
「いきなりも何もないやろ。いつでも出る心構えしとかんかいや」
言葉は強いが浅丘は笑っていた。吉田は徳田の顔を見た。徳田は何とも言えぬ複雑な顔で頷いている。他のメンバーも周りを取り囲んで成り行きを理解した。皆口々に言う。
「吉田、きょうは観客が多いで、頑張れや」
「早よ、素振りやって身体ほぐさんかいな」
吉田は浅丘からバットを譲り受けて、まだ戸惑いが残ったまま素振りを始めた。
そこへ三組女子から声がかかった。
「吉田君、なんでもええからかっとばしや!」
声のした方を振り向いて、吉田は照れがちにちょっとだけ手を挙げた。
「吉田ええか」
吉田に声をかけて、今まさにプレーを宣しようと思ったその時また後ろから声がかかった。
「おい、ママさんきたで」
篠田だった。