シュリー-シュル-ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス)

Christelle PRIEURによるPixabayからの画像 シャンボール城

※アイキャッチ画像は版権フリー画像「Christelle PRIEURによるPixabayからの画像 」

The Loire Valley between Sully-sur-Loire and Chalonnes ( France ) OUV(i)(ii)(iv)

2000年世界遺産登録 2017年軽微な範囲変更(シャンボール城は1981年に登録済)

■100以上の古城が残る美しい景観

ロワール渓谷、とりわけシュリー・シュル・ロワールとシャロンヌの間の地域は、セーヌ河岸同様、ロワール川に沿って両側の流域が主な登録範囲で、その中に100以上の古城が今も残されています。これら庭園設計も美しく施された城館や農地などが渓谷の景観の中に溶け込んでいるとして”文化的景観”が認められています。

<シャンボール城>

アイキャッチ画像のシャンボール城は、フランソワ1世の命により1519年より元あった狩猟用の小屋が増改築され、今の城館に至った、ロワール渓谷にして最大の面積を誇ったお城です。部屋数は400を超え、300以上の煙突を持ち、特に庭の面積が広く、車があっても回り切れないほどだそうです。

この増改築が始まる3年ほど前にフランスに招聘されたレオナルド・ダ・ヴィンチにより、改築設計がされ、特に有名なのは中央の建物の二重らせんの階段。2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるという工夫がされていて、ダヴィンチの発想ではないかとされています。

左右対称のルネサンス様式の最高傑作となる基本設計に携わったダヴィンチは、フランソワ1世により同じくロワール渓谷の世界遺産「アンボワーズ城」の近隣にあった「クロ・リュセ城」での居住を許され、67歳でこの世を去りました。

フランソワ1世はこの時25歳。かなり親しい間柄だったようです。らせん階段はダヴィンチが亡くなったあと、フランソワ1世が引きついだともいわれています。

また「ヴェルサイユ宮殿」の設計にも携わったマンサールもまた、チャペルの設計にも携わっていて、ルイ14世や15世も増改築の命に関わっています。

16世紀頃、アーヘン大聖堂で最後の戴冠式を行ったともされる神聖ローマ帝国カール5世も訪れ、あまりの美しさに言葉を失ったとされています。

なお、シャンボール城の三角屋根には、スレートと呼ばれる石材が使われており、イギリスの産業革命で大量輸出された採掘場は「ウェールズ北西部のスレートの景観」として世界遺産に登録されています。

アンボワーズ城

Oleg MityukhinによるPixabayからの画像 アンボワーズ城

ゴシック様式ルネサンス様式の、14~16世紀にかけて興ったヴァロア王朝の王室です。造られたのはもっと昔で、ロワール渓谷が一望できる高台に位置し、城塞のような役割だったようです。

クロ・リュセ城とは地下でつながっているそうで、一度見てみたいものですが、ダヴィンチが最初に招聘された場所がここアンボワーズ城だったそうです。

城内にはダヴィンチの墓も存在します。

フランソワ1世の時代に最盛期を迎え、フランス革命やナポレオンの時代、ナチスドイツによる侵略等により幾度となく破壊され、苦しい時期を乗り越えてきました。

<クロ・リュセ城>

かつては王家の別荘でしたが、1516年秋、64歳のレオナルド・ダ・ヴィンチは、弟子や召使とともにアルプスを越え、アンボワーズのこの小さなクロ・リュセ城にやってきました。この時「モナ・リザ」を含む傑作絵画を持参していたとされています。今は博物館のようになっていますが、世界遺産に含まれます。

ユッセ城

詩人シャルル・ペローが「眠れる森の美女」を書いたとされている小さな城。お姫様が目覚める城のモデルになっているそうです。

シュノンソー城

272447によるPixabayからの画像 シュノンソー城

城内にロワール川の支流、シェール川をまたがるように建てられ、広大な庭園の中に気品を漂わせてたたずむ白い城館。代々女性が城主であったため、「6人の奥方の城」の別名があります。 永遠の美女といわれたディアーヌ・ド・ポワティエは20歳も年下のアンリ2世の愛妾であり、城の2番目の城主として本格的な庭園とシェール川にかかるアーチ形の橋を付け加えました。しかし、アンリ2世の死後、本妻カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌから城を取り上げてしまいます。以後、天井を白と黒に塗ったアンリ3世の妻ルイーズ・ド・ロレーヌ、フランス革命から城を守ったマダム・デュパンの手を経て、1863年に修復を手掛けたマダム・ブルーズと女性城主に渡ります。

引用元:https://jp.france.fr/ja/val-de-loire/article/30104

こうしてシュノンソー城の正面には、幾何学的で美しい大きな”ディアーヌの庭”と、のちに隣に小さめの”カトリーヌの庭”が造られ、当時は様々な催し物が開かれたそうです。フランス革命の難を逃れ、今もその様子を見ることができます。

ロワール渓谷は歴代の国王の命によりワイン畑が次々と造られ、様々な品種のワインが造られてきましたが、ここシュノンソーでは、その名を冠した、トゥレーヌ・シュノンソーという輝くような白ワインが有名だそうです。

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