フエの建造物群(ベトナム)

提供画像

Complex of Hué Monuments (Viet Nam) OUV(iv)

1993年世界遺産登録

■中世~近代までのベトナムで花開いた中国とフランスの影響を受けた王宮文化と寺院群

縦に長いベトナムのちょうど真ん中、南シナ海に面する旧都フエのうち、かつての王宮や城、寺院等が14のエリアにまたがって世界遺産に登録されています。また、ベトナムでは初の世界遺産になりました。

中世においてフエは、300年にわたり3つの王朝の首都が置かれ、特にベトナム最後の王朝である阮(グエン)王朝(1802-1945)が隆盛した歴史ある都です。

アイキャッチ画像はまさにグエン王朝時代の王宮。周囲を約2.5kmの城壁に囲まれ、その広大な敷地内には、宮廷文化を今に伝える建築物が残っています(なお王宮内にあるベトナム最古の劇場「閲是堂」では、ユネスコの無形文化遺産に認定されている宮廷雅楽を観賞できます)。 

城壁の外は堀がありその水量は四方の水門で調節することができ、「午門」と呼ばれる正門は、正午になると太陽が門の真上に来るように設計されています。「午」は南の方位を意味し、古代中国の聖人君子が南から天下に耳を傾ければ、世の中は平和に治まるとの考えに由来しているようで、機能美とともに伝承の美しさも伝わってきます。

午門を抜けると、池に挟まれた道が現れます。池の左側に設けられた空間では皇帝が騎乗する象と馬が飼われ、右側の空間には兵舎が建てられていたそうです。中央には政治の中心となっていた「太和殿」が建ち、太和殿の後方には塀で囲まれた「紫禁城」が置かれています。そして太和殿の大広間の中央には、皇帝が座る金箔張りの椅子と台座が置かれているのです。

こうした装飾や建築は、ベトナム戦争によりその大半が大破されましたが、現在は修復が進み多くの建築物が往事の姿を見せてくれています。

また、14のエリアには、多くの帝陵と呼ばれるグエン王朝歴代皇帝の陵墓があります。

2代目ミンマン帝陵、4代目トゥドゥック帝陵、そして12代目カイディン帝陵は特に歴史上の重要な価値をもつとされいます。

第12代皇帝カイディン帝(在位1916~25)の陵墓はフエ市街から10km離れた村にあり、1920年に起工し11年掛けて建設されました。

カイディン帝はフランスに擁立されたこともありフランスに対して融和的だったようで、自身の陵墓もバロック様式を取り入れて建築するよう命じたそうです。このとき、バロック様式さながらの過剰な装飾はアジア各地から集めた美しい器や瓶などを材料として使っているとのことです。

なお、帝陵は中国の明・清朝時代に確立された中国の陵制を参考にしており、河や池を前面に持ち、拝庭、碑亭、階段状テラス、礼拝殿、石棺の5つの要素から構成されています。

提供画像 カイディン帝陵

また、王宮と帝陵以外には、「百の寺がある」と言われるほど多く存在する数々の寺院も世界遺産に登録されています。

特にチャム族によって作られたレンガの丘の上に建つ「ティエンムー寺院」。1601年に建立され、フエで最も古く美しい寺院とされます。

ティエンは「天」、ムーは「老婆」を意味し、伝説では、ある夜に赤い衣と緑色の裾を着た一人の老婆が丘の上に現れ人々に「いつかここに真の主がやって来て、霊気と龍脈をあつめ強力な国をつくるために、寺を建てるであろう。」と語ったそうです。これを聞いたグエン・ホアンは民衆の願いを叶えることができるように、また慶事の知らせに感謝をして、フォーン川に面する丘の上に寺を建て「天姥(ティエンムー)寺」と名付けたそうです。

遠く離れたフランス、ノルマンディーの「モン-サン-ミシェルとその湾」における司教オベールに対する大天使ミカエルのお告げの話にそっくりですね!

提供画像 ティエンムー寺院

フエの建築物群は、中華文明を色濃く受け継いだ王宮があるかと思えば、フランスに学んだ西洋風の建築物もあり訪れる人を楽しませてくれる世界遺産です。

しかしその一方で、近代~近現代においては戦争の絶えない時代が続きます。とくに1946年からの第一次インドシナ戦争によって主要な建物は破壊され、1960年代のベトナム戦争によってフエの建造物は多大な被害を受けたようです。

20世紀に入ってから日本をはじめ、国際社会からの資金援助の提案もなされました。ユネスコによって世界遺産に登録されたあとは、観光客によって賑わいも取り戻しつつあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました