酷暑の夏日本滞在記⑬ | パリでサンサン七拍子のブログ

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明日は再度三島へ行って送った荷物を受け取る日。今日は酷暑の中、新宿花園神社へ向かう。骨董市で有る。余り業者も人も少なかったが少し仕入れてケンタッキーフライドチキン食べてホテルへ戻る。スーパによって夕食の買い出し。

毎度お馴染み値下がりしてたザルそばとタコとワカメの酢の物を購入

お風呂に浸かってゆっくり休んで、次の日は三島へ向かった。

丁度三島のお祭り日、ホテルは超満員!!富士山が見えるお部屋ご用意しました!と言われたが曇っていて窓の向こうには富士山の影も見えなかった・・・ホテル近くのコンビニでクリスティーチキンを購入、此れ!美味しかった。

次の日の朝朝食会場へ行くとレセプション前迄の長蛇の列。三島祭りの為だろう、もう凄い事に成ってた。食事は諦めてコーヒー4カップお盆に乗せて部屋へ向かい部屋でのんびり過ごす。

窓の下には工場が見えた、どんよりした蒸し暑い日、私は掃除を断って一日中部屋にいた。こんなに人が多ければお祭りは凄い人に成るに決まってるし、大泉洋さんが大通りを源頼朝の恰好で馬に乗ってかっ歩する姿を見ようと人々は沿道で待ち構えている事だろうし、そんな人混みには全く行きたく無かった。荷物を置いて貰ってる知人から連絡が入り、クーラーが治った事とお祭りへ行って大泉洋さんみてきなよ!と言われたが”絶対に行かない!”と返事をした。

今から数年前、丁度この時期に母を特養に入れた、母を騙した。元気に成ったら又家に戻れるからと嘘をついた。叔母たちを招いて最後のささやかなパーティーも行った・・・母は知っているのか?知らないのか?余り表情は出さなかった。特養に持っていく母の服を数着購入しに行き、靴下からタオルから、下着から、、、全てに名前を書いて縫い付けた。明け方3時頃迄涙をこらえて縫い付けた。父は鼾をかいて眠ってる。父の悲しみも十分理解している。世帯分離を申請して特養に掛かる費用を少しでも軽減するよう父を連れて役所へ行った。特養入居の書類に父のサインとハンコを押させた。亡くなった場合は特養からの葬式会場へとサインし、家には戻さない事も決めた

母が入居した時、遠くに祭囃子が聞こえた。

私はその時の気持ちは今でも覚えてる。

それから祭囃子は私は嫌いになった、楽し気に囃子を叩く音は私を苦しめた。私が独断で特養入居を決めた。

後から父へ伝えた。”老々介護は無理だから・・・”と父を納得させた

本来日本へ戻って来て母や老いた父の世話をしなければ成らないはず、それを私は逃げた。エゴも絶対に有ったと思う。父の事を考えてとか、体裁の良い言葉を私は発した。

私はその時から足枷を付けて背中に罪を背負って生きて行く事を決めた。何時か向こう側へ私が行った時、母に謝ることが出来る迄。

祭囃子は私を辛くさせる。私の背負った罪を重くさせる。

私は祭囃子が嫌いに成った。

遠くに祭囃子の音が聞こえて来る・・・・あの日の様に。

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